#0021 喝采 (1)


 ここから栞のコンサート編で、音楽関連のお話が始まります。

 もし退屈に感じられた場合、第28話のコンサート後の場面か、あるいは第31話の栞デート編までスキップすることも可能ですので、何卒お含みおきください。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――






 いろんな意味で波乱に満ちた綾とのデートから1週間。

 おれはみたび、市内に来ていた。


 夏の黄昏時。

 昼間に比べて日射ははるかにマシとは言え、それでも顔面に吹き付ける夏の風はむっとした熱を含んでいた。



 8月のはじめ、市内では東北でもっとも大きな夏祭りのひとつが開催されている。


 駅は老若男女、観光客でごった返していた。

 浴衣姿の女の子やカップルも多い。

 行先はみんな夏祭りが開かれる大通り。そこまでは駅から歩いて10分少々だ。

 その足取りはみんな浮足立っていた。


 お祭りはちょうど今、午後6時ころから始まって夜遅い時間まで続く。


 夏の暑さとはどこか別の熱気が、夜の駅前でも感じられた。



 しかし、今日のおれの目的地はお祭りではない。

 今日は栞の晴れ舞台、初リサイタルだ。



 駅出口のすぐそばに1軒のお花屋さんを見つけたので、おれはそこで花束を作ってもらっていた。


「……メッセージカードはどうしましょうか?」

「えーと、おれが手書きで書くってのはできますか?」

「もちろん大丈夫ですよ。少々おまちくださいね」



 初めてリサイタルを開く栞に贈る花束だ。

 さきほど駅前の百貨店で箱入りのお菓子も購入している。


 招待してくれた栞へのお礼とねぎらいと祝福の気持ちをこめた、おれからのささやかな品だった。



 花屋さんの店員さんは20代くらいの若い女の人で、すこし待っているとお店の奥からメモ用紙大のカードと油性ペンを持ってきてくれた。


「こちらでお花をお包みしているので、書けたらお声がけくださいね」


 店員さんはそう言って作業に戻っていく。

 選んだお花をセンス良くまとめて、綺麗な花束が組みあがっていく。



 ――さて、なんて書こうか。

 おれは渡されたメッセージカードに向き合う。


 栞がこのメッセージを読むのはコンサート後になると思えば、栞の演奏を褒めたたえるような言葉をかけたい。

 だけど、まだ演奏を聴いてもないのに書くのはすこし憚られる。


 無責任に「すばらしい演奏をありがとう」なんて書いてしまえば、そういう言葉の底の浅さは相手にも伝わってしまう。

 それに、もし演奏会が栞にとって不本意な内容に終わってしまえば、演奏を讃える言葉は皮肉的な意味をもって逆に栞を傷つけてしまう。


 ……難しい。

 どう書いたら栞に気持ちを伝えられるだろうか。


 おれはしばし悩みつつ、ペンを走らせた。



 "初リサイタルおめでとう! また栞の演奏を聴かせてくれると嬉しいよ。これからもずっと応援してます 桜葵"



 こんな感じだろうか? これで伝わるだろうか?


「もしかして、恋人さんなんですか?」

「うわっ」


 店員さんに突然声をかけられて思わず声をあげてしまう。


「あ、ごめんなさい。お花の方ご用意できましたよ」

「いえ、ちょっとびっくりしただけなので。ありがとうございます」


 両手に抱えるほどもある大きな花束ができあがっていた。

 色とりどりで綺麗だし、良い匂いがした。


「それで、恋人さんに贈ってあげるんですか? きっと喜んでくれますよ」

「いえ、いまから友達の演奏会があるので、そこで渡す用です」


 花束を作ってもらう時にも、演奏会で渡す用だと伝えていたはずだけど……


「ふふっ、さっきも別のお客さまがいらして、同じ子に渡すお花をお作りしたんです」

「そうなんですか」

「あ、ちゃんと別のお花を選んでいるので被ることはないですよ」


 花束は演奏者への贈り物の一番の定番、というか演奏会といえば花束だ。

 おそらく会場に一番近いお花屋さんだから、同じことを考える人が他にもいたということだ。



「でも、男の子のお客さまははじめてなんです。さっきいらしたのは女の子たちでしたので。ひょっとして、彼女さんなんじゃないかと」

「友達ですよ、普通に」

「あら、そうなんですね。くだけた文章なので、てっきり」


 確かに、躊躇なく「栞」と呼び捨てで書いてしまった。

 あらたまって贈るものだからもう少し畏まった文面の方が良かっただろうか?

 しかしもう書いてしまった。書き直すのもなんだかお店の人に申し訳ないので、結局そのままにした。


 店員さんが仕上げにおれが書いたメッセージカードを差し込んで、おれは完成した花束を受け取った。

 お金はすでに払ってある。


「ずいぶん仲が良いんですね。喜んでもらえると思いますよ」


 受け渡しの時、こんなことを言われてしまいなんだか照れくさくなった。



 喜んでくれるといいな。




 そうしておれは花束と、お菓子の箱が入った紙袋を手に駅前通りを歩いた。

 駅前通りはお祭りへ向かう人と会社帰りの人とが入り乱れていて、すごい人通りだった。


 そんな中で花束を持って歩いてるおれはなんだか浮いていた。



 会場は、市民総合文化会館・美術館コンサートホール。

 通称、オホリホール。

 すぐ近くには藩主の居城だった城址公園があって、そのお堀の目の前に位置しているからこう呼ばれている。

 駅前通りに面していて、駅から歩いて5分もかからない。


 建物自体は15階建てのビルで、コンサートホールや美術館のほかにも、美術展ホールや会議室、多目的なイベント広場、最上階にはレストランが入っている複合施設だ。

 中に入るとまず、地下一階から最上階までの壮大な吹き抜けが目を引く。

 そして入口正面には象徴的な大時計があった。

 時刻は18時20分くらい。19時開演なので、余裕をもって到着できた。



 地下1階のイベント広場では、お祭りにあわせてフリーマーケットが開かれているみたいで、ここも多くの人手でにぎわっている。


 吹き抜けの構造のおかげで、その活気が建物全体に浸透しているみたいだった。



 コンサートホールが入っているのは4階。

 エスカレーターは吹き抜けの外を囲むように位置していて、階下を見下ろしながら階を上がっていく。



 地上が遠ざかっていくにつれて、喧噪も遠くなってゆく。

 そして自然と緊張感が高まってゆくのだった。



 ――この感覚、懐かしいなと思った。

 おれも4年前、ここを上って最初で最後のコンクールの舞台に向かったのだ。


 その時は小学5年生だった。

 あれから4年も経ったのか。



 今日は一聴衆としてだけど、普通の演奏会を聴きに来たわけではない。

 おれにとって栞は思い出の、大切な女の子だ。



 おれの胸には、栞の初舞台への不安と期待感が入り混じったざわめきが沸き上がっていた。

 焦燥感に似た緊張だった。



 ――大丈夫。

 去年の全国の舞台では素晴らしい演奏だった。

 しかも優勝までしたのだから、実力は折り紙付きだ。


 おれなんかが心配しなくても、栞ならきっと平気だ。



 やがて、4階にたどり着く。

 エスカレーターを出たすぐ先が、ホールのホワイエになっている。


 赤い絨毯の広い空間に、たくさんの人が列をつくっていた。

 栞のリサイタルを聴きに来た人たちだ。



 この客数はちょっと予想以上だ。

 それだけピアニストとしての栞の知名度があって、期待してる人が多いということか。

 ……それとも、栞やみなさんが身内への宣伝を頑張った成果か。


 まあ、そんなことどっちでもいい。

 どっちにしろ、栞の演奏をこんなにたくさんの人に聴いてもらえるんだから、なんだかおれまでも嬉しい気持ちになった。



 おれも財布にしまっていたチケットを取り出して、列の最後尾に並んだ。

 もう既に開場しているみたいで、列は進んでいき、おれの番になる。


 チケットもぎりの人に、栞からもらった招待券を見せる――


「あれ、葵くん?」


 ふいに声をかけられて顔をあげると、もぎりをしていたのは、小柄なボブカットの女性――里香さんだ。

 白いブラウスを着てフォーマルな出で立ちだった。


 里香さんはおれの手をとって感謝を伝えてくる。


「あ、こんばんは。お久しぶりです」

「聴きに来てくれたんだ~。栞もきっと喜ぶわ」

「ええ、まあ。招待券もらったので」

「ありがとう。楽しんでいって」


 おれを歓迎してくれる里香さんの気の抜けた口調。

 なんとも緊張感に欠けていて少しおかしかった。


 おれの後ろにも人が並んでいたので、手短に言葉を交わして入場した。

 チケットの半券と交換でコンサートプログラムの冊子を受け取った。



 ……やっぱり、父さんと同い年なんていまだに信じられない。

 どう考えても綾さんたちのお姉さんにしか見えないのだ。


 おれは首をかしげるしかなかった。



 おれはそのままホールの中へと入った。

 ――オホリホール。

 客席数は700。

 決して大規模なホールではないけど、木の質感を生かした内装が特徴的なシューボックス型のコンサートホールだ。


 このホールは何と言っても音響が優れていて、舞台上で奏でた音が高い天井からいっぱいに降り注ぐみたいに響きわたるのだ。


 おれが知る限り、県内で一番音響に優れているホールなんじゃないだろうか。

 大人数の観客を動員するような演奏会は開けないけど、クラシックのコンサートには一番向いているホールだと思う。



 おれが座った席は、ホール前方の左側の席だ。

 栞の手の動きが一番よく見えるポジションだ。


 会場は超満員……とまではいかないけど、客席の7割か8割は埋まってそうなくらいお客さんがいた。

 中には、栞のクラスメイト? おれと同い年くらいの女の子もたくさんいる。


 なるほど、学校で栞が売り歩いたのか。

 普段クラシックなんて聴かない子もいるだろうし、それでこれだけの人が来てくれるなんて、学校での栞の人気の高さがわかる。



 ちなみに、花束とおみやげのお菓子は里香さんに場所を訊いてロビーの花束受付の方にお渡ししている。


 時計を見ると、開演までまだ時間がある。

 他のお客さんの空気もまだ弛緩した感じだった。



 そこで自然と、受け取ったプログラムを眺めてみることにした。


 見開きの左側に栞の経歴と写真、右側に演奏曲目が並んでいた。



 まず右側に目を向ける。


 今日披露する曲は、……ショパンとリストの練習曲エチュードに、リストの大曲、休憩を挟んで後半にはベートーヴェンが2曲。

 去年優勝したコンクールで披露した得意曲をベースに、新曲を織り込んでいた。


 そのどれもが難曲ばかり。これは楽しみだ。



 そして左側。

 今日の主役である栞の紹介だ。


 まず目につくのは栞の写真、なのだが。


 そこに映っていた栞はカジュアルな服装で両手でピースをしている。

 表情は満開の笑みで、カメラ目線であざといウインクまでしているのだ。


 ……なんというか、風変りなところがとても栞らしいというか。

 こういうコンサートプログラムに載せる写真は、コンサート衣装を着てすまし顔だったり笑顔だったり、というのが普通なのだが栞には通用しないらしい。


 しかも、栞もまたとびっきりの美少女なだけあって思わずドキリとしてしまう。

 アイドルも顔負けの写真映りの良さだ。

 とても元気で明るくて、ばっちり可愛らしい。

 自然と笑みがこぼれてしまう。


 きっと栞が自分で選んだ写真なんだろうな。

 とても面白いし嫌でも目を引いてしまう。栞の作戦は大成功だった。




 そして、その下には栞のプロフィール紹介文が載っている。



  ――粕谷栞、14歳

  **市立大町通中学校3年に在学中。


  20**年生まれ。3歳よりピアノを始める。

  20**年、△△コンクール中学生以下の部全国大会出場、奨励賞受賞。

  20**年、第〇〇回全国学生ピアノコンクールにおいて第1位および聴衆賞を受賞。

  同年、渡邊藍子氏の推薦を受け、TV番組『新・クラシック劇場』に出演。……



 栞のプロフィールだ。

 将来有望なだけあって、去年の優勝を皮切りに華々しい成果がたくさんあった。

 おれが知らないものもいくつかある。


 しかしおれが一番驚いたのは、一番最後。



  ――現在まで、母・粕谷里香にピアノを師事。



 え、栞のピアノの先生って里香さんだったのか……!?

 というか、里香さんピアノの先生やってるのか?


 おれも同じ地元でピアノをやっていたのに、全然しらなかった。


 しかも教え子が学生日本一に輝いているということは、相当やり手だ。



 おれが知らないだけで有名な先生なのだろうか?

 有名な先生なら生徒さんも多くて、おれもどこかで聞いたことがあると思うんだけどなあ。



 うーむ……


 おれはまた首をかしげたのだった。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る