#0020 長女と次女【栞視点】



 夜。

 日付が変わろうかという時刻。


 ボクたちが暮らす粕谷家はどの部屋も消灯して、静まり返っていた。



 ボクの寝室は綾と相部屋で、家の2階に位置している。


 ボクたちの部屋もすこし前に綾が部屋の電気を消し、それぞれのベッドに入ったところだ。

 ボクたちは2段ベッドを使っていて、下が綾、上がボクだった。



「これでよし、と……」


 ボクは布団にくるまって、自分のスマホを弄っていた。

 さっき送られてきた葵の写真を、スマホの壁紙に設定したのだ。



 麗が葵の容姿を確認するために、自撮りを送ってもらうようメッセージアプリで葵にお願いした。

 それに対して送られてきた写真はアングル的に葵の自撮りではなくて、たぶん葵のお父さんに撮ってもらっただろうものだった。



 ボクは写真の中の葵を眺める。


 葵の家のダイニングテーブルだろうか? 席について、柔和な笑顔を浮かべている葵が映っていた。

 こちらに向かって軽く手を振る仕草をしている。


 部屋着だろうボーダー柄のゆったりしたTシャツを着て、とてもリラックスした様子だった。



 ……部屋着姿の葵、なんてかっこいいんだろう。

 胸がドキドキした。


 葵のほんわかした笑顔を見てるだけで、ボクの恋心が満たされていくのを感じる。


 お風呂上りなのか、少し髪が濡れているのもなんだかちょっと艶っぽくて、ボクはキュンキュンした。


 ……葵と家族になったら、こういう葵の姿を毎日見れるのか。

 想像しただけで胸のドキドキがとまらない。

 そんなの幸せすぎて、ボクはどうにかなってしまうんじゃないだろうか。



 ああ、ボクはどれだけ葵のことが好きすぎるんだ。


 葵がボクのコンサートを楽しみにしていると聞いて、心が躍った。


 それに、コンサートが無事終わったらボクも葵とどこかへ出かけたい。

 今日の綾なんか目じゃないくらい、楽しいデートを葵としてみたい。


 葵と一緒にどこへ行こうか、最近はそればかり考えている。


 葵とデート。夢のようだ。

 本当に、4年間ずっと夢にみてきたシチュエーションだった。



 これからはスマホを見るたびに、葵のことを見れる。

 ボクが4年間、ずっと思い描いていた通りに成長した、かっこいい葵の姿。


 スマホの画面ごしに、葵がボクに笑いかけていた。

 えへへ、なんて幸せなんだ。





「……栞、起きてる?」


 そうやってボクの夢想がはかどっている時、二段ベッドの下から静かな声が聞こえてきた。

 綾の声だ。


 綾はいつも寝つきが良いので、こうして夜中に話しかけてくることは珍しい。

 ……本当に今日の綾はいつもと違うことばかりだ。



「起きてるよ」

「……」


 ボクが綾に返答すると、綾は何かを言い淀んでいるのか押し黙ってしまった。


 何か相談事だろうか?

 それとも世間話?


 綾が何か言い出すまで待っていると、




「……わたし、なんで生きているんだろう」




 ぽつりと綾がつぶやいた言葉を聞いて、ボクは背筋が凍った。



「――綾? 何を言ってるの?」


 さっきまでの胸のときめきが一瞬で吹き飛んだ。


 綾、そんなに思いつめているのか?

 寂しそうな綾の声は、今にも「死にたい」なんて言ってきそうだった。



「綾。……まさか早まったこと考えてないよね? 綾がいなくなってしまったら、ボクたちは……」

「あっ、ごめんね。ぜんぜんそういうことじゃないから、安心して」


 綾はあわてて訂正する。深刻に思い悩んでるようなことではなかったみたいだ。

 良かった。

 ボクは心の底から安堵した。



「まったく、変な汗が滲んじゃったじゃないか」

「ごめんね? うっかり、言葉を間違えちゃった」

「まあいいさ。……それで? じゃあどうして"なんで生きてるんだろう"なんて言葉が出てきたんだい?」

「うん、ちゃんと説明するね……」



 綾の説明はこうだ。


 今日の綾と葵のデートは、はじめ少し気まずい感じだったという。

 葵が学校や友達の話題をふってきても、綾には仲のいい特定の子がいないせいで会話が続かなかったのだ。


 それに、麗の件もある。

 綾は部活に入っていないけど、それは麗の様子を見るためだったり家のことをしなければいけないためだったりする。


 家事はボクも分担しているけど、それでも一番負担が大きいのは綾だ。

 瀬一郎おじさんや雪子おばさんの分もボクたちに押し付けられているのだから尚更大変だ。


 そのことを知った葵から、こんなことを言われたのだそうだ。



 ――綾が、生きてて楽しい瞬間っていつ?


 ――もしおれが同じ状況だったら、毎日大変だしとてもつらいと思う。……人生、大変なこととかつらいことばかりだと、死にたくなってしまうでしょ? でも、綾がいまこうして生きているってことは、なにか楽しいと思えることがあるんじゃないかって思って。なにか趣味とか、好きなこととか。



「……わたし、葵くんの質問に答えられなかったの」

「……そんなことが」

「正直、大変だなって思うことはあるの。でも、わたしが一番お姉ちゃんだし、自然と頑張ってたの」

「……いつもありがとう、綾」


 特に麗の面倒は綾が一番見ている。

 たとえば、一時期ご飯も喉を通らなくなっていた麗のために、綾は毎日お粥を作っていた。

 ――飽きがこないように毎日味付けを工夫してたら、お粥のレパートリーばっかり増えちゃった。

 綾はそう言って苦笑いしていた。

 おかげで麗が最初に心を開いたのは綾だった。


 それからは毎日少しずつ麗と言葉を交わしながら、ボクや萌や母さんともお話ができるように麗をやさしく励まして、ボクたち家族の橋渡しをしてくれた。

 それに、学校に行けない麗のために綾は毎日勉強を教えている。


 綾は、麗にとって心の支えになって、ボクたち家族を一つに繋げてくれたのだ。



「だから……生きてて楽しいこととか、いままで考えたことなかったの。わたし、葵くんの質問に答えられなくて……」

「……綾、そっちのベッドに行ってもいい?」


 ボクは、急に姉の顔を見たくなった。

 綾の言葉がなんだかやるせない響きに聞こえて、そばに行ってあげたくなったのだ。


「えっ、……うん。いいよ」


 ややあって、綾から返事が聞こえた。

 ボクはベッドから起き上がって、ハシゴを降りる。

 ……他の部屋に響かないように、そっと床に降り立った。


 そして、下のベッドの中に綾を見つける。

 綾もボクのことを見ていた。



「綾と一緒に寝てもいいかな? 今夜はなんだかそういう気分なんだ」

「いいよ。……ありがとう。わたしのこと心配して、でしょ?」

「ううん、ボクがしたいからだよ」


 ベッドの上にもうひとり分のスペースをつくれるよう、綾が横にずれてくれる。

 ボクは綾の布団に入った。

 綾のぬくもりと、お花みたいな綾の良い匂いを感じた。


 ベッドの中で綾と目が合った。


「こうして栞とふたりで寝るなんて、いつ以来かな?」

「さあ? この二段ベッド買ったのって、小学校に入るときだよね? "ボクが絶対に上がいい!"って譲らなかったのを覚えてるよ」

「わたしも覚えてる」


 ボクたちは笑いあった。

 シングルサイズのベッドにふたりで寝るのは狭かったけど、ボクも綾もお構いなしだ。

 自然と身体が触れ合っていた。

 綾のやさしい暖かさを感じていた。



「さっきの話だけど、……ボクも、綾みたいに突然、生きてて楽しいことなんて訊かれたら答えられないと思う」

「……ピアノは? あんなに頑張って弾いてるのに」

「……どうなんだろう。確かに、良い演奏ができた! とか、うまく弾けた! って時は快感だよ。だけど、譜読みはつまらないし、練習してて躓くと投げ出したくなる。そういうことの方が多いよ」

「そう、なんだ。……大変なんだね」


 ボクたちはベッドの中で見つめあったまま思いを打ち明けあった。



「生きてて楽しいこと、か。難しい質問だよ。ボクはどうして生きて、何のためにピアノを弾いていたんだろう」

「……ピアノを続けてたのは、葵くんとまた会いたいから?」

「たしかにそれはあるね。だけど、本当に会えるかどうかなんて分からなかったし、この間の"顔合わせ会"までは半ば諦めていたんだ」

「……そうなんだ。そうだよね、たった1回会っただけだもん。もう1回会うのは難しいよ」

「本当に、あんな形で再会できるなんて奇跡だよ」

「わたしもあの時はびっくりしたなあ。"あれ? 桜葵くんって、栞がずっと会いたがってる子と同じ名前だ……"って思って栞を見たら、栞が泣き出しちゃうんだもん」


 ふたりしてあの時のことを思い出す。

 ボクが感極まって泣いてしまったのは今となっては恥ずかしいけど、……だけど、もう会えないと思っていた初恋の男の子が突然目の前に現れたんだ。

 そんなの、嬉しくて泣かないわけがないじゃないか。



「じゃあ、いまの栞が生きてて楽しいことって葵くんのこと考えることかな?」

「……なるほど」


 考えてなかったけど、言われてみれば確かにそうだ。


 さっきまで葵の写真を眺めながらニヤニヤしてたことは綾には秘密にしておくにしても。

 顔合わせ会で葵と再会して以来、ボクの頭の中は葵のことばかりが浮かんでくるのだ。


 葵とどこに行こうか、とか。葵は今何をしているんだろうか、とか。

 ――葵と恋人になれたら、とか。


 ……なんだか、まるで恋のことしか考えてない頭の弱い少女漫画キャラみたいじゃないか。

 ボクは思考をふりはらった。


「たしかに否定はしないけど、それと同じくらい綾やみんなのことを思っているよ」

「……わたしもみんなのことが大好きだし、とても大切」


 綾の言葉はやさしくて、家族愛に溢れていた。

 それだ。それがボクたちが知っている綾だった。


「それでいいんじゃないかな」

「それでいい?」

「そう。ボクは、家族みんなで過ごす時間がやっぱり一番好きだ。綾がつくった美味しい料理を食べるのも好きだし、ボクがつくった料理をみんなが食べて元気になってるのを見るのも幸せだよ。綾も、でしょ?」

「……うん」


 綾の目を見て話しかけると、うなずいてくれた。


「萌の減らず口には困ったものだけど、でも雑誌とかテレビに出てるのを見るのは姉として誇らしいよ。麗は……最近またボクたちと普通に話ができるようになって、すごく嬉しかった」

「うん。麗の調子が良くなったら、またみんなでどこかに出かけたいね」

「もちろん母さんも、綾のことも大好き」

「わたしも」


 綾と目を見合わせる。

 もう「なんで生きてるんだろう」なんて言わない、いつもの明るい綾に戻っていた。


「みんなといるだけで心が安らぐし、温まる。やっぱりボクたちは家族だし、家族と一緒にいるのが楽しい。だから生きている。これで十分じゃないかな」

「そう、かな」

「ボクは、みんなのためだったら家事も全然苦じゃないし、いつも率先してやってくれている綾にはとても感謝してる」

「……わたしも、家族みんなと過ごす時間が好き。だから麗やみんなのこと心配してるし、いつも想ってる。家族だもん」

「やっぱり綾は天使みたいな女の子だよ」

「もう、調子がいいんだから」

「いつもありがとう、綾」


 同じ布団の中で綾が笑っている。

 ボクもきっと綾に笑っているだろう。


 ボクは葵のことが好きだけど、綾や家族のことが同じくらい好きだ。




「ねえ、栞。……ぎゅってしていい?」


 おずおずとした口調で綾がお願いしてくる。

 布団の中で綾の手のひらが所在なさげにボクの太ももに触れていた。


「いいよ。もちろん」

「ありがとう」


 ボクがこたえると、ややあってから綾は遠慮がちにボクの身体に触れてくる。

 綾はボクの背中に腕を回して、ボクのことをぎゅ……と抱きしめた。


 ボクも自分のカラダを綾にあずけて、抱きしめ返す。

 夏だからお互いに薄手の寝間着で、綾の温もりがとてもよく分かった。


 綾のお花みたいないい匂いが、ボクを包み込んでいた。


 こうして姉妹で抱き合うのなんて本当に久しぶりだ。

 とても安心する心地よさだった。


「暑いかな?」

「ううん、綾の身体すべすべして気持ちいいよ」

「わたしも、すごいほっとする。……栞は、抱き枕がないと眠れないのはまだ変わってないの?」

「実はそうなんだ。恥ずかしいけど」

「よかった、わたしもおなじなの。……ちっちゃい頃、ふたりで手を繋いで寝てたの、覚えてる?」

「もちろん」


 綾のことを抱きしめながら顔を見つめてみる。


 ボクたちは二卵性の双子だけど、血のつながった姉妹なだけあってそれなりに似た顔だった。

 ボクたちは生まれる前から一緒だ。




「……葵くんの抱きしめる力、強かったなあ」

「あーやー?」


 綾は唐突に例のプリクラ事件を思い出させてくる。

 ボクが恨みがましく睨みつけると、綾は笑って、


「あはは、ごめんごめん。栞には本当に申し訳なかったなって思ってるんだから」

「……本当に?」

「ほんとだよ。栞の恋のこと、応援してるんだから」

「……そうなんだ。ありがとう」


 綾がボクの初恋を応援すると言ってくれたのは、このときが初めてだった。

 面と向かって言われたボクはちょっと照れくさかった。

 けれど、とても嬉しい気持ちだ。


「……萌が言うように、麗の身体がもっと良くなるまではダメだよ? だけど麗が快復したら、改めてみんなで話し合ってみない?」

「うん。ボクもそうしたい」

「あれだけ葵くんのこと一途に想ってたんだもん。お姉ちゃんとして、結ばれて欲しいと思ってたの」


 綾がこんなふうにボクの恋を応援してくれているなんて知らなかった。

 なんだか、とても照れくさい。


 だからボクは照れ隠しに綾を責めることにした。


「……その葵にプリクラで抱きついてた人とは思えない台詞だね」

「あ、あれは本当に気が動転してたのっ!」

「この際だから綾に訊いておくよ。あの時、実は葵のこと好きになってたんじゃないかい? 思わず抱きついてたってことは葵のこと悪くは思ってなかったってことだと思うけど」

「それは、……そんなの、わかんないよ」


 綾がもし葵のことを好きだと言ってきたらどうしようかと内心ドキドキしていた。

 けど、その答えは綾自身も分かっていないみたいだった。


「今日いっしょに過ごしてみて、すごく良い人っていうのは分かったよ。ああ、こんな男の子なら栞も好きになっちゃうわけだって思った。葵くんと抱き合った時はすごくドキドキしたけど、男の人と抱き合うとか初めてだから、その……」

「"葵だから"ドキドキしたのか分からない?」

「うん、そんな感じ。だから、葵くんのことが好きかっていうのはちょっと、分かんない……」


 でも、と綾は続ける。


「栞が葵くんのこと好きだったのをずっと見てきたから、わたしなんかが葵くんを取ったりできないよ。それじゃ栞がかわいそうだもん」

「……ありがとう。萌に聞かせてやりたいね」

「ふふっ」

「でも、綾もボクを気にしないで葵と仲良くなってほしいよ。ボクが葵とそういう仲になれるか以前に、これから家族になるんだから」

「わたしも、せっかく葵くんと友達になれたんだから、もっと仲良くなりたいって思ってた。だから、栞がそう言ってくれると嬉しい」


 ありがとう、と綾の口からも紡がれる。




 ボクは葵のことが好きだ。


 ……だけど、もし他の誰かも葵のことを好きになってしまったら。

 ……もし、葵がボク以外の姉妹を好きになってしまったら。


 ボクたちの関係は一体どうなってしまうんだろう。

 その時ボクはどうすればいいんだろう。


 これは、ボクの胸にずっとくすぶっている疑問だ。

 葵と再会したその日から、密かに考え続けている。


 ……だけど、あれこれ考えても一向に結論が出せないでいた。


 だからずっと蓋をしているのだ。

 今も、これからも。



「葵くんと良い家族になれたらいいね」

「きっとなれるよ」



 ――ボクは血を分けた双子の姉を抱きしめながら、その小さな不安の種を振り払って葵と家族になれた未来に思いをはせるのだった。










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