#0113 新学期の活気 (3)
今回と次の第114話は演奏描写が内容の大半になります。読み飛ばして頂いても構いません。
今日はこのあともう1話投稿します。
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急ぎ体育館へたどり着くと、そこにはすでに大勢の生徒が集まっていた。
新入生のためのパイプ椅子がステージに向けてずらりと並べられて、その周りや後ろでは部活動のユニフォームや仮装をした上級生たちが出番にむけて準備や待機している。
あたりは話し声で騒々しくなっていた。
新入生の席は自由のようで、開会直前なのもあって3人分の空席がまとまって空いている箇所はほとんど残っていなかった。
おれたちはやむなく最前列につくことになった。
ステージの前では、緑色のブレザーを身にまとった吹奏楽部が合奏体形で中央の指揮台を囲んでいた。
扇形の隊列にずらりと並んだ管楽器は体育館の照明を反射して、それだけで迫力がある。
指揮台の上には、昨日の入学式でもタクトをふっていた髪の短い女子生徒がこちらに背を向けて直立不動で立っている。
間違いなく、このあと演奏がはじまる。
おれたち新入生のあいだにはそんな期待感が漂っていた。
やがて時間になると、ステージ上手から淳之介さんが颯爽と登場した。
朝見たときのデニムのズボンに太く編み込んだニットのセーター姿で、手にはマイクを持っていた。
「ごきげんよう、新入生諸君。そして入学おめでとう。蓬高校第126代生徒会長の京極淳之介だ」
存在感のある口調に、あたりは自然と静まり返った。
淳之介さんは原稿ももたずに、鷹揚とおれたちに語りだす。
「今、蓬高校の各部活・同好会は新入部員を渇望している。それは君たちが朝、身をもって感じただろう。この歓迎会行事も、かつては生徒会や有志が企画したアトラクションを実施したこともあったが、今では各部に持ち時間を割り当てて内容は一任している。つまり実質的には部活動紹介フェスというわけだ。中には廃部の危機の中、今年の新入生獲得に一縷の望みを託している同好会もある。それが果たして君たちの短い青春をささげるにふさわしい煌めきがあるのかどうか、君たち自身で確かめてみるがいいだろう。――言っておく、この学校で君たちは自由だ。部活動への参加も自由、着装も自由だ。勉学に打ち込みたいのなら、今この時間この場所で単語帳を開くのを誰も止めはしない。部活動の掛け持ちも許される。短いスカートが可愛いと思うのなら思う存分短くすれば良いし、着替えが面倒ならば部のウェアで授業に出れば良い。この自由は権利だ。おれたち生徒会は、この権利を擁護するために存在している。君たちも、そんな俺たち生徒会の一員になって、いっしょに汗を流してみないか? ――これが今日、おれが一番伝えたいことだ。生徒会もいま人手を欲している。特に7月の蓬生祭は仕事が腐るほどある、4月の今からもう動き出している部門もあるほどだからな。……と、おれの挨拶はここまでにしておこう」
その言葉の瞬間に、吹奏楽部員が一斉に楽器を構えた。
「新入生歓迎会の開幕だ。まずは吹奏楽部による演奏から、楽しんでくれ」
淳之介さんは右手をあげて舞台袖に下がっていく。
その姿が消え、しかし見事な演説に拍手する暇も与えられなかった。
指揮台の上で静止したままだったショートカットの女子生徒が指揮棒を空に差し出す。
大勢が息を吸う音は、完璧にタイミングが揃っていた。
ティンパニの鋭い一閃。
金管の短いファンファーレに、めまぐるしいクラリネットとサクソフォンの連符が重なり合った。
ジェットコースターのようなハイテンポで、旋律が目まぐるしく駆け抜けてゆく。
スリリングな音符の波に、シロフォンがコミカルにアクセントを加える。
この曲は――20世紀アメリカの世界的巨匠指揮者にして作曲家のレナード・バーンスタイン (1918-1990) が残したミュージカル『キャンディード』の序曲。
その吹奏楽版だ。
急速な変拍子を、指揮の先輩は事もなげに振っていた。
「キャンディードだ……」
「すご……」
「はじめて聴く……」
周囲のささやき声の中、おれは息をのんだ。
これだ。
昨日の入学式でも耳にした、この多彩な音色のパレット。
吹奏楽の編成は、管楽器と打楽器からなる。
つまり、通常の
それなのにサウンドの引き出しが、それを感じさせないほど豊富だった。
時に、するどく突き刺さるようで、かと思えば、しなやかに歌いかけるような音も聴こえてくる。
燃え上がる暁の陽光のような、熱を感じさせる瞬間まである。
曲は冒頭の短いファンファーレが再現されて、フルートソロのメロディに続いて超絶的なクラルネットソロが畳み掛ける。
ここは原曲では首席ヴァイオリン奏者――コンサートマスターが奏でる箇所だ。
「えぐすぎる……」
「さすが宍戸先輩……」
奏者の名前まで知られていることに驚かされる。
おれたち新入生のまわりにも、その技巧に動揺の声が漏れていた。
そのままコーダに入るとさらにテンポを加速させて、曲の終結まで一気に駆け抜けた。
最後の音がなるや否や、新入生から拍手が沸き起こっていた。
奏者が一斉に起立して、指揮台の先輩がこちらがわに振り返ってうやうやしく一礼をしていた。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます! 蓬高校吹奏楽部です」
拍手の中、明るい声が聞こえてくる。
たぶん舞台裏で部員さんがマイク越しにアナウンスしているんだ。
「私たちは顧問の久留里たま先生のご指導のもと、"吹奏楽表現の発展"をモットーに、年2回の定期演奏会や吹奏楽コンクールなどの演奏機会にむけて楽器の練習をしています。昨年度は全日本吹奏楽コンクールへ出場し、3年続けて金賞を受賞させていただきました。部のなかには、高校から楽器をはじめた部員も多く、文武両道をめざす皆さんの入部を心より歓迎します。いま演奏した曲は、バーンスタイン作曲・グランドマン編曲『キャンディード序曲』でした。この曲は、私たち吹奏楽部が演奏会のアンコールで演奏する恒例になっている曲です」
部員たちは凛々しい表情を崩さずにまっすぐに視線を向けていた。
「――さて、本日はもう一曲おとどけします。次の曲は、毎年6月から10月に行われている吹奏楽コンクールの歴代課題曲から、今日の演奏のために部員の投票によって選ばれた名曲です。偶然にもこの入学の季節にぴったりの、儚く美しいメロディに注目してお聞きください。……福田洋介作曲『さくらのうた』です」
体育館が静まり返った後に奏でられた音は、本当にその言葉通りだった。
ピッコロの痛切な旋律の断片が語りかけ、金管のやわらかいハーモニーに縁取られたトランペットソロが呼応する。
静かなグロッケンシュピールの音が水面のようにたゆたい、クラリネットが切ない歌を歌いだす。
木管合奏、フルートソロ、トランペットと、ひとつの旋律を織り上げるように歌い繋いでいた。
そこへウィンドチャイムの音がキラキラと色を付ける。
それはどこまでも、ひたすらに一筋の旋律を繊細に奏でることを要求する曲だった。
課題曲、という言葉がもつ堅苦しさとは遠く隔たった美しさの極地が、そこにあったと思った。
ホルンからトロンボーンへと繋がるソロが曲想の物悲しさを爛熟させ、一瞬の静寂が下りる。
次の瞬間、壮大な全体合奏が体育館を包み込んだ。
ひとつになった音が押し寄せ、大きく厚くなった歌が響いていた。
おれたちはただ無言だった。
さっきのようなささやき声は聞こえてこない。
やがて大きく膨れ上がった高揚感も、空に消えていくように終息していった。
露に濡れたような余韻だった。
完全に音が無くなって、物音一つ立てられなかったおれたちの緊張が少しずつ消えていく。
拍手が重なり合った。
やがて指揮者の先輩の促しで、奏者が統率のとれた動きでもういちど起立すると、長い拍手はさらに大きくなった。
するとすぐさま、左右両側の外につながる体育館の扉からいっせいに倍近い人数の部員が入ってきて、拍手のなか手早く撤収作業をはじめた。
まるで、演奏の後に残す言葉など何もないというばかりに、ものの1分ほどの間に吹奏楽部は体育館からいなくなっていったのだった。
普通のステージ前の広いスペースが戻った体育館には新入生のざわめきがただ残されていた。
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・蓬高校吹奏楽部
蓬高校の代表的な部活動にして、全国的に有名な吹奏楽バンド。
全国大会常連の古豪であったのが、3年前に現顧問の音楽教諭・久留里たま先生が赴任して以来コンクール無敗を誇っている。
伝統校らしく歴史も長く、OB・OGからの寄付で学校敷地内に中規模のホールが建っている。
なお、久留里先生の方針によってマーチングはしない。
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