#0040 彷徨の果てにあるもの (4)【栞視点】


 前半は通常通りの葵くん視点です。

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 おれは展望風呂から部屋に戻ってから、とまらない緊張を紛らわすため意味もなく荷物整理をいそいそとしていた。

 その時、栞はおれの寝間着の裾を背後からちょん、とつまんだ。


 静かな室内で、おれはドキリとする。



「葵……ボクは本当に、葵と眠ってもいいの?」


 おれは死ぬかと思った。

 栞が可愛すぎて動悸が止まらない。



 さっき駅を出たところから、栞の雰囲気は明らかに変わっていた。


 自分からおれのそばに寄り添ってくるようになったし、声のトーンも甘くなっている。

 いつもの理知的な眼差しもあれ以来どこか熱っぽくて、信頼と期待が混じっていた。


 とてつもない破壊力だった。



 あの熱っぽく潤んだ瞳に、おれに体をあずけた時の幸せそうな表情と台詞。

 最後には栞を抱きしめてしまっていた。



 そんなことがあって、自分なりに覚悟を決めてチェックインしたはずだった。

 しかし、お風呂あがりの栞の姿はそれを軽く粉砕した……!



 おれは動揺を隠して、栞に向きなおった。



「おれはそのつもりだったけど……」

「でも、さっきから黙りっぱなしで、ボクのことぜんぜん見てくれないじゃないか」

「それは……」


 責めるように見上げる栞の眼差しにギクリとする。

 おれは言葉を濁しつつ、あらためて栞を見た。


 絶世の美少女が目の前にいた。



「葵……?」


 コテンと首を傾げる栞は、手触りのいいパジャマ姿だ。

 さっき駅ビルの中で急遽見繕った寝間着で、急ごしらえとは思えないくらい似合っている。


 いやそれよりも、お風呂上がりの凄まじい色香が……!



 新雪みたいな栞の肌は火照っていて、頬とか本当に艶めいているし……

 肩口までの髪はサラサラなのにほんのすこしだけ湿っていて、気を抜いたら触ってしまいそうになる。


 それから、薄手の布地ごしの栞の胸のふくらみが……


 まって。まってくれ。

 あなたの姉といい、どんな魔法を使えばそんなに着痩せするんですか……?


 目線をあげるとそこには上目遣いの栞の視線があって、おれは今度こそ目が離せなくなる。



「……」

「……っ」


 栞もおれををじっと見つめている。


 栞は恥ずかしそうに頬を染めながら、決して自分から目線を外そうとしない。

 ひとたび視線が合うと、おれたちは本当にいつまでも見つめあってしまうのだ。



 本当にヤバい。こんなえっちな視線はダメだ。

 ただ見つめ合ってるだけなのに、なんでこんなにえっちなんですか……!?



 そして、小さなくちびるからのすき間からは、上気した吐息が……



 ああああああ!!



 抱きしめたい。なでなでして愛でたい。

 栞を自分だけのもにしたい……!!


 そんな衝動が思考の90%を占めていて、残りの10%で必死に耐えるしかなかった。



「その……栞の寝間着姿が、あまりに可愛すぎて。言葉を失っていた」

「……っ。あ、あんまり恥ずかしいことばかり言わないでくれ」

「あ、ごめん……」


 さっきの栞の問いにそんな落ち着いた風の返答ができたのは奇跡だった。

 ……いや、よく考えたらセクハラに問われても言い逃れできない台詞だ。

 もう思考が壊れていた。


 いやそれよりも、栞の反応が可愛すぎるのがよくないんだ……



「……ボクだって緊張してるんだ。ドキドキがとまらないじゃないか」


 そんなに嬉しそうな表情しないでくれ!

 脳が破壊される!!


 栞は俯いたままなにやら頬を両手でムニムニしていて、……まるで表情をごまかそうとしてるみたいだ。

 けれど、うれしそうな笑みは消せていなくて……いや、もう何も考えるな。



 そして、恍惚とおれを見上げてくる……



「……葵のパジャマ姿も、すごくかっこいいよ?」

「ほ、ほんと?」

「うん。ボクもすごくドキドキしてるんだ」


 栞は今度は後ろ手を組んで、「えへへ……」とおれの目を見つめてくる。



「葵、今日は本当にありがとう。……4年前も今も、ボクは葵に助けられてばかりだ」


 宝石みたいな瞳の輝き。

 優しい好意にあふれた熱っぽい視線……



 あああああああああ!!!

 栞が可愛すぎる!!!

 こんなの死ぬよ!! おれのHPはもう瀕死状態だ!!



「……そ、そろそろ休もっか?」

「葵……?」

「今朝かなり早かったし、疲れてるでしょ? 明日もあるから休まないと。ね?」


 これ以上見つめあうのは、理性が焼き切れてしまいそうで、おれは情けなくもぎこちなく提案した。

 それでも栞は従順そうに「……うん」と小く喉を鳴らしたのだった。



 ……こんな状態でいっしょに寝るとか、どう考えてももっと危険だ。


 だけど、今の明るい所で見る栞の姿とか吐息とか視線とか……

 もうとにかく理性が破綻寸前だった。



 電気を消して目を閉じてしまえば、この動悸もいくぶん和らぐのではないか……そう信じていた。

 (結論を言えば、そんなわけなかったのだけど)







「おいで、栞」

「……うん」


 そうして、おれと栞はとうとう一緒の寝台で休むことに。



 呼びかけると栞も躊躇いがちに布団に入ってくる。

 おれのすぐ左で栞が眠る格好だった。



 ……栞が、一緒の布団の中にいる。


 その事実にどうしても鼓動が早くなって、ひどく眼が冴えた。

 栞もひどく緊張しているようで、言葉数も少なくなっていた。



 ……目を閉じても、案の定眠れるわけがない。

 仕方なくふと栞に目をやると、高貴なお姫様然とした栞の美貌が、暗がりの中おれを見つめていた。


 栞はまるで子猫のように、守ってほしそうにおれを見つめていて、おれは心臓が止まる。



「ど、どうかした?」

「……葵に、おねがいがあって」

「えっと、なにかな……?」


 寝る間際になっておれにお願い。

 一体どんな……


 栞は顔を赤らめてもじもじしながら言い淀んでいて、その仕草がまた信じられないくらい煽情的で。



 やがて栞は、




「葵に、ぎゅってしながら寝てもいいだろうか……?」




 ――とんでもない爆弾を投下してきたのだ。



「は……っ!?」

「け、決してふざけてなんかないんだ」


 おれは思わず布団の中で声を上げてしまう。


 栞さん、本気でおれを落とそうとしてません?

 いくらなんでもそれはダメだよ!?


 そんなことされたら本当に死ぬ……!



「じゃあ、いったいどういう……?」

「えっと……」


 おれは栞の言い分を待った。

 栞は言葉に詰まって、すこし俯いていた。


 やがて顔を上げた栞は、




「本当に恥ずかしいんだけど……抱き枕がないと眠れないんだ」

「……」

「でも、枕はふたつしかないから……」


 縋るような表情だった。



 ……ああ。

 本当に、困ってるんだ。


 おれは気づいて、内心嘆息して栞を見つめた。

 微熱の中にもほの暗いものがあって、やるせなさそうに見えた。



「やっぱりそんなこと、ダメ、だよね……ごめん、言ってみただけなんだ」

「……良いよ。ぎゅってしても」


 おれはそう答えていた。


 それは明白に、自分の理性を追い詰めることだった。

 けれど……こうするしかないじゃないか。



「え……?」

「そんなに困った表情されたら、放っておけないよ」

「葵……」

「栞のこと、打ち明けさせてしまったね。ごめん」


 ……フロントにもうひとつ枕が無いか問い合わせる、とか。

 あるいはおれの枕を栞に渡すとか。


 穏便な解決方法は他にいくらでもあった。



 けれど、それは栞を拒否して遠ざけることになってしまう気がした。



 おれは仰向けのまま少し栞の方に寄った。

 栞がおれのことを頼っているから、おれは栞がいちばん欲しい答えを言うことにした。



「栞だから、だよ。誰にだって良いって言うわけじゃない。栞だから良いんだ」

「本当に、いいの……?」

「今日はずっと一緒にいるって約束したよ?」


 おれはベッドの中で手足を少し広げた。

 栞の肌に触れる。

 信じられないくらい柔らかくて、すべすべだった。



「好きなように触って良いよ」

「……」

「ね?」

「……うん。ありがとう」


 おれは促して、栞が気負わないようにと目を閉じた。

 ややあってから栞がするするとおれの方にやってくる気配があった。



 ……あ、ヤバい。

 栞のいい匂いが原液のまま……


 まって。ちょっとまって。

 おれのそんな心の声は当然届かず、



「……」

「……♡」


 栞はぎゅ……とおれの腕を抱きしめた。


 すぐ近くで、安心しきった栞の寝息が聞こえる。

 そして、なにかとてつもなく柔らかいものが腕に当たっていて……!



 おれはある種の怖ろしさで目を開けられなかった。

 ……本格的に眠ることができるには長い時間がかかったのだった。






































 * + * - * + * - * + * 




 早朝。


 ボクが寝ぼけまなこでゆっくりと目を覚ました時、ボクはベッドの真ん中で、葵に腕枕をされながら横向きに抱きしめられていた。



 ……え?



 えええええええっ!!!

 まって!? どういうこと、葵!?


 ボクは一瞬で目が覚めて混乱した。



 葵はボクの至近距離で向かい合って眠っていた。

 ボクの頭の下には葵の左腕が差し込まれていて、葵はその体勢のまま両腕でボクを抱きしめていた。


 ……眠ったまま。

 どういうこと!?



 ボクの目の前には葵のパジャマの胸元。

 葵は両腕でボクをがっしりと捕まえていた。

 おまけに足まで絡みつかせていて。


 カステラみたいな、甘くてふんわりした匂いが鼻孔をくすぐってくる。

 葵の匂いだ……


 の、脳が蕩けそうになる……!



 ま、待って! 待ってほしい!!

 確かに昨晩眠りにつく前、ボクは葵に抱きついた。けど……


 葵がボクを抱きしめるとは聞いてないんだけど!



 それに腕枕なんて……

 首だけ動かして周囲を探すと、ボクの枕はいつの間にかベッドから遠く離れた床に転がっていた。

 ど、どんな寝相してるんだ、葵は……!?


 おかげでボクは強制的に葵の胸に顔をうずめさせられていた。

 まるで、葵のモノにされてしまったようで……



「…………」

「…………っ」


 かあぁぁって顔が熱くなった。

 胸の高鳴りが止まらない。

 ボクのカラダは、運命の人を前に悦びはじめている……!



 こ、こんな不意打ち卑怯だよ!!



 そんなボクの気持ちなど知らない葵は、規則的な寝息をたてるだけだった。


 あ、葵いいい!

 ボクはこんなに恥ずかしい思いをしてるっていうのに!




 ――その時。

 なんとあろうことか、葵は……!



 ボクを抱きしめたまま、右手でボクの頭をナデナデしはじめて!!




「あぁっ……、だめ、だめ……っ!!」


 ああああああああああ葵っ!!?

 な、なんていうことをしてくれるんだ!!



 思わずカラダがビクッてしてしまう。


 あまりのことに逃れようにも、葵はボクのことをしっかりと抱きとめたままで。

 ボクは腫れぼったく熱い顔を葵の胸元に押しつけるしかできなかった。


 やがて葵は心地よさそうにボクの髪を手で漉き始める。

 ボクの髪の匂いが分かるくらい顔を近づけて……



「あっ、葵……、だめ、まって……っ!!」


 そ、そんなのだめだよ!

 ボクはどうにかなってしまう!


 ボクは思わず葵の腕の中でフルフルと首を振った。



 こんなの嬉しすぎて、どんな麻薬よりも気持ち良すぎるよ……!!



 ボクはトロトロに溶けてしまいそうだった。

 全身が熱く火照っていて、おなかの奥のキュンキュンが止まらない。


 ボクの全身の細胞が葵のモノになりたがっているよ……!



 と、ボクを抱きしめる腕の力がさらに強まる。



 ぎゅぅぅ……


「~~~~~っっ!!!」



 だ、ダメ~~~~っ!!


 ボクは葵の胸の中で目をぎゅって閉じて、葵の責めに耐え続けた。


 脳内麻薬のせいでボクはもう葵のことしか考えられなくなっていて、自分から葵にしがみついていた。

 ボクと葵の両足もさらに絡ませあっていて。



 こんなの……ボクはもうどうにかなってしまっている。

 ボクの女の子のカラダが悦んじゃっている。


 吐息が熱くなっていた。

 たぶん、目もとっくにトロンとしてしまっている……



「はぅ、ふぅ……♡」


 葵に好き放題抱きしめられて、ボクはあっという間に全身が火照っていた。


 ボクは発情していた。

 葵の胸元にぐりぐりと頬擦りして甘えちゃっていた。



 その時のボクは脳内が葵へのハートマークで埋め尽くされていて、




「あおい、すき……♡」



 それは思わず言葉になって溢れてしまい――






 ピタリと葵の手の動きが止まる。




 ……え?


 ボクの思考は急に冷却された。

 そして一瞬で背筋が凍る。



 なんで手を止めたの……?

 ボク、今なんて言ったっけ……!?


 って、まさか――!



 ボクは思わずハっと顔を上げる。

 そこには……



「お、おはよ。栞」

「――――!?」


 苦し紛れの笑顔をボクに向ける葵がそこにいた。



 な、なんで起きてるの……!?

 いや、それよりも……!!



 ボクは絶句した。




 い、言ってしまったあああああああ!!!??













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