#0028 君に捧げた歌 (1)【栞視点】




「むむむ……」


 コンサートが終わった夜半。

 ボクは自分のベッドの上であぐらをかいて、スマホとにらめっこしていた。



「……まだ送れてないの?」

「そうなんだ。葵になんてメッセージを送るのがいいのか、わからないんだ」


 見かねた綾がボクに声をかける。

 綾は勉強机で宿題をしているところで、椅子に座ったまま2段ベッドの上のボクを見上げる形だ。


 ボクも綾も入浴後で、薄手の寝間着姿だった。



 コンサートが終わったときの興奮と疲れは、お風呂でほかほかと温まったことで少し落ち着いていた。




 ついさっきの話。

 ボクがお風呂から上がると、スマホには学校の友人たちからのメッセージがたくさんきていた。


 ボクを労い感謝する言葉にあふれていた。


 普段クラシックを聴かないような子もいて、それでも思い思いの言葉で感想を伝えてくれた。

 ボクの演奏がきっかけでクラシックに興味を持ってくれたと言ってくれたのは本当に嬉しかった。



 それから、アンコールで弾いた曲の解説も何人かに求められた。


 最後のベートーヴェンを弾いた後、ボクはアンコールを求められて2曲を追加で演奏したのだ。


 アンコールで弾く曲は、当然プログラムの冊子には印刷されていない。

 綺麗な曲だったから何ていう曲なのか気になったと言ってくれたのだ。



 ボクは友人たちに向けて『最後の曲は元々シューマンっていう作曲家が書いた歌曲で……』とメッセージを打ちながら、ふと葵のことに思い至った。



 葵に、今日来てくれたお礼を言わないと。

 葵からの贈りものは間違いなくボクの力になって、ボクは今日のコンサートを成功させることができたのだから。




 友人たちとの会話がひと段落したあと、葵に感謝を伝える文面をずっと考えているのだけど……

 まったく良い文が思いつかないのだ。


 打っては消して、打っては消してを繰り返していた。



「それにしても、あんなに葵くんのこと想ってた栞が、まだ1回もメッセージやりとりしてないなんて。ちょっと意外」

「それは、コンサートが近かったから集中力を切らしたくなかったんだ」

「そうなんだ。えらいね」


 あの「顔合わせ会」で再会してから、ボクは葵とずっとお話がしたかった。


 ……葵とメッセージを送りあえたら、どんなに幸せだろうか。

 きっと楽しすぎて、夢中になってしまう気がした。


 だから、本番前の最後の追い込みをしていたボクは、コンサートが終わるまで葵とのコンタクトを絶っていた。



 ものすごい誘惑だった。

 せっかく葵と連絡先を交換できたんだ。


 ずっと会いたかった、ボクの初恋の相手だ。

 そんなの、色々お話したいに決まってるじゃないか……!



 だけど、本番をどうしても成功させたかったボクはその誘惑をふりきって今まで何も送っていなかった。


 ハンカチを貰った時も、お礼を言おうか真剣に考えた。

 だけど、すべてはコンサートが終わったときにしたかった。

 一番のお礼は、コンサートで良い演奏を披露することだと思ったから。



 そして、コンサートを無事終えた今。


 改めて葵にお礼の言葉を伝えないと、と思いスマホを手に取ったはいいけれど。

 しかしいざメッセージを送ろうとなったとき、ボクは言葉を紡げないでいた。



 初めの一言を何と言い出せばいいのか思い浮かばないのだ。

 伝えたいことがありすぎて、うまく言葉にできなかった。



「"粕谷栞です。はじめてメッセージを送ります。今日はきてくれてありがとう。ハンカチや、お花とお菓子もくれて、とても嬉しかったです" ……これだとかたすぎかな」


 それとも、初めに送るメッセージは礼儀正しい方が良いだろうか?

 でもこんな文だと無難すぎないかな……?


 葵から貰った花束に添付のカードを読み返してみる。

 ちなみに葵からもらったお花はボクの勉強机に生けている。



 ――"初リサイタルおめでとう! また栞の演奏を聴かせてくれると嬉しいよ。これからもずっと応援してます 桜葵"



 優しくて気さくな葵の性格が伝わってくる文面だ。

 ……葵、こんなに丁寧で綺麗な字を書くんだ。


 ボクは思わず頬が緩む。

 ……だけど、それだけにボクはお礼の文面に迷ってしまう。


 葵みたいに、うまくできるだろうか。



「わたしは良いと思うけど……葵くんはきっと、あまり言葉遣いとか気にしない人だと思うよ?」

「そうだよね……うん。これで送ってみるよ」

「葵くんと通話してお礼を言うのはどうかな? 直接口で言った言葉の方が栞の気持ちが伝わると思うよ?」

「あ、葵と通話なんて、ますます何て言ったらいいか分かんないじゃないか!」



 メッセージを送るだけでこんなに悩んでいるボクが、葵と通話なんてしたら緊張で頭が真っ白になってしまう。


 あの「顔合わせ会」から2週間くらい経った。

 ボクが葵を想う気持ちはどんどん膨れるばかりだった。


 うまく話せるか、ボクは自信が無かった。



 それに……こんな夜分に葵に通話させてしまうのは、やっぱり葵に迷惑をかけてしまうのではないかと思った。



「……やっぱり葵と通話するのは、今日はやめておくよ。まずはメッセージでお礼を言いたい」

「そっか」

「だいたい、いままでメッセージすら一回も送ったことが無いんだよ? いきなり通話は早すぎるよ」



 ということで、ボクは意を決して送信ボタンをタップした。

 ボクのお礼の言葉は、一瞬にして葵のスマホに送られたはずだ。



栞『粕谷栞です。はじめてメッセージを送ります。今日はきてくれてありがとう。ハンカチや、お花とお菓子もくれて、とても嬉しかったです』

葵『葵です。こちらこそ招待してくれて、そしてすばらしい演奏を聴かせてくれてありがとう。とても感動したよ』



 すぐさま葵から返答が帰ってきた!



「どうしよう!? 葵から返事が来てしまったよ!」

「えっ、もう? ずいぶん早いね」

「なんて返せばいいんだろう? どうしようどうしよう……」


 トーク画面を開いたままだったので葵のメッセージにボクの既読がついてしまった。


 このまま返さないのは葵の言葉を無視したみたいで失礼だ。

 早く返答しないと……


 ボクがわたわたしていると、葵から続けてメッセージが。



葵『できれば今日のお礼を栞に直接言いたいです。よければだけど、今から通話できないかな?』



「葵が通話したいって言ってきた!」

「うそ! すごいね。栞と葵くん同じこと考えてる」


 綾も思わず驚いた声上げる。

 そしてちょっとおかしそうに笑っているのに気づく余裕はボクにはなかった。



葵『あ、もちろん無理強いするつもりは無いよ。もうおそい時間だし断ってくれても全然OK。その場合はまた今度会ったときに改めてお礼を言うよ』



 葵から念押しするようにメッセージが送られてくる。



「どうするの? 通話しちゃう?」

「……してもいいのだろうか」

「栞も、葵くんとお話したいんでしょ?」

「そうだけど……」


 本当にいきなりで心の準備ができていない。

 焦ってぶっきらぼうな言葉が出てしまわないか、ボクは自信が無かった。



「葵くんも、きっと栞とお話したいんだよ。そのくらい今日の栞の演奏はすごかったから」

「でも、ボクは何て話したらいいんだろう……」

「変に気負ったりしない、いつもの栞が一番じゃないかな。大丈夫だよ、コンサートの本番に比べたら全然大したことないでしょ? 間違っても、言い直せば良いんだし」


 躊躇してるボクを見かねた綾は、ボクを励ましてくれた。



「……わかった。葵とお話してみるよ」


 綾の言葉にボクは決心する。


 ボクも葵とお話をしてみたい。

 自分の口で、葵に感謝を伝えたかった。



「わたしもスピーカーから葵くんと栞の会話聞きたいな」

「絶対にお断りだね!」


 綾の目的はそれか!


 そんな恥ずかしい真似出来るわけないじゃないか!

 ボクが声を上げて抗議すると、綾は「冗談だよ」と笑っていた。


 舌を出す綾の表情は憎らしいほどに可愛らしかった。



 ボクは覚悟を決めて葵への返答を打った。

 胸のドキドキが止められない。



栞『ボクも葵とお話がしてみたい。自分の口でお礼を言いたいです』

葵『ありがとう。今かけても大丈夫?』

栞『大丈夫』

葵『じゃあかけるね』



「……今から葵とお話をする」


 ボクはゴクリと息をのんだ。


 これは現実だろうか?

 本当に、何て言えば良いんだろうか……



「ふふっ。なんだかすごい気が動転してるのが伝わってくる」

「うるさいな! こっちは緊張してるんだ」


 ♪~~


 そうこうしているうちに、ラッパを模した電子音がボクのスマホから鳴り響く。

 葵からの着信音だ。


 ついにきた、という緊張で背筋がブルっと震えた。











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