#0050 桜家にご招待 (2)






 このへんの地区には細い道路に沿って大体20戸ほどが点在している。

 地区の真ん中から南側にかけて広がる木立……というか、ほとんど杉林といっていい中におれと父さんが暮らす家はあった。


 道路沿いの車庫の前のスペースに車をとめ、その左脇から木立に分け入っていくように伸びたコンクリートの白い舗装が玄関まで続く。

 木陰の中の小道は昼間でもすこし薄暗い。



「新しい家がこんな田舎なところで、なんだか申し訳ないです」

「いいところじゃない。ほんとうに森に囲まれてるのねえ。よく見ると庭の木もちゃんと剪定されてて、手入れされてるのね」

「あんまり見ないでください……よく見ると、結構荒れてるんです」

「そうかな? 緑が多くって、とっても綺麗じゃないか」


 道は車庫の後ろ側に降りていくように下り坂になっていて、その傍はすこし開けたようになっている。

 そこは周りの杉林とは違った背の低い植木の枝が丸く茂っていた。


 うちの広い敷地を感心したように左右に眺める3人。

 栞の「わぁ~」という声がきこえてくる。



「ここは元々おれのじいちゃんが建てた家で、庭の木とかもその頃からのものがほとんどなんです。引き継いだは良いんですけどやっぱり大変で、手の届く範囲しか手入れができないんです」

「……盆栽もあるよ。あれも葵が育ててるの?」


 道路から家の玄関まではだいたい40メートルくらい。

 その中ほどまで歩いた左手の少し高いところに鉢がが5つほど並んでいて、雨よけの古い屋根がかけられている。



「それもじいちゃんがやってたものらしいよ。おれはただの見様見まね」


 おれは綾や栞や里香さんの前を歩いていた。



「じいちゃんはおれが生まれる前にもう死んじゃってるんだ。それから暫くはばあちゃんが家の手入れをしてくれてたんだけど、ばあちゃんも亡くなっちゃったから……」

「……」

「だから、ばあちゃんが残してくれたこの家をなんとか残したいんだ。けど、おれが子供のころはもっと綺麗だった気がするし……ほら、あそこに小さな池があるんだけど」


 おれは家のすぐ脇、今立ってるところからはちょっと遠くにある大きな石に囲まれた水たまりを指さして見せた。

 放置された水は濁っていて、周りの石には苔が生えている



「昔はあそこで金魚が泳いでたんだよ。夏祭りで掬った金魚を飼って、ばあちゃんとお世話してたんだ。でも中学に入るころには……おれひとりで池の手入れとかするのも大変で、ばあちゃんが死んでから、なんとなく億劫になっちゃって」

「葵……」

「ごめんね。なんだか急に湿っぽい話をしちゃって」

「葵くん。それ、わたしもやりたいな」


 振りかえると綾もおれのほうに歩み寄っていた。



「ダメ、かな」

「ううん、ダメじゃないよ。けど、庭の手入れは広くて大変だし……」

「……わたしとお買い物してくれた時、葵くんがいろんな野菜育ててるのを教えてくれたの、おぼえてる?」


 綾は胸に手を当てて、あの時のやりとりを思い出していた。



「わたしも、おうちの庭で家庭菜園やってて、イチゴとか育ててるのやってるの。葵くんが、わたしに使わせてくれるって聞いて、嬉しかったから……」


 勇気を出したように前に出て、「このお庭のことも、わたしも葵くんと一緒にやってみたい」って言ってくれた。

 そして栞も。



「ボクもやりたいよ」


 木々の間を抜けるそよ風に2人の綺麗な黒髪が流れていて、天使とお姫様みたいな2人の女の子がおれに微笑んでいた。


 まるで薄暗い中で咲く花のように綺麗だった。

 おれは胸がじんとした。



「ありがとう」


 おれは何故かすこしだけ泣きそうだったのを何とか堪えて、すぐそこに見えていた玄関まで3人を案内したのだった。






「大きな家ねえ。本当にうちより大きいのね」

「ええ、まあ……あちこち古くなって、リフォームしないかっていう話もあるんですけど」

「立派な瓦屋根だし、純和風って感じ」

「うん」

「中身はそうでもないです、大部分はフローリングですし。さ、外は暑いし上がってください、雑にくつろいでもらって大丈夫です」

「いったいどんな悪いことをしてるのかしら。きっと粕谷以上の悪党にちがいないわ」

「悪党じゃないですよ……じいちゃんは県庁勤めだったんです」

「悪代官だったのね」


 もともとうちは代々の農家だったんだけど、おれのじいちゃんは――当時の農家の長男としては相当異例なことに――東京の大学を出て県庁に就職していた。

 そしてそれなりの偉い役職まで出世して、この家を建てたのだ。


 その頃はもう農業をする人間がうちにはいなかったので、うちが持っていた田んぼや畑も大部分を売ってしまって財産があったのだとか。



「それじゃ、おじゃまするわ」

「お、おじゃまします」

「綾、大丈夫?」


 緊張気味にサンダルを脱ぎかけている綾がバランスを崩しそうだったので手を差し伸べたら、綾はびっくりして頬を染める。

 手を重ねる時、非常に可愛らしい表情が見れた。


「あっ……うん。ありがとう」

「……ボクには手を貸してくれないの? 葵に告白したのはボクなのに」

「ごめんごめん。栞の気持ち、忘れたわけじゃないから。はい、お手をどうぞ」

「あっ……ん♪」


 栞とは両手を繋いで家に上がってもらった。

 そしてそのまま軽く抱きつかれる。栞の良い匂いが鼻孔をくすぐった。



 ……そんなやりとりを見ていた里香さんは、くすりと口角を上げる。



「葵くんも罪な色男ねぇ。娘たちともうこんなに心を通わせてるなんて」

「――――」

「わっ、わたしはそんなんじゃないよ……っ」


 里香さんの視線を感じて栞はバっとおれから離れた。

 綾だけが里香さんに反論して、おれに告白まで済ませてしまった栞は何も言い返せなくて俯いていた。


 おれも、里香さんの視線に途端に恥ずかしくなった。



「ふたりとも頬を赤くしちゃって、かわいい」

「か、母さん!」

「……っ」

「あ、あはは……どうします? まずは家の中を一通り見てみますか?」

「露骨な話題変えね」

「ぐ……」

「ぼ、ボクは葵の部屋を見てみたいよ!」

「栞!?」

「落ち着きなさい。さすがにそれは早いと思うわ」


 おれ以上に気が動転してる栞がとんでもないことを言い出すのを制止して、里香さんは「そうねえ」と人差し指を口元に当てた。



「まずはご挨拶がしたいわ」






 ――里香さんの意図を聞いて案内したのは、玄関から入って左手の奥にある、和室。


 15畳ある広々とした部屋は、おれが子供の頃はよく親戚が集まっての食事なんかもしていたところだ。

 床脇にはじいちゃんが貰った感謝状やら、政治家の揮毫やら、ゴルフのトロフィーなんかが並んでいる。


 その横……入口の襖の正面に向かって物言わず佇む仏壇に、3人は並んで手を合わせたのだった。



「……」


 畳の上に正座して、無言で目を瞑る里香さん。それに綾、栞。

 じいちゃんとばあちゃんの遺影が並ぶ前に、お線香の細い煙がのぼっていた。



 ――葵くんのお母さんは、ここにはいないのね。

 とか、思ってるのかな……



 どうしておれに母さんがいないのか、父さんはおれに語ったことはない。

 けれどここに母さんの写真がないから、死別ではなく離婚なんだろうと、なんとなく察している。


 父さんはどんな思いで、おれを引き取って育てることにしたのだろう。

 そんなことをたまに考えたりもする。


 どちらにせよ、おれには母さんの記憶も思い入れもない。


 おれにとっての家族は父さんと、もう死んでしまったばあちゃん。

 それに、これからは里香さんたちも加わるんだ。

 賑やかになるだろうな……


 そんなことをぼんやり考えていると、誰ともなく3人はゆっくりと目を開けた。



「ありがとう。一史君のご両親に挨拶できてよかったわ」

「いえ、おれのほうこそありがとうございます」


 おれと父さんがとても大切にしているところに、3人とも敬意を示してくれて、おれは嬉しかった。

 きっと良い家族になれると、そう思った。



「それで、どうしよっか……さっそくピアノのある部屋で歌ってみる? それとも少し休憩したければ、お茶でも淹れてくるけど」


 3人がで立ち上がったタイミングで提案してみた。

 栞はにっと笑った。



「歌おう! というかボクは葵のピアノを聴きたいよ。ね、綾も良いよね」

「う、うんっ……お願いしてもいいかな?」


 食い気味に反応する栞に、やっぱりすこしドキドキした様子でおれを見つめる綾。

 それにしても、相変わらず物凄く可愛い……



「……葵くん?」


 2人に思わず見惚れてしまっていたおれは慌てて返答した。



「もちろん。じゃあおいで、案内するよ」

「やった」


 2人から視線を向けられて、心を通わせてるんだという実感が湧いた。

 頬が緩んでしまうのが止められない。


 3人が荷物を和室の隅におろしている間にどうにか胸の高鳴りをおさえて、おれは3人を練習部屋まで案内した。

 といっても和室すぐ前だ。


 玄関を入ってすぐ左にあるのが今はもう使ってない応接室で、その隣がピアノの練習室になっている。



「応接室なんてあるの、うち以外にはじめて見たわ……」

「今は完全に父さんの物置き部屋ですけど……というか、里香さんも来るんですか? あまり面白くないと思いますけど」

「私も葵くんの演奏聴いてみたいの。ダメ?」

「……もちろん、ダメじゃないです」


 里香さんは一瞬、鋭い眼差しをおれに向けたのは、きっと気のせいじゃない。

 綾や栞に感じるドキドキとは全く別の、ピンと張り詰めたシリアスな緊張感をにわかに感じた。



 ああ……相手が綾と栞だけなら気楽に弾けたのにな。

 思わず天を仰ぎたくなった。


 ――里香さんがかつて全日本のコンクールで優勝して、海外でも活躍してたピアニストだったことを、ついこの間偶然知ってしまったから。



 そんな人を自分の練習部屋に招き入れるのはとても奇妙で、現実感がななかった。



「ここがピアノを置いてる部屋です。まあ、適当にくつろいでください」


 3人を廊下から室内に招くと、栞はさっそく部屋の内装を興味深く眺めていた。

 綾もそれに遠慮がちに従っていた。



「へぇ……こんな風になってるんだ。なんだかこの部屋だけヨーロッパ風って感じ」

「なんだか雰囲気がぜんぜん違うね……」


 ――ピアノがあるせいであまり広くない部屋。


 部屋の真ん中にはもちろんグランドピアノ。

 部屋の入口そばには、ビロード生地がすこし擦り切れ気味のソファ。

 アンティークの物書き机、足元には毛皮の絨毯。


 ほとんど貰いものばかりの家具たちに合うよう、この部屋だけはカーテンや照明もレトロなデザインを選んでいる。



 部屋の隅にはもう一台アップライトピアノと、あとは天井まである大きな本棚に古い楽譜やら本やらCDなんかが並んでいた。


 ……じいちゃんが貰ってきたという油絵も飾ってある。

 これは昔、この部屋がばあちゃんの寝室だった時からここにあるものだった。



「……母さん、どうしたの?」


 栞の声に振りかえると、里香さんだけが廊下に立ったまま踏み入れようとしていない。

 落ち着いた物腰の里香さんは珍しく、驚いたように目を開いて立ち止まっていた。


 おれとピアノの方とを交互に見ながら、思いがけないといった様子だった。



「葵くん。あなた……吉川先生のお弟子さん、だったの?」


 ぽつりと尋ねた里香さん。

 その言葉に、綾も栞も「えっ……?」という表情を浮かべた。



 おれはいちど目を閉じてから――気持ちを落ち着けて、里香さんをじっと見据え答えた。




「はい」


















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