#0108 入学 (1)





 蓬高校の男子の制服は少し古風な学生服型だ。


 袖を通してみても、見た目も着心地も中学時代とあまり変わりばえがしない。


 そうは言っても、鏡の中の自分は誇らしげな表情だった。


 髪がすこし長くなってきていて、ちょっとはねているのを手で押さえる。

 一番上まで留めた胸のボタンには蓬高校の校章が浮き彫りになっていて、真新しい金色に光っている。


 少しは大人びて見えるだろうか。

 15年生きてきた人生も、今日からいよいよ高校生活のスタートだ。


 今日は4月6日。

 すがすがしい入学式の朝だった。






 ――思い返してみれば、小学校の頃は永遠に続くような気がするほど長かった。


 単純に6年も通っていたというのもあるだろうけれど、それを抜きにしても1日1日が今感じているよりもずっと長かった気がする。


 2時間目と3時間目の間の、ちょっと長い休み時間――おれの学校では長休みと呼んでいた――そのたった15分でも、淳之介さんに連れられて夏帆やほかのみんなとよく校庭や校舎裏の森で遊んでいた。

 よくそんなエネルギーがあったと今では思うし、あの頃は今よりも時間の流れが濃密だった。



 じゃあ、中学校時代はどうだっただろう。


 少なくとも休み時間は談笑して過ごすようになった。


 小さな学校だったからクラス替えなんていうイベントもなく、はじめて中学校の制服を着たあの高揚感もすぐに日常のなかに溶け込んで、新しい環境や出来事にもすぐに慣れて、その繰り返しだった。

 そうして1つ、また1つと学年が上がるたびに、巣立ち、別れ、そして受験の足音がひたひたと聞こえてきて別の緊張感が身を包んでいった。



 でもやっぱり、中学はあっという間だったと思う。


 考えることは子供の頃よりずっと多くなったはずなのに。

 これが年齢を重ねるということなのだろうか。



 このまま、1日1日がどんどん薄くなって、やがて擦り切れてしまうのだろうか?


 今感じている、綾や栞や萌と一緒に過ごすことへの喜びや、驚きも、いつか熱が冷めたように冷たくなってしまうのだろうか?


 そう考えると、大人になんてなりたくなくなってくる。

 ずっとこのままの時の流れを感じていたいのに、そう願ってるいまこの時も、この歩みはどんどん加速している――



 そんなことを考えながら着替えを済ませて、デスクで今日の持ち物を整えていた。

 といっても、合格証書と上履きと、筆記用具をバッグに入れるくらいしかなかったけれど。


 そうしていると扉をノックする音が聞こえた。



「葵」


 姿を見せたのは栞だった。

 声だけで分かる。


 後ろには手を引かれた綾もひかえていた。



「じゃーん! どうかな?」


 おれがふたりをみとめると、栞はその場でひらりと一回転してポーズをとってみせた。

 動きにあわせて膝上丈のスカートがふわりと膨らんだ。


 紺青の上着にスカート。

 前開き3つボタンのセーラー服で、タイはない。

 襟と胸当てに1本白いラインが入っている。


 蓬高校女子の制服は、シンプルだからこそ洗練されているというか、理知的なハイセンスさを感じさせた。


 無論、綾と栞に似合わないはずがない。

 あたらしい制服はふたりをぐっと大人びた姿に見せた。



「すっごく似合ってるよ。ふたりともとびきり可愛い」

「ふふん。そうでしょ?」

「写真とってもいい?」

「ええっ、写真っ?」

「もちろんだよ」


 ちょっと自慢げな栞とはずかしげにうろたえる綾に笑いかけて、ふたりの姿を交互にスマートフォンのカメラにおさめた。



 いつ見てもドキリとする、透明な美貌。

 見つめられると息がつけなくなって、あきれて言葉も出なくなってしまうほど、ふたりは美人だ。


 それに、最近買い替えたスマートフォンは、被写体を自動で検知してピントをあわせてくれる。

 特別な操作はなにもせずに、すぐにでも写真集として売り出せてしまいそうなスナップショットがフォルダを埋め尽くしてしまった。



「綾も、すごくきれいだよ」

「ありがとう」


 綾の奇跡みたいな笑顔も、いくつもカメラで切り取られた。






 ちょっと早めだけど家で昼食をとって、蓬高校のある市内へと里香さんの車で向かう。


 里香さんはおれたちの入学式のために1日休みをとってくれていて、父さんは仕事場から直接学校にきてくれることになっていた。

 萌と麗さんは家で留守番だ。


 市内までは車で1時間くらいかかる。



 4月とはいっても、北日本ここではまだ気温は10度を下回るほど寒くて、外の空気にはまだ冬の冷たさが居残っている。

 家の周りの道端にはよごれた雪のかたまりがいくつも溶け残っていた。



 出歩くにはまだ厚手のコートが手放せない。


 真っ白なダッフルコートを身にまとった2人もまたそれは優美な立ち姿だったけど、せっかくのセーラー服が膝上まで隠れてしまった名残惜しさがすこし上回った。


 あの初々しい制服姿を撮っておけたのは、実はあとになってみれば貴重な機会であったのだ。



 学校は車の乗り入れが禁止なので、やむなく中心駅前のコインパーキングに駐車して歩くことになった。


 学校までは北東方向にだいたい歩いて20分くらいかかる距離だ。

 けれど、仕方ない。


 栞は、明日からの通学で迷わずに済むと言って、先頭にたって元気に歩を進めていた。



 蓬高校があるのは駅の東側で、歓楽街やオフィス街や城址公園がある西口側と違って、基本的にはずっと住宅地が広がっている。


 道端には、おれたちの家がある高尾町とは違って海沿いだからか、雪はほとんどない。

 空は、晴れ空に雲がぽつぽつと散らばっていて、のどかな日差しの中で歩いていると体がぽかぽかしてくるようだ。



 道行く人のなかには、同じ方向に向かって歩道を歩くフォーマルな格好をした大人と生徒の組み合わせが何組かいた。

 一帯にはほかにも何校か高校があるから、みんな入学式に向かっているんだろう。



 駅の方角から教育大の正門と陸上トラックを挟んでのびる通りは「学園通り」という名前で呼ばれていて、しばらく進んだわきにあるグラウンドから細い路地に入ると、蓬高校の校門がある。


 三叉路のガードレールと道路の白線が両手を広げるように学校の敷地からのびていた。

 校舎は高台の上に建っているので、ここからではまだ見えない。



 校門から先はつづら折れになっていて、左右から覆いかぶさるように何本も木の枝が伸びていた。


 皮の模様からたぶん桜だとわかる。

 が、寒々しい細枝を空にかざすばかりだ。


 この土地では、まだ桜の花が咲く季節には早かった。



「実は私、立ち入るのははじめてなのよ。高校から上京してしまったから」


 里香さんの視線の先には、新入生とその親御さんたちが歩いて坂道を登っていく後ろ姿が何人も見える。

 だいぶ余裕を持ってたどりついたはずなのに、さすがに市内の高校になると人数も多い。



 「入学式会場」と書かれた白い立看板のそばで記念写真を撮っている家族もいる。



「ボクたちも並んで写真とろうよ。まだ時間は大丈夫だよね?」

「そうね、いいわよ」

「ほら葵!」


 栞に手を引かれて、前に撮っていた女子生徒がいなくなったところに3人で並ぶ。


 栞と綾が里香さんにスマホを手渡す。

 里香さんから手を差し出されておれも渡してしまった。


 ……いけない。


 いや。撮ってほしくないわけじゃない。

 だけど、さっき家で撮った綾と栞の制服姿がギャラリーに大量にあるのだ。覗かれないだろうか。


 しかし里香さんの手からスマホを取り返すわけにもいかず、おれは里香さんの表情を伺いながら内心冷や冷やしていた。



「3人とも棒立ちよ。もっと写真写りを考えなさい」


 里香さんが顔をしかめるとすかさず隣から栞が抱きついてきて、一拍おくれてその反対側から綾がためらいがちに手を握ってくる。

 おれはふたりに挟まれ、硬直した状態のまま何枚も切り抜かれてしまう。



 ……それにしても、駅からここまで歩いてきて改めて思ったけど、おれたちに集まっている周囲からの視線が尋常ではない。


 綾と栞の、この世のものと思えないような絶世の美貌とオーラに、今も足を止めて遠巻きに見惚れてる人が何人もいるのだ。


 女子生徒からは妬みさえできないほどの羨む視線をおしげもなく送られて、男子からは……考えたくもない。

 衝撃をうけてぽかんと口を開けて呆然と立ち尽くす人さえいる。



「撮ったわ、こんな感じでどうかしら」

「うーん……ちょっと髪がおかしいかも。それに、カメラが斜めになってない?」

「なってないわよ。まっすぐじゃない」


 里香さんは周囲に気にも留めず、綾と栞は……たぶんあんまりわかっていないまま、里香さんの手の中の画面に視線をあつめていた。


 そこ息を止めて写っているおれは、栞とは言わずもがな、綾とも想像以上に距離の近づきあっていた。



 これは……仲の良い兄妹、の範疇だろうか……

 どうみても恋人どうしの距離感じゃないか?


 こんな、超絶的な美少女に囲まれたおれは周囲の目にこれからどんなふうに映っていくのだろうかと、おれはひとり空恐ろしい感覚に背筋を泡立たせるしかなかった。



















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