#0041 彷徨の果てにあるもの (5)【栞視点】




「お、おはよ。栞」

「なっ……!?」


 朝のベッドの中。

 ボクを抱きしめたまま苦笑いをうかべる葵と目が合う。


 ボクはあまりにも混乱していた。



 ……よりによって、間違いなく葵に聞かれてしまった!


 その瞬間、ボクの頭を撫でる手が止まったし、なによりこの取り繕ったような笑顔が一番の証拠だった。



「い、いつから起きてたの……?」


 頭が真っ白のボクは、そう葵に尋ねるので精一杯だったんだけど……



「えっと……」

「……」

「……」

「……まさか、最初から?」

「………………」

「……――――!!」


 言いづらそうに目線を外す葵。

 その沈黙が葵の答えの全てをあらわしていた。



 ひえぇぇぇえええ!!  あ、葵!!?



 寝てるボクを抱きしめて、ナデナデして、あ、あ、あんなえっちな真似を!?

 てっきり葵が寝ぼけてるものだと思ってたけど、まさか、まさか………


 あんなことをした葵がまさか、最初から起きていた、なんて!!



 ボクはこの上ない羞恥で感情が爆発しそうだった……!



「~~~~っっ!!」

「その……」


 すると葵はばつが悪そうに、



「おれに抱きついて気持ちよさそうに眠ってる栞が、あまりにも可愛くて……我慢できなかったんだ」

「なっ……、なんでこの期に及んで恥ずかしいことが言えるんだ葵は!? そんなの……そんなの嬉しいじゃないか、葵のバカっ!!」

「えっと、栞……怒ってるの?」

「あ、あたりまえだよ!」


 葵はボクの声に押されて「あ、ごめんね……」とボクを見つめてくる。

 ……って、近い近い! なんでそう無意識に顔を近づけてくるんだ!


 ボクは顔から火が出そうだよ!



「おれ、最近ずっと早起きしてたから、実はかなり前から目が覚めたんだ。それで目を開けたらこの体勢で……、おれが起きた時には既にこう……抱き合ってたんだ」

「だからって……!」

「誓っておれが無理やり抱きついたわけじゃないよ。それで抜け出そうにも、栞を起こすのは悪いかと思って……でもその先はおれがすべて悪いね。栞が眠ってるって思って魔が差した。ごめん」


 そう言って謝る葵。

 申し訳なさそうにボクの目を見つめてくる。


 それでもボクのことをぎゅってしたままだ。

 ほ、本当に反省してるんだろうか……



 ……いや、そういうボクだって葵にしがみついたままじゃないか。

 ボクは葵の感触から離れられなかった。


 こんなに胸の奥がドキドキしている。



 ボクは口では怒ってるとか言っても、本心はとても悦んでいた。


 だって、葵がボクをこんな風にしたくてしたってことだ………

 嬉しくないわけがない。



「…………葵のことまともに見れないじゃないか。どうしてくれるんだ」


 ボクはそんな自分の気持ちを隠したくて葵の胸に顔を押しあてる。


 恥ずかしすぎて葵の顔が見れない。

 さっきからボクは頬が緩みっぱなしだった。



 そんなボクに、葵はためらいつつもまたボクの頭に手を置いてきて……



 ああっ、ボクが心を許してるって知った途端、葵はまたそうやってボクを甘やかすんだ……!


 なんでこんなに心地良いんだ。

 ふんわりと甘いいい匂いもするし……!

 ボクはまた蕩けてしまいそうだよ!



 ボクはそんな悪態ついた気持ちで葵の胸に顔を押しつけている時。



「それで……さっきの返事、だけどさ」

「――――っ!」


 葵はとうとうそのことに触れてきた。

 ボクは思わず身体を硬直させて、ベッドの中で葵を見上げた。



「ちょっとまってくれ!」


 ――返事。

 言うまでもなく、さっきボクが言ってしまった「好き」という気持ちに対する返答のことだ。


 でもあんな……うわごとみたいな告白に返事をされてはたまらないよ!



「まってくれ、葵。さっきのアレは……」


 どうしよう!? あんな正気じゃない状態で口走ってしまった台詞が、ボクの告白になってしまうなんて……!

 聞かなかったことにしてもらうべき? ここは忘れてもらって、あとで仕切りなおせば……


 いや。



「……もう、無かったことには出来ない、よ」

「……そうだね」


 昨日の地震に襲われたときと違って、ボクはもう決定的な言葉を言ってしまっていた。

 この期に及んで取り消すことは、ボクにはできなかった。


 じゃあボクはどうするべきか。

 ……ボクはとっくに分かってた。



「……だから、ちゃんと言わせてほしいんだ。ボクの気持ちを葵にちゃんと伝えたい」

「……」

「昨日ボクが言いかけたことの続き、いま言っても良いだろうか……?」


 そうだ。

 もうここまで来たら伝えないといけない。


 そう思って、ボクは葵を見あげた。




「……うん。わかった。聞いてるよ」


 ――葵は、優しい表情でボクを見つめていた。

 ボクの好きな葵の顔だった。



 ……なんでこんな機会がいきなりやってくるんだ!?

 こんなはずじゃなかったのに!


 鼓動がひどくドキドキする。

 のどはカラカラだ。


 葵と会う前から用意していたはずの告白の言葉も、まったく思い出せないのに。

 心の準備も全然出来ていない。





 けど、もう言うしかないんだ……


 緊張して……悲しくて、切ないけれど。

 もうこの気持ちを、隠したままではいられない。



 ボクは静かに深呼吸してどうにか気持ちを落ち着けて、葵と向き合った。


 そして………





「……ボクは葵のことが好きだ」





 緊張とは裏腹に、ボクの想いはすんなりと口から出た。


 葵ボクの言葉を静かに待ってくれていた。

 ……その優しい眼差しが、ボクの心を落ち着けていた。



「ずっと……ずっと好きだった。4年前のあの日から」


 葵と見つめあううちに、ボクの口から自然と言葉が湧き出ていた。


 ……葵が好き。

 ボクの気持ちが溢れていた。



 想いを伝えゆくうちにだんだん鼻の奥がツンとして、視界が涙で覆われた。

 それでもボクの言葉は止まらなかった。



「今のボクがあるのは……ぜんぶ葵のおかげなんだ。ボクがいままで音楽を続けてきたのも、葵とまた会いたかったからなんだよ? もし……」


 もし、あの時葵と出会わなかったら……

 間違いなくボクはピアノを辞めてしまっていただろう。


 それだけじゃない。

 今のボクを形作るすべては、葵によって繋ぎとめられたと言ってもいい。


 あの時触れた葵の眼差し、温かさ。

 忘れられない。



 いつかまた葵に会いたい。

 お礼をいって、ボクの気持ちを伝えたい。


 ボクはずっとその時を焦がれていた。

 叶わない確率の方が圧倒的に高い片想いだった。



 それなのに……ボクと葵はあの「顔合わせ会」で4年ぶりに再会したんだ。

 そればかりか葵はボクのことをちゃんと覚えてくれていて……


 奇跡としか言いようが無かった。



「……葵は、ボクがはじめて好きになった男の子なんだよ? ボクは4年間葵のことだけをずっと想い続けて……今回のデートも葵に想いを伝えるためだったんだ」


 言いながらボクは気持ちがこみ上げてきて、目の奥がじーんとしてきた。



「葵……ボクは葵が好き」



 まだ、泣くわけにはいかないのに。

 涙を溢れさせてはいけないのに。


 ボクは必死で耐えた。

 葵から目を逸らすわけにはいかなかった。



「……ありがとう。栞の気持ち、ちゃんと伝わったよ。とても嬉しいし、光栄だよ」


 葵はボクは気持ちを言い終えるのを待っていてくれた。

 葵もボクから目を逸らさずに、まっすぐにボクの言葉を受け止めてくれた。



「葵……」


 ……言えた。

 とうとう、言ってしまった。



 夢じゃないだろうか。

 いや、夢じゃない。


 ボクは今度こそ、本当に、葵に好きだって言ったんだ。

 ずっと葵に伝えたかったことを……



 ボクは感動していた。

 不思議な充足感と……言いようのない心の痛みが混じって、何も言えなくなった。


 ……まだ言うべきことがあったのに、忘れてしまっていた。




「……おれの、栞の気持ちに対する返答を、言ってもいいかな」

「……! まっ、まって!」


 ややあって沈黙をやぶった葵の口調にボクははっと思い出して、あわてて葵に待ったをかけた。



 だって……





「葵……、ボクへの返事は、告白を断る、んだよね……?」

「…………」





 葵は何も言わない。

 けれど、その沈黙が答えだった。


 葵は優しくて誠実だから、萌と交わした約束を違えることはしない。

 そのことは分かっている。



 そして、ボクは……



「ボクは、葵に振られたくない……」


 ボクは葵の腕の中で目を伏せた。

 泣きそうだった。


 葵とは恋愛禁止っていうことも理解している。

 ボクたち姉妹のこと、麗のことを思えば……踏み越えてはいけない線があるっていうことも納得していたはずだった。


 だけど……ボクを拒絶する言葉を、葵の口から聞くことが耐えられない。



「葵の返事は分かっているんだ。ボクと葵は恋人同士にはなれない。覚悟していたけれど、やっぱり……やっぱりボクはどうしても耐えられそうにないんだ」

「……」


 葵に「ごめんね」って言われるシーンを想像すると、みじめでな気持ちになるんだ。

 悲しくて、心が痛くて、ボクは潰れてしまいそうになる。


 ……こんなの、ボクのわがままなのに。

 そう思うと、ボクは葵の顔が見れなくなった。



 その時、葵は



「……わかった。おれは、返事を言わないよ」

「葵……」

「返事は言わないけど……栞がそんな悲しそうなのは、おれが耐えられないよ」


 そう言って、頭の後ろに手を回して優しく胸を貸してくれた。


 ああ……

 そんなのズルいじゃないか。



 そんなことされたら、ますます好きになってしまうよ……



 カーテンを閉じた朝の薄暗い室内で、ボクは葵の優しい抱擁につつまれていた。

 葵はボクを抱きしめて、ボクの恋心を慰めてくれた。


 ……4年ぶりの感覚、だった。

 ボクは葵の胸の中で、悲しい泣き顔を見せずに済んだのだ。



「ねえ葵、……そのかわり、答えてほしいんだ」

「なに?」

「……葵は、ボクのこの気持ちは迷惑?」

「…………」

「ボクはこれからも、葵のそばにいてもいいの……?」


 葵ならきっと断るわけがない。

 ……そう思っていたはずなのに。


 いまのボクは縋るような気持ちだった。



 口に出した瞬間、万が一を想像してしまう。

 もしダメって言われたら、ボクはどうすればいいんだろう……



 でも直後、葵の手がボクの頭を撫でる優しい感触がした。



「……葵?」

「栞」


 葵はボクに思い出させてくれた。

 ……葵がどれほど優しくて、いじわるなのかを。



「そんな厳しいこと、おれが栞に言うと思う?」


 その言葉にはっとして、ボクは葵を再度見上げる。

 すると葵は、顔に笑顔を貼り付けたままボクとの距離を詰めてきていた。


 近い近い! 近すぎるよ!?



「栞への返事はしないって言ったけど、おれは栞の気持ちは嬉しいし、栞が悲しむようなことはしないよ。栞の気持ちは尊重したいんだ」


 お互いの吐息すら感じる距離にボクは唖然とした。


 だって、下手に動いたらくちびるが触れちゃうくらい近くて……!!



「もっとはっきり言ってあげよっか……おれは栞のこと、絶対嫌いじゃないよ。好き、とは今は言えないけど」

「――――!」


 ボクは身動きひとつできなくなって。

 そしてボクのふたつの瞳を葵の視線で射貫かれて、ボクは心臓が止まった。



「……もし栞と街中で普通に再会してたら、たぶんおれから栞に告白してたと思う」

「まって葵……っ! それは……!」

「あはは、ごめんごめん」


 こんな至近距離から、なっ、なんてことをボクに言うんだ葵はっ!?

 こんな、ボクがいちばん言ってほしい言葉を……!



 いや、分かってる。これはボクを元気づけるために言ってくれてるんだ。

 ……ボクたちの出会いに「もし」なんて存在しない。


 そうは分かっているけど、ボクはドキドキが止まらない。

 だってこんなの、葵のリップサービスだって思ってないとボクは正気を保てないくらい、嬉しすぎるんだ……!



「栞、キスしよっか?」

「あ、葵! 何言ってるの……そんなのダメに決まってるじゃないか!?」

「今だったら誰にも見られないし、バレないけど」


 正気じゃないのは葵のほうだよ!?


 葵!? 恋愛禁止っていう看板すら踏み越えるってどういうこと!?

 冗談で言ってるんだよね!?



 待ってくれ。本当に待ってほしい。

 寝起きだし、色々と準備が出来てないし……!



 ……葵の言葉も、顔の距離も、すべてが危険水域だった。

 ボクは身体じゅうが熱くて、わなわなと震えていた。



 そして葵は、今度こそ信じられないような台詞をボクに言ったんだ。




「おれだって、理性を維持するの大変なんだよ? 栞がおれとキスしたいように、おれだって栞とキスしたい」




 ……ボクは息が出来なかった。



「栞がこんなに可愛すぎるから」

「…………」


 そう言って葵はボクの頭をナデナデする。

 ボクの顔が、かぁぁっと発熱した。



 ……ダメだよ!

 キュンキュンが止まらないよ!!




「……ダメだ、葵。葵と今ここでキスしてしまったら、ボクは嬉しすぎて、みんなに隠し通せる自信がない」


 そう言うので精一杯だった。

 ……さもないと、自分の欲求に身を任せてしまいそうだった。



「……そっか。じゃあ、やめとこっか」

「葵のいじわる。なんでボクばかりこんなはずかしめを受けないといけないんだ」

「でも、悲しい気持ちじゃなくなったでしょ?」


 そう。葵はさっきのボクの沈んだ気持ちを見かねてくれたんだ。

 けど……けどさ!



「だからって、き、キスはダメだよっ!」

「ごめんごめん」

「反省して! 昨日からボクは何度恥ずかしい思いをさせられたか!」

「ごめん……どうすれば許してくれる?」


 どうすればって、そんなの……

 ボクは照れかくしでそっぽを向いた。



「……じゃあ、これからもボクのことをぎゅって抱きしめてよ。こんなふうに」


 どこまでボクを甘やかすんだ、葵。

 そんなこと言われたら……葵にもっとおねだりしたくなっちゃうじゃないか。



「……そしたら、ゆるしてあげる」


 ぼくは葵の服の裾をぎゅって掴んだ。


 ……やっぱりボクが本当は怒ってないって分かってて、葵はこんなこと言ってるんだ。

 やっぱり葵はとんでもなくいじわるだよ。



「そんなことでよければ、よろこんで」


 そう言って、葵はまたボクを優しく撫でてくれた。

 ボクが一番してほしいことだった。


 ボクと葵の気持ちは通じ合っていた。



「葵……」


 葵に、ずっとそばに居ても良いって言ってもらえた。


 葵の手でナデナデされて、ボクはようやく心身の強張りが解きほぐされていた。

 ボクにくれた一番の安らぎだった。



 そしてボクの心には嬉しさが静かに溢れてきて、じっと出来なくて。



「葵……好き、好き。こんなに好きだよ。大好き」


 ボクは葵に抱きついて、胸元に頬をスリスリした。

 まるでネコになったようなボクの愛情表現だった。



 ……4年前、葵に救われてから、ボクはようやくこの場所に帰ってきた。

 そのことにボクは今度こそ満たされて、ここがボクの居場所なんだと思った。



「ボクはもう、葵のモノになったんだよ?」

「……それは、他の人のモノにはならないってこと?」

「当たり前じゃないか。……ボクが好きなのは葵だけだから」


 想いが解放されて愛の言葉が止められないボクに、葵は笑って答えてくれて、



「……おれは責任重大だね。栞を守らないと」


 ボクがほしい言葉を次々返してくれる。

 すごい。こんな……ラブラブなやりとりまでしてしまっている。


 恋愛禁止なのに……

 いやいや、萌だって葵と凄いことをしてたじゃないか。

 ボクがこのくらい葵と仲良くなって、何が悪いって言うんだ。



 ボクはそう確信して、葵にますますぎゅってした。



「ねえ、葵」

「なに?」

「だいすき」

「……ありがと、栞」


 幸せな気持ちとこれからの期待で心がいっぱいだった。


 ああ、今日も葵とたくさん過ごせる。

 何をしよう。どこに行こう。

 ……新しい関係になったボクと葵とで。


 そんなことを思いを馳せながら、ボクの意識は朝の柔らかな空気の中にふたたびまどろんでいくのだった。



 葵の腕の中でゆっくりと意識を手放しながらボクは思った。

 ――ボクは今日この瞬間のために生まれてきたのだ、と。













――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 お読みいただきありがとうございます。

 第1章の栞編は以上で終わりです。


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