第19話 キオク

手がかりはほとんどなかった。

 目に見えるものは、扉とベッドだけ。

 ベッドの下に秘密の冊子が置かれていることなんてなかったし、扉に暗号を打ち込むキーパットなんてそもそも備え付けれれていなかった。

 窓もなければ、壁に色の違う部分があるわけでもなかった。

 早い話、ここは牢獄なのだ。

 外からあの扉を開けてくれでもしなければ、脱出は限りなく難しい。それこそ、あの時のサンサカがやったように、出入り口を作ることができれば話は別だが。

 そもそも、それができるなら苦労しない。

 僕は嘆息してさっきの会話を思い返した。

 彼女は確かに僕を助けると言った。

 その意図がどこにあるにせよ、あの会話の中身に全くなんの意味もないわけではないのだろう。

 それが煽りにせよ、真にヒントとして機能しているにせよ、多分「意味」はあるのだ。

 考えるのならばそこだ。


 どこに意味があったのか。


 真っ先に思い浮かぶのは、あの意味深に呟かれた最後の言葉。

 しかし、何かたいそうなことを言っていたようにも聞こえたが、結局「お前が考えろ」としか言われていないようなものだ。

 考えてわかるなら、あの電話がなくてもいずれは同じ結果に至れるはずだ。

 つまり、あの電話には「意味がない」。もしくは彼女が僕を煽る意味でしかない、ということになる。

 では、あの「電話自体」に意味があったと考えるならばどうだろうか。

 唐突にかかってきた電話。

 電波もないのに届いた通話。

 見知らぬ相手からの着信。

 考えてもみれば、どれも意味ありげで怪しく思えてくる。

 そしてこれならばある程度、彼女の適当な態度にも説明が付けられる。

 電話をすること自体が目的であって、会話自体はオマケなのだとすれば、あの態度も不自然とも言えないかもしれない。

 僕の意識は、お得意の「思考回路を行ったりきたりする作業」に没頭していた。

 正直、ほとんど煮詰まっている。あとはまとめるだけ、と言った感じなのだが、肝心のところでうまくいかない。

 おたまがぼろぼろで水がうまく掬いあげられないかの如く、あと少しのところで思考は形にならない。

 歯痒い。

 多分、僕は合理的に物事を考えるのが苦手なのだ。

 そうしようと努力はしているのだが、結局行き着くのはいつも「こんな気がするからこう」だ。

 最後まで思考がまとまることがなく、なんとなくで全て行動に移してしまう。

 それが原因でいつも詰めを誤まる。

 完全とは言えない結果に行き着く。

 だが、今回はそうもいかない。

 なんとなくでやってしまえることがないのだ。

 だから、僕はとことんそれに向き合うことを決めた。

 どうするべきか、今は何が必要なのか。どうせ他にできることもないのだ。

 決めてしまうと少しだけ、不安が消えた。


 この場所はどこだろうか?

「僕にゆかりのある場所」

 彼女の言を信じるならば。


 ではベッドの上で感じた焼けるような感覚は?

「僕がかつて経験したもの」

 ただし、それは直近の、すぐ思い出せるものではない。


 それまでは何をしていた?

「……溺れていた」

 玩具の海。どこかで見覚えのある玩具に見えた。


 どこで見たものか?

「かつての僕の部屋」

 そう、それは大昔の話。

 僕が小学生になる前のことだ。


「あぁ、そうか」

 考えをまとめる時、僕は独り言を呟く癖がある。人前ではやらないようにしているが、一人でいる時には、僕はいつもそれをやっている。

 そして、それが功を奏したのかなんなのか。僕の頭に一つの推測が成り立っていた。

 昔の事すぎて思い返すこともなかった出来事だ。

 そしてそれに従うのならば、この場所がどこなのかも推測できる。

 謎でもなんでも無いわけだ。

 なんてことはない、彼女は初めから「答え」を提示していたのだ。


 ここは僕の記憶。記憶の迷宮。

 

 だとすれば、次に何をするべきなのかも当然分かる。

 自分の記憶に従えばいい。

 

 僕は身体を地面に伏せ、ベッドの下に潜り込んだ。その時、ベッドにかかっていたシーツを引っ張り下げ、扉の方向からは自分の姿が隠れるようにした。

 しばらくして、扉の向こうで騒がしい音が響いてきたのを僕は聞き取った。

 

 そろそろだ。


 この世界で、どのくらい僕の記憶が再現されているのかは分からない。

 だが、それは完全に「僕だけのもの」ではないということだけは分かる。

 少なくとも僕は玩具に追いかけられて、玩具の海に溺れたことはないし、屋根のいかだに乗ったこともない。それでも、僕の記憶であると思わせるような出来事が続いている。

 この世界は、何かが致命的にズレていて、それでも整合性が保たれているように見える。

 さながら、風化した思い出だ。

 良かったものが強調され、美化される。

 ならば、その逆もまた然り。

 悪夢のような出来事はより悪夢的に、悪意のあるものへと変容することだって、あるはずなのだ。

「……………、………。………?」

 何やら聞き取れない音、いや。「声」が隠れている僕の耳に届く。

 遠い彼岸からの呼び掛けの如く、距離が開くにつれて散漫と解(ほど)け、原型を手繰り寄せることもままならない。

 しかし同時に、矛盾しているようだが、それは僕のすぐ近くで発せられたものであった。

「…………………」

 次に起こることは分かっている。

 それには違いはないのだが、それでも僕はその声からは逃げたい気持ちになった。

 恐怖、とは少し違う。

 それは恐れと呼ぶには些か軽く、危機感がない。

 改めて振り返ってみないと認識できないほどに。

 それはきっと稚拙な意識が生み出した、幼稚な悪意に芽生えた罪悪感。

 今の僕が抱くにはあまりに不恰好で、意義のない感情。

 分かってはいても、それが僕の心を満たしていた。

 

 思わずベッドのさらに奥へと身を縮めるように押し込んだところで、光の粒が僕の視界を覆い尽くした。

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