#0110 両手に花 その1





 困惑したおれたちを里香さんが押し切るような形で、ひとまず4人で今までおれが使っていたシングルのベッドを解体して新しいベッドを組み立てることになった。



「ママだって、このままじゃ非効率だって言ってたじゃん」

「ボクは萌なんかと葵を分け合うのはイヤだね!」


 さっきからドライバー片手に栞と萌がなかば言い合いのような会話を繰り広げていた。

 そのせいで作業は遅々として進んでいない。



「せっかくこんなおっきいベッドもらったんだし、もったいないじゃん」


 萌が言うように、組み立て始めるとキングサイズは想像以上に大きかった。

 ベッドの天板は横幅がシングルの倍以上あって、ほとんど正方形に近い。

 枕は4つ並べられてしまう大きさだ。


 今は部品やら段ボールやらが散乱してるせいもあるけど、広かった床面積がかなり小さくなったように感じる。



「この大きさなら3人で眠るのだって余裕だし、今まで3日に1回しか葵さんと一緒にいられなかったのが、3日に2回になるんだよ? 何なら、あたしら全員でっていうのも」

「そ、そんなもっともらしいことを言って、萌はボクの目の前で葵に挑発して、反応を楽しみたいだけだろうっ?」

「栞姉……よくわかってるじゃん」

「やっぱり萌と同じベッドなんて絶対認めないよ!」

「ま、まあ、落ち着いてよふたりとも。たとえば……」


 ふたりを宥めるのがおれの役目だった。

 正直頭が痛くなってきそうだ。


 とりあえず妥協案として、おれと誰かが2人きりで眠る日と、3人で眠る日をなるべく交互に設けることで納得してもらった(なんと萌だけでなく綾までもが3人で過ごすことに賛成したのだ)。



「じゃあとりあえず今夜はあたしが確定として、もうひとりは」

「なっ、萌は昨日も葵といっしょに眠ったじゃないか!」

「綾姉と栞姉はあたしが仕事でいない間にたくさんやってたじゃん? あたしにも埋め合わせさせてよ」


 しばらくするとまたいがみ合いが始まって、手が止まるのだった。

 きりがない……



 結局ベッドが完成する頃には、誰がおれと一緒に眠るかは、スマホのカレンダーアプリで予定表を共有しておれを「予約」することで決めるということになっていた。


 萌がつけた予定表の名前は「葵さんのハーレム♡」だった。

 すでに2週先まで予定がびっしりになってしまった。



 ……ハーレム、その言葉が否応なしに、現実から目を背けるなと告げていた。


 みんながこの家で暮らしはじめてから、3人に請われる形でそれこそ毎日のようにベッドを共にしてきた。


 それが今や、里香さんの奨励までもらって、スケジュール管理もされはじめてしまった。


 なるべく深く考えないようにしてきたけど、直視せざるを得ない。

 今の状況はハーレム以外のなにものでもない。



 3人からの好意がおれに集中して、包囲されている。

 ふたりきりで眠るのだって毎晩理性が限界に近いのに、それが複数と、だったら……本当に逃げ場が無い。


 理性が折れて誰かと家族の一線を超えたら、この家で麗さんを支えていく資格に欠くことになってしまう。

 それだけは絶対に避けないといけない。



 やっぱりおれは、なんとか心を強く保って、これからも耐えるしか無いのだ。






「うわぁ、寝ころがるとほんとにおっきいよ」


 新しいベッドに最初にダイブしたのは栞だった。

 仰向けになって両手足を広げ、細い糸のような髪がシーツの上に扇形に広がっていた。


 夜、お風呂からあがった後、栞はパジャマ姿でおれの部屋にやってきた。


 先程、綾と萌の3人で行われた熾烈なジャンケンの結果、おろしたてのベッドでおれの隣に休む権利を得たのだ。



「うん、マットレスちょっとやわらかめかも。ボクのベッドよりもこっちのほうが良い感じ。毎日ここで眠りたいくらいなのに」

「えっと……ごめん」

「……ん。葵」


 栞は見上げて、おれのほうに両腕を広げてみせた。



「きて……」


 いじらしい表情だった。

 可愛らしさに胸が締め付けられるようだった。


 栞のベッドに上り、おれも両腕を伸ばして栞と影を重ねる。

 コイルが深く沈み込んだ。


 栞はすぐにころんと身体をひっくり返して、仰向けになったおれの方に頬をつけて甘え声をだした。



「んんっ……、葵……♪」


 足が絡められて、シャンプーの匂いにまじって栞のさわやかな甘さを感じた。




「……このまま葵をひとりじめしたい」


 栞は顔をあげないままそう口にした。



「葵のことが好きなんだ。葵の隣にはボクがいたい。ボクだけを好きになって欲しいんだ。葵が他の女の子と、なんて……嫌だよ。でも、もうひとりは綾、なんだよね」


 栞の顔が耳元に近くて、息遣いまで聞こえてきた。



「他の女の子だったら、蹴落として、葵をボクのものにする。でも他でもない綾は、ずっとボクの恋を応援してくれて、励ましてくれて……だからボクがちょっとでも拒んだら、きっと綾は自分から葵のことを諦めちゃう。そんなのかわいそうだよ。綾も葵と同じくらい大切で、ボクたちは家族なのに、……どうしたらいいんだろう」


 どうしたらいいか。

 おれも分からなかった。


 ただ、栞が一番聞きたい言葉――"栞が一番だよ"というそれを口にすることはできなかった。

 言ってしまうことで、何かを切り捨ててしまうことになる気がした。


 それに、きっと後悔してしまう……そして、見抜かれてしまうと思った。



「きっと、栞は綾と同じくらい優しいんだと思う。綾と栞と、それから萌も」

「……今、萌の話はしてないよ」

「そうだね……好きでいてくれてありがとう。それから、何ていうか、ごめん」

「葵は悪くないよ」


 おれが悪くないのだとしたら、栞はどう納得するのだろう。

 里香さんと萌にもハーレムだとそそのかされて、こんな大きなベッドにこのあともうすぐお風呂を終えた綾もやってくるのだ。


 おれだって、この状況を何の葛藤もなしに受け入れられない。


 ただ綾や栞や萌を大切に想う気持ちは、実は浮気心なんじゃないか……

 これは人としてやってはいけないことなんじゃないか?


 そんな自分自身への疑念と直視しないといけなかった。



 しばらくの間、おれたちは無言で、おれは子供を寝かしつけるみたいに栞の頭に手をおいていた。



「葵くん? お風呂、あがったよ」


 そうしているとやがて、ためらいがちなノックが部屋に響いて、扉が開いた。

 綾は、ワンピース型のルームウェアを身にまとっていた。



「あ……」


 ベッドの上で触れあっていたおれたちを見て、ほんのり頬を赤らめる。


 ふふっ、と、栞は顔を上げて笑みを浮かべていた。



「綾もおいでよ。新しいベッドも葵の身柄も、今日はボクたちのものだ」


 栞はそう言って、片手をおれの腕に掴んだまま綾を招いた。

 表情にはなんの憂慮もなくなっていた。




 ベッドの足元に3足ぶんもスリッパが並ぶのを見ると、あらためて背徳感が湧いた。


 真っ先に身体をなげだしていた栞はおれの右腕にぴったりしがみついて、ふわふわの感触と、甘酸っぱい香りが理性を侵食する。

 穏やかな身体の温もりがすぐそばにあった。

 どうして女の子の身体はこんなにも柔らかいのだろう。



 ベッドの大きさは3人が並んでも余裕があるほどだ。

 けれど、真ん中のおれは狭かった。


 左右の綾と栞が、2人ときのときのように、隙間がなくなるほど距離が近かった。


 おれの腿が栞の長い両足に絡みとられて、身動きが取れない。

 右腕に頭をのせ、腕枕を要求してくる。


 けど、栞に身体を向けてしまうと反対側の綾に背くことになってしまうので、おれはひたすら天井を見ながら耐えるしかなかった。



「葵くん。苦しくない?」

「ううん、大丈夫」


 仰向けのまま視線だけ左に向けると、綾はほっとしたように表情を綻ばせた。


 ……やばい、死ぬ。

 死ぬほど可愛い。可愛すぎる。


 照れた微笑みに心臓を掴まれるようだ。


 枕の上に流れる綺麗な髪から、お花畑みたいな優しい香りがする。

 ふたりの女の子の甘い匂いに溺れてしまいそうだ。



「……狭さよりも、ふたりにかこまれて眠ることが気が気じゃないっていうか」

「葵くん……わたしも、すごいドキドキする。栞もいるのって、やっぱりちょっと恥ずかしいね」


 あらためて、すごい美貌だ。


 肌なんて何度見てもびっくりするくらいきめ細かいし、困ったようにまばたきする瞳は宝石を散りばめたみたいだし、この世のみずみずしさを凝縮したみたいな唇は、思わず口づけしてしまいたくなるくらいで、悩ましげに吐息が漏れていて……



「ちょっと葵っ。綾と顔が近いよ! 見惚れ過ぎだ」


 寝間着の裾を強く引かれる。

 慌てて振り返ると栞のおでこをくっつけられて、目と鼻の先に栞の両目があった。


 栞とキスしたあの時の唇の柔らかさがフラッシュバックして、心臓が止まりかける。



「綾が美人なのはわかるけど、ボクが隣にいるのに簡単に気持ちを奪われすぎだ」

「ええっ、わたしが美人……って」

「綾は美人じゃないか、ボクから見ても」

「うん。綾はとても可愛いよ。それから、栞も同じくらい」

「……もう、またそうやってゴキゲンとろうとして」


 栞は嬉しそうに身悶えする。

 身体の柔らかな、いろんなところが当たって、そのたびにおれは反応してしまう。



「……ふうん? じゃあボクだって、葵を釘づけにできちゃんだ。たとえば、こんなふうに」


 ゾクリとするような妖艶な声色が耳をくすぐった。


 栞は布団の中で、太ももでホールドしたおれの身体に、下半身を擦りつけはじめた。

 胸をさしだすように凭れかかって、おれの胸元に指をすべらせた。



「……っ、んんっ……♪」


 耳元で艶めかしく喉を鳴らす栞。



「どう? ボクだって葵のこと好きなんだよ?」

「それは……っ、忘れたことない、けど……!」

「でも、もっと感じてほしいんだ」


 突然攻め気を強めた栞は、まるで萌みたいな凶悪さがあった。


 パジャマ越しの感触に意識がもっていかれそうになる。


 栞だって、サイズは決して小さくないのだ。

 それが、ふにゅ……と誘うように変形するのがわかる。



 刺激に声が漏れそうだ……!



「ふふっ。葵ってゆーわくするとすぐ固まって無言になるから分かりやすい。ちょっと楽しいかも、ちゃんとボクの『女の子』を感じてくれてるんだって分かるから……♪」

「っ。それは」

「声が上ずってるよ?」


 続けて栞は、ねえ? とおれごしに綾に話しかけた。



「このままだと、葵はボクのゆーわくに簡単に堕ちちゃうけど、綾は良いの? 綾がいっしょに眠るのは認めたけど、葵を譲るつもりはないよ? 綾もゆーわくしないと」


 栞はくすりと笑う。

 挑発じみた言葉で、綾も加わるよう促していた。


 それまで綾は、肩が触れ合う距離を保ったままだった。



「わたしが、ゆーわく……」


 ややあってから、握りあった手の指をそっと絡めてきた。

 恋人つなぎ。

 細い指の感触から、おれへの信頼感が伝わってきた。


 そしてそのまま両手でおれの左腕をぎゅっと抱きしめる。


 栞のものとはまた違った、優しい甘さに左半身が包みこまれるようだった。



 この世のものから隔絶した、絶世の美少女2人にはさまれて、天国にいるような心地だった。



「葵くん。わたしも葵くんが好き、だよ」



 その夜、ふたりのおれへの接触は今までいっしょに過ごしたどの夜よりもずっと積極的で、おれは一晩中どぎまぎし続けることになった。


















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 今回もお読みいただきありがとうございます。

 よいお盆休みをお過ごしください。



 





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