#0015 綾の四つのお話 (5)




 おれたちは綾の服選びと試着を繰り返した。


 綾が最初に手に取ったワンピースは、綾が着てみてもだぼっとした印象で、シルエットがイマイチということをふたりで納得した。

 ……やっぱり試着してみることは大事だなと思う。



 そのあとは、やっぱりオシャレで洗練された服は専門店にあるのかもしれないと綾を連れて目についた服屋さんを巡ってみた。

 そして……行く先々で始まる、綾のファッションショー。


 綾の美しさを一目見た店員さんが、次々と服を持ってきてくれるのだ。


 真面目な性格の綾はそれらを律儀に試着する。

 それがまたどれも綾に似合っていて……美少女すぎて何を着ても似合ってしまう綾と、センスの良いショップの店員さんの合わせ技でファッションショーは延々と続くのだった。



 おかげで買って帰る服を選ぶのにとても難儀したけど、時間をかけて決めることができた。

 最終的には、浅葱色のワンピース、太ももくらいの丈の黒のパンツ、ブラウス2着、Tシャツ3着、レースのカーディガン、麦わら帽、……それに超ミニのショーパンとTシャツも購入することに。


 いや、おれは無理に買わなくても良いんじゃないかと言ってあげた。

 しかし、「なんか(下着の)ぱんつを試着したみたいな気分だし……、Tシャツも胸のところ生地が伸びちゃってるし……、買わないのはお店に申し訳ないよ」という、非常にコメントに困る綾さんのご意見が購入の決め手となった。



 まあそれはともかく、とにかくたくさんお店を巡った甲斐があって綾のためにたくさんの服を見つけることができた。




「あの、ほんとに葵くんが全部払って大丈夫……? これなんてこんなに高いし……やっぱり、お金はあとで返したいよ」

「大丈夫だよ。気にしないで」


 紙袋を提げてショッピングモールの散策を再開したところで、綾が申し訳なさそうに支払いを申し出てくれる。


 おれとしては綾に買ってあげたつもりなので、綾からのお金を受け取るつもりはなかった。



 綾が値札をしきりに見てはやるせない表情を浮かべてるのが気になって、おれが全部払うことを申し出たのだ。

 買おうとした服のいくつかは実際にそこそこ高価なものだけど、……もしかしたら、綾はあまりお金に余裕がないかもしれない。

 考えてみれば、里香さんひとりで自身と娘4人を養っているのだ。お小遣いはきっと少なくなってしまうのだろう。



 せっかくここまで遠出してきたのだから、綾にはお金のことを気にしてみじめな思いをしてほしくなかった。

 だから、おれが払うことに決めたのだ。


 葵くんにそこまでしてもらうのは申し訳ない、と遠慮しようとする綾におれが譲らずに説得して、さっきしぶしぶ了承してもらえたと思ったのだけど。



「友達ならこのくらい払って当然だよ。そのかわり、綾は今日買った服をたくさん着てほしい。こんど一緒にどこかか行く時に着てくれれば、それでおれは満足だよ」

「……でも、こんなにたくさんは申し訳ないし、あの、葵くんはほんとに大丈夫?」


 女の子の服は高い。

 買った服の中には高いお店で買ったものも含まれていた。

 おれが無理して払っているんじゃないかと心配で、綾も恐縮してしまっているんだと思う。



「お金ならぜんぜん平気だよ。……実は、収入があるから」

「……収入、って?」

「ちょっとまってね」


 おれはポケットからスマホを取り出して、ブラウザ画面を見せる。



「これは……?」

「ブログというか、まあちょっとしたウェブサイトだよ。おれが趣味で書いてるんだけど、その広告で収入があるんだよ」



 おれは小学5年生のときにピアノを習うのをやめた。習ってた先生――吉川先生が亡くなったからだ。

 それからは気の赴くままに鍵盤に向かうほかに、演奏を聴く時間がずっと増えた。

 演奏会に行くこともあれば、昔のCDを購入してみたり。最近はオンラインで無数の音源をダウンロードできるサービスもある。


 そうして聴いた演奏の自分なりの感想を、自分のウェブサイトにまとめているのだ。

 良いと思った音源はオンラインショップのリンクを貼って紹介したり、あとは記事内に広告を貼ったりしてそこから収益を得ているのだ。


 サイトを立ち上げて3年くらい経つけど、ありがたいことに日々の訪問者のおかげでそこそこのお小遣いが得られている。

 最近は、ピアニストのリサイタルや国内のコンクールの感想記事なんかも書いていて、コンテンツの幅も充実してきている。

 栞が優勝に輝いた全国大会の模様ももちろん記事になっている。



 ということで、おれはそこらへんの同年代よりも裕福な懐事情なのだ。


「まあ、いろいろと幸運だよ。似たようなことやってる人いなかったし、学生だからそういう趣味に割ける時間もあったし」

「すごい……」


 おれのスマホ画面を見て綾が感嘆する。



「だから、おれの心配はしなくて大丈夫。普段からぜんぜんお金は使ってないから、こういう時くらい綾のために使いたい」

「……本当にいいの?」

「うん。おれが綾に買いたい」

「……わかった。ぜったい大事にする」


 しみじみと嬉しそうに綾が"ありがとう"と言ってくれる。

 それだけでおれはとても心地よかった。

 こんな素敵な女の子と、夏のたのしい1日を一緒に過ごすことができるのがとても嬉しい。

 綾の笑顔が見れたのだから、服の代金なんて安いものだった。




 + * + * + * + * + * + * + 




 そのあとおれたちはショッピングセンターをさらに散策した。


 普段男ひとりではなかなか入りづらいアイスクリーム屋さんに入って、限定フレーバーを味わってみたり。

 1階のイベント広場でたまたまやっていたヒーローショーを目にして、想像以上に派手なパフォーマンスにふたりして感激したり。

 書店に入って、受験参考書を一緒に眺めたり(そう、おれたちは受験生なのだ)。



 そのあとはショッピングセンターの中にあるゲームセンターに入った。

 ワンフロアの4分の1くらいを占める非常に大きな区画だ。

 おれも綾も普段こういう場所に入ることがないので最初は見て回るだけだったけど、やがて綾がクレーンゲームのひとつに目をつけた。



「……やった! やったよ葵くん! とれたよ!」


 クレーンゲームと格闘すること約1時間。

 野口先生を何人も犠牲にしてようやくゲットしたのは、大きなネコのぬいぐるみだ。


 おれと綾、慣れてない同士あれこれと相談してようやく手にした成果だった。

 おれたちは自然と手を握り合って喜びを分かち合った。



「やったね。いやあ、とれてよかったよ」

「葵くんのおかげ。ありがとう!」

「綾があきらめなかったからだよ」


 このネコのキャラクターは「ミアウちゃん」という名前らしい。

 一目見て可愛らしい顔で、苦労して手にしてみると一層愛着が湧いてくる。


 ぬいぐるみを抱えて喜ぶ綾の様子は子供っぽくて微笑ましい。

 普段"天使"と呼ばれてる女の子がはしゃぐ姿はとても新鮮だった。



 と、綾はとったばかりのミアウちゃんをおれに差し出してくる。


「……あの、よかったら葵くんに受け取ってほしいの」

「良いの? コレ綾がほしかったぬいぐるみじゃない?」

「最初はそうだったんだけど、葵くんが協力してくれたからとれたし、さっきの服のお礼もしたいなって思って」

「……わかった。ありがとう。嬉しいよ」


 おれは綾からミアウちゃんを受け取る。

 これは綾のお金とがんばりでとったものだ。



「これであおいこだね」

「うん♪」


 おれたちは笑いあった。

 ぬいぐるみなんておれの家には無かったけど、これは大事にしないと。

 そう思った。




 服屋さんの紙袋と巨大なぬいぐるみを抱えたおれたちは、ふたたびゲームセンターの喧噪の中を見て回る。

 ミアウちゃんの巨体は嵩張り、さっき服屋さんで購入しておれがずっと手に持って歩いていた綾の麦わら帽子は、いまは綾の頭の上にあった。


 それは清楚なワンピース姿の綾にとてもよく似合っていて。

 夏らしさが一気に高まって、涼やかでとても可憐だった。


 ぬいぐるみをゲットできたからか、それともおれに少しでもお返しができて満足したからか、綾の足取りは軽々としていた。

 午後ずっと歩き回っている疲れはどこにも感じさせないくらいで、いまにもスキップしそうなくらい気分が良さそうだ。


「~~♪」


 鼻歌まで歌っている。

 まわりの音にかき消されそうだったけど、綾の澄んだソプラノは聞き取ることができた。



 綾が歌ってる歌。それはおれも聞き覚えがあった。


「……それは合唱曲、だね」


 通ってる中学で、みんなで歌ったことがあった曲だ。

 ちなみにその時おれは伴奏をしたのだった。


 ゲームセンターの騒音の中でかき消されると思ってたのか、指摘されて綾はすこしばつが悪そうだった。

 ……誰だって、鼻歌を聴かれたら恥ずかしいか。



「綾の声は綺麗だから聞きとれるよ」

「……恥ずかしいよ」

「おれは事実を言ってるだけだよ」


 おれから目をそらして恥じらう綾。

 ……モジモジとする綾も、胸が締め付けられそうになるくらい可愛らしい。



「夏休み明けに学校の合唱祭で歌うことになって」

「おれも伴奏したことあるよ。良い歌だよね」

「わたしもいい曲だと思って、気に入ってるんですけど……」

「けど?」

「……ソロパートを誰が歌うかがまだ決まってなくて、ちょっと困ってるの」


 困ったように眉を寄せて打ち明ける綾。


 その曲は冒頭で1フレーズほどソロ(またはソリ)がある。

 綾のクラスでは、その部分を誰が歌うのかが夏休みになってもまだ決まっていないのだという。



「綾はやらないの? 綺麗な声してるのに」


 そうおれが言ってみると、綾は控えめに手を振る。

 とんでもない、と遠慮する仕草だ。



「わたしなんか全然……歌なんて習ったことないし」

「でも、歌ってくれる人いないんでしょ? それか、合唱部とかあれば部員さんにお願いしてみるとか」

「ひとりだけいるんだけど、その子は伴奏で」

「なるほど」


 でも、その曲を選んでしまった以上誰かがソロを引き受けないと曲が成り立たなくなってしまう。

 夏休み明けに本番ということは、もう時間はないはずなのに。



「綾は歌うのは嫌い?」

「特に嫌いって気持ちはないけど、……でも、あんまり人前で歌ったりは」

「綾がやってみたら? 向いてると思う」


 綾の透明な声をはじめて聞いた時からずっと強く印象に残っている。

 その声は綾の性格みたいに純粋で透き通っていて、こうして会話をしているだけで胸に沁み込んでいくような心地よい感覚になるのだ。


 綾が歌を歌ったら一体どうなるのだろう。

 とても興味があった。



「……わたしなんかが、やれるのかな」

「ソロと言ってもどうせ数小節なんだし、そんな思いつめなくても良いんじゃない? 終わってみれば良い思い出になると思うよ」

「……」

「もしよければおれも練習にも付き合ってあげられるよ」


 おれが通ってる学校は生徒数が少ないから、音楽の授業でひとりずつボイストレーニングなんかもやっている。

 綾たちの家だときっと栞がピアノを占領してるんだろうけど、おれの家にもピアノはあるから綾が来てもらえば練習できる。


 そう提案してみる。

 もちろん綾がおれの家に来ることに抵抗がなければ、だけど。



「……もしかしたらお願いすることになる、かも。実はわたし、クラス委員長やってて、最後までだれもやりたがらなければわたしが引き受けることになる、かもしれないから」

「ぜんぜん良いよ。いつも暇してるし、なんなら毎日でも」

「……なんだか今日のわたし、葵くんにおねがいしてばかり」

「全然」


 これから家族になろうと言うのなら尚更だ。

 困ってる相手がいたら助け合わないと。



「うち市内から遠いから、それだけがまんしてもらわないといけないけど」

「それくらい平気」

「ならよかった。じゃあ、もし綾がソロパートに選ばれたらいっしょに練習しよう」

「……やっぱり葵くんは優しい」


 この日何度目かわからない、綾の"ありがとう"を聞く。

 何度耳にしても心地よい響きの言葉だった。





 そんなことを話ししつつ、おれたちはゆっくりとゲームの筐体を縫うように歩きだす。



 そのとき。

 綾ははっとした表情になり、何かを思い出したようで。



「葵くん、わたし大事なこと忘れてた。かさねがさね葵くんにお願いばかりで、本当だめだね……」

「全然ダメじゃないよ。何?」

「あの、わたし今日葵くんに4つお話があるって言ったけど、その4つめを完全に忘れてて」

「……それは綾の友達にしてくださいって話じゃなくて?」

「そ、それはわたしが血迷って言ってしまっただけなので忘れてください……」



 てっきり、今日の綾の用件は済んだものと思っていたけど、そうじゃないみたいだ。


 おれは綾のお願いを聞くくらいどうってことない。

 むしろ、お互いの仲が深まっておれも嬉しいくらいだ。



「じゃあ4つめの話ってのは?」

「話っていうよりはお願いなの。葵くんの写真を撮らせてほしくて」

「おれの写真?」

「はい。麗に見せるために」

「ああ、なるほど」



 綾さんたち姉妹のうち、一番下の麗さんとはまだ会ったことが無い。

 家から出ることができない麗さんのためにおれの写真を撮って見せてあげるのは、たしかに大事なことだ。

 ましてや麗さんが男性恐怖症なら、家族になる男の容姿の確認をしておくことは絶対必要なことだろう。



「そういうことだったら全然かまわないよ」


 断る理由のないおれは綾からのお願いを快諾する。

 のだが……


「……」

「……綾?」



 ……綾からの返答がない。


 いつも相手の目を見つめながら話す綾だけど、その時はおれの方ではなく別の方向にあるものに気を取られているようだった。



 綾にしては珍しいと思ってその視線を辿ってみると、その先にあったのは……



 ――プリクラ機。



「……葵くん。わたし、あれやってみたい」



 とんでもないことを言い出す綾さん。



 ……正気ですか?

 麗さんにみせる写真を、あれで?



 まだ血迷ってません?







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