第4話 マエガタリ3/3
僕が元の場所に戻って来れたことに気がついたのは、先にそれを潜っていた彼に声をかけられてからであった。と言うのも、「窓」を潜った感覚なんてひとつもなく、ただそれがあった場所を通ったとしか認識できなかったのだ。
確かに、「あれ」がいた場所はこことは違う場所ではあったが、同時に、景色は今いる「ここ」と変わらない。違ったのは、いくら進めど変わらぬ景色と「あれ」がいたことだけ。
僕は自分がいつそこに移動したのかさえも分かっていなかった。
きっかけはあの「音」だろうが。それが何の音なのかも分かっていない。
「あの、ありがとうございます」
「救助隊なんだから当然のことさ。さて、無事に出られたことだし、もう迷わないようにしなよ」
その場所から僕を救ってくれた彼は、僕が何度も告げる謝意を受け流すように適当に切り返した。その態度はまるで、電車で席を替わってあげた、くらいの手軽ささえも感じられ、この目の前の男がいかに規格外なのかが分かった。
それ故なのか、彼の話からは肝心な説明が抜けているように思えて仕方がない。
「助けてもらった分際でこんなことを言うのも気が引けるんですが。迷わないようにも何も、気がついたらあそこにいたので、気をつけようがないというか………」
ひどく人見知りな僕がそれを訊けたのは、彼がそれを待っているようにも見えたからだ。なんと言うか、彼は言葉を放ってから、有るか無きかの間をとっている。それはもう、訊きたいことはないか、とでも言いたげに。
少なくとも僕はそう感じた。
「君は、あそこがどこかそもそも知らないのか。やけに冷静だったから、何度か迷ったことがあるのかと思ったよ」
彼は合点がいったと手を叩き、懐から何やら紙片を取り出した。
「そうだなぁ、まあ、極力今回のようなことがあっても、助けに入るつもりではあるから、君はあまり心配しなくてもいい。ただし、」
彼は紙片を僕に渡し、言葉を紡ぐ。
「君自身が「あれ」に興味があるなら話は別だ。その時は訪ねてきてよ」
渡されたそれは、名刺だった。
『世界危機対処機構 ニャポン・東北域支部長「山坂 仏(やまさか さとり)」』
世界危機対処機構?
聞いたことがない。
「やまさか、さんが所属している組織、機構?ですが、初めて聞きました」
僕の口から出たヤマサカを呼ぶ声は辿々しく、普段から人の名を呼ばない自分らしいものであり、少し恥ずかしい。
「そりゃあ、宣伝活動なんてしてないからね。知っている人の方が少ないと思うよ。とは言え、確かに在る機構ではあるから、それは安心してよ」
ヤマサカは、僕の質問に対し「詐欺じゃないよ」と笑った。
その言葉には実際のところ、なんの保証もないのだが、僕はそれをすんなりと受け入れた。普段の僕であれば考えられないことだ。
「きっと、一度はお尋ねすると思います」
「了解。楽しみに待っているよ……、と名前を聞いていないな」
ヤマサカは去り際に一度立ち止まり、僕の名を訊いた。
「セカイです。『御縁 世快(みえにし せかい)』」
「セカイ、面白い名前だね。覚えて置くよ。それじゃあ、気をつけて帰りなね」
ヤマサカは最後まで軽い口調のまま、僕とは反対方向へと歩いて行ってしまった。
名刺はもらっているとはいえ、最後まで得体の知れない人であったことは間違いない。あくまでも軽い口調を崩さず、どこか諦観のようなものさえ感じさせる、今まで遭遇したことがないようなタイプの人間。
そんな存在に僕は興味を抱いている。
好奇心というのは、人を動かす原動力だ。それがある限り、人はどこまでも進み続けることができる。
人並みな表現しか僕には思い浮かばないが、それは燃料だ。そしてその資源は、僕に不足していたものであったのだ。
突然転がり込んできたそれらの資源は、まだ源泉が見つかったに過ぎない。そこからそれをどうするのかは、完全に僕の手に委ねられているのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます