#0049 桜家にご招待 (1)
莞戸川中の合唱練習があわただしく始動したすぐ次の日。
おれはまた待ち合わせをしていた。
かつてないほど忙しい夏休みだ。
いつもはもっと家でのんびりしているのに、今年はやけに外出が多い気がする。
そんなことをぼんやり考えながら、いつものように電車で市内へと赴いて、中央改札から出る。
「あおい~っ」
屈託のない笑顔で手を振る栞。
その隣には、おれを見つけて微笑みかけてくる綾の姿。
今日はある目的があって、2人ともおそろいのTシャツを着たラフな姿だった。
綾はミニスカート、栞がショートパンツ姿だ。
天使とお姫さまみたいな2人の美貌は遠目からでも周囲から隔絶していて、開きかけのつぼみのようなオーラに視線が集まってっていた。
「ごめんね、いつもいつも待たせてしまって」
「葵は電車の時間に縛られているのだから仕方ないよ」
瞬間の胸の高鳴りをどうにか沈めて、2人と合流した。
にっと笑って出迎える栞。
少し緊張ぎみにも見える綾。
……相変わらず清楚そのものな雰囲気だった。
「おはよ、綾。あのショッピング以来だね」
「葵くん……あの、今日はありがとう」
「ううん、おれも今日は楽しみだったよ。2人に家のお披露目で、ちょっと緊張してるけど」
何気ない言葉を交わすと綾もほっとしたように微笑んで。
ああ……美少女すぎる。
眩暈がするほどの可憐さだった。
今日は、2人と里香さんをおれの自宅にお招きすることになっていた。
――綾とのショッピングの折。
綾たちの通う学校でも、校内の合唱祭があるのだと知り。
そして、綾がソロパートを歌うことを聞いて、おれはその練習に付き合ってあげることを約束したのだった。
綾たちの場合も、お盆明けからクラスの練習が本格化するらしかった。
今日は早速、ピアノのあるおれの家に来て何かやろうということだった。
それで今日は3人とも歌いやすい服装というわけだ。
「わたしも、ちょっとドキドキしちゃってるの。男の子の家に行くのってはじめてだから」
「お互いさまだね」
「……今日の服、こんな感じでいいのかな。へんじゃない?」
「全然へんじゃないよ。すごく似合ってる」
「そ、そうかな……」
綾は恥ずかしそうにはにかんだ。
純真な綾が照れる姿は、直視できないくらいの可愛らしさだった。
「綾ほどの美少女なら、何を着ても似合っちゃうね」
「あ、葵くん……っ!」
「ちょっと葵、ボクが見てる前で綾を口説かないでほしいな」
「あはは。そう言う栞も、すごく綺麗だよ。可愛い」
「……もう、可愛いって言っておけばボクのゴキゲンがとれると思ってるでしょ」
そう言いつつ栞がおれを見つめる視線は、なんだか嬉しそうに見えた。
「紛れもない本心だよ」
「本当に?」
「もちろん。おそろいだけど水色と白で色違いなのも、2人のイメージにピッタリだし」
「……そういうことなら。素直に受け取っておくよ」
ありがと♪ と栞はおれに腕を絡めたのだった。
栞の、小柄で柔らかな感触が……
「あっ……葵の良い匂いがする。前に綾が言ってたみたいに、ほんとに甘くてふんわりしてるよ」
そう言っておれから離れると、今度は綾を手招きして抱き合った。
「ね? ほら」
「栞……こんな外で、恥ずかしいよ」
「いいじゃん、双子なんだし」
囁きあう綾と栞。
紅潮したお互いの顔が、息がかかりそうなくらい距離が近くて。
薄手のシャツ越しにふたりの胸元が柔らかく潰れてるのが見えて。
見てるだけで鼻血が出そうなくらいえっちな光景だった。
「葵の匂い、ボクからもするでしょ?」
「う、うん……」
言ってる台詞が台無しだけど……
ちなみに、栞と里香さんがそれについてくるのは完全に便乗だ。
まあ栞とは、前々から演奏を披露してほしいと言われて、おれもそうしたいと思っていたし、……栞からあの熱烈な告白を受けた後、もっと仲を深めるのにもってこいの機会だった。
里香さんまで来るのは想定外だったけど、親同伴なら万が一にも間違いが起こるなんてことはないだろうという安心があった。
いや、もちろんそんなことするつもりは無いけれど、……先日の旅行で、朝のベッドの中で栞から告白されたときは、とても危ういところまでいっていた。
あの時おれは間違いなく栞に絡めとられかけていた。
今日はさすがに、あんな状況にはならないと思っている。
「そうだ。葵に伝えておかないといけないことがあるんだった」
思い出したようにおれに向き直る栞。
何かと思えば、父さんと里香さんの結婚に最後まで態度を決めかねていた四女の麗さんが、ようやく結婚に同意してくれたらしい。
「そっか。じゃあ、本当に一緒に暮らしてくんだね」
「いつ籍を入れていつ引っ越すか、とか、具体的なことはこれから決めていくと思う。けど、ボクは嬉しいよ。葵とひとつ屋根の下なんて、夢のようなんだ。……想像しただけでドキドキする」
先日の告白の後から、栞はおれへの思いを恥ずかしげもなく口にするようになった。
とてもくすぐったい。
「おれも気を引き締めないと。女の子と暮らしたことなんてないから、栞やみんなに幻滅されないか不安なんだ。それに……」
「それに?」
「……麗さんもうちに来るってことだから。できればおれも力になりたいけど、でも何より負担にならないようにしないと」
「……」
「……綾?」
そのとき綾は、何かを思い出したのか、ふと浮かないような表情をしていたように見えた。
声をかけたら「なんでもないよ」って手を振って答えたけど。
気にしすぎ……?
そしておれたちは、駅の東口――住宅地が広がってる方の出口から出て、ロータリーで停車してた大きなSUVに乗り込んだ。
おれは運転席の里香さんに挨拶した。
「おはようございます。今日は送迎おまかせしてしまってすみません」
「いいのよ~。その代わり、道案内よろしくね」
今日はいったん駅で集合して、里香さんの運転でおれの家まで向かうことになっていた。
里香さんは、おれと父さんが暮らす家に来るのは今回が初めてなので(当たり前だけど……)、おれは助手席で案内役をすることになっていた。
それにしても、里香さんは意外に大きな車に乗るんだなあと思ったけど、娘が4人もいるからこうならざるを得ないってことだろうか。
車が走り出してすぐ、栞は不満そうに口をとがらせる。
「むぅ。なんで葵は助手席なんだ。この車なら後ろに3人座れるし、道案内だって後ろからできるじゃないか」
「運転してるあいだ娘のイチャイチャを延々見せつけられるのはゴメンよ」
「娘の恋路を邪魔するなんて無粋だよ」
「私が羨ましくなるからダメよ」
「あはは……」
おれが目の前にいるのに、こんな会話を平然とできるのか……
それに里香さんは、栞がおれに抱く気持ちを知っているらしかった。
「私だって葵くんと話がしたいのよ。これから義理とはいえ息子になるもの」
おれが交差点で右折するよう示して、大きな幹線道路に入った車はぐんぐんスピードをあげた。
おれが暮らすのは市内ではなく隣の高尾町というところで、だいたい車で40分くらいかかる。
「葵くんは、麗がようやく私たちのことを承認してくれたって話は聞いたのよね」
「はい、さっき聞きました」
「そう。麗のことは聞いてるの?」
里香さんは前を走る車から目を話すことなくおれに短く問いかけた。
いきなり麗さんの話題を振られ、おれはすこし考えて言葉を選ぶ。
「……以前、なにか大変なことがあってから、家から出られないと聞いてます。男の人が怖いということも」
「そう」
里香さんがおれに何を言うのか。
言葉を待つ間、おれも後部座席の2人も緊張していたと思う。
「娘たちからそんな話をされて、不安になってるでしょう」
「えっと……まあ、はい。うまくやっていけるかな、という気持ちはあります」
「大丈夫よ。ちょっと手がかかるけど、麗は普通の女の子と思えばいいわ」
「……普通の女の子、ですか」
あっけらかんとした物言いに、少し肩透かしを食らう。
「あの子は今、心と身体が思うようにならなくなって、結構思い悩んでるの。けど、それはあの子のほんの一面に過ぎないのよ」
「どういうことですか?」
「なにも、24時間ずっと塞ぎこんでるわけじゃないの。眠ってる間や本を読んでいる時は、当時のことをきっと忘れている。美味しいものを食べたら笑ってくれるし、私が変なことを言うと呆れてくれる。学校には行けていないけど、勉強もしているわ」
「……綾、さんが勉強を教えていると、聞きました」
「気を遣わずに普段通りに呼んでも良いのよ? ……そうね、麗が学校には行けてたころは仲のいい友達もいたし、男の子からの告白に戸惑って相談もされたこともあったわね」
「……」
「感受性の豊かな子よ。何も特別なことなんてないわ。大切な家族よ」
赤信号で車を停止させると、里香さんはちらとおれに視線を向けた。
静かで落ち着いていて、少しだけ真剣な表情だった。
「きっと、腫れ物みたいに扱われる方が悲しいことだってあると思うの。だから、ほかの娘たちと同じように接してあげて? いずれ、葵くんとも顔を合わせる時がきっとすぐ来るはずだから……それに、葵くんはあの子が接する最初の男の子だから、仲良くなって、力になってあげてほしい」
「おれは……、おれなんかが力になれるんでしょうか」
「できるわよ。何たってわたしの娘のひとりを恋に落としてしまったんだもの」
「……」
栞が頬を赤らめているのがサイドミラー越しに見えた。
「優しいお兄さんになってあげて」
「……もっと、教えてもらえませんか。麗さんのこと、まだ全然わかってないです」
「いいわよ~。最近の麗のことは綾のほうがよく知ってるけど、母親だって麗のことはたくさん知ってるんだから」
青信号でふたたびアクセルを踏み出しながら里香さんはそう言った。
それから里香さんは、深刻な話をあえて避けつつ教えてくれたのだった。
「麗はほかの3人に負けず劣らずの美人よ。栞にとってはライバルね」
「ちょっと母さん!」
「そんなことを聞かされておれはどう反応すれば良いんですか……」
「あら、喜べばいいじゃない」
「……麗は、わたしよりも髪が長くて、腰くらいまであるの。背は低めなんだけど」
「おっぱいは大きいわよ。なんなら栞より」
「わーわー! 葵! 聞いちゃダメだっ!」
「…………」
「麗は4人の中でいちばん私に似ているわ。内気で引っ込み思案なところも、私にそっくり」
「里香さんが内気……?」
会話はなおいっそう賑やかになるのだった。
出発して15分ほどで、窓からの景色は既に市街地から郊外へと移り変わっていた。
片側2車線の県道を里香さんは華麗に飛ばし、広大な8月の田園地帯を貫くように平野部を南下していた。
左手に日赤病院の巨大な建物が遠くに見える。
そして、国道との立体交差をくぐり、さらに先にある大きな橋がおれと父さんが住む高尾町との境界だった。
父さんの車に乗って何度も通ったことのある道。
しかし、初めて乗る賑やかな車の助手席で、しかも里香さんと綾と栞に囲まれてという状況はそわそわと落ち着かなかった。
そうして、やがて町の中心部までやってきた。
「そこの信号で右折してください。いま左手にみえてるのが町役場です」
「このあたりが
「そんな大したものじゃ無いですけど……このまままっすぐ進むと空港です」
「空港が近いのは萌にとって良いかもね。あの子しょっちゅう東京に行くから」
「駅とスーパーも直進です。どっちもちっちゃいですけど」
おれの家のあたりに行くには、右折した先にある大きなトラス橋で川を渡ることになる。
海沿いの市内から川をさかのぼる方向にここまで来たけれど、その川幅は100mはゆうにあった。
町の象徴の大河は今日も豊かな水量が緩やかに流れていた。
車はその古い橋を通って左岸へと渡り。
広い畑と点在する集落を交互に縫うように、細くなった道を進む。
――やがて車窓の右側に、ちょっとした雑木林広がり始めたところ。
薄暗い木陰にシャッターを閉ざしてぽつんと立っている2階建ての車庫を指さして、おれは里香さんに告げた。
「ここです。父さんは昼間は帰ってこないので、入口を塞ぐように止めちゃってください」
おれと父さんがすむ家は、木々に囲まれた中にあった。
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