カラ元気注意報

八ッ夜草平

カラ元気注意報


 学校の屋上からは通学路沿いに植えられた花盛りの桜が一望できた。


 絶景スポットだけれど、表向きは立ち入り禁止となっているこの場所。私こと加賀来かがらい夏樹なつきはここで昼休みを過ごすのが日課になっている。

 今日も購買部で購入したコロッケパンをパクつきながら、眼下の桜をぼうっと眺めていた。


「ゴシップ、ゴシップ~」


 話しかけてきたのは櫛部くしべ葉子ようこ、通称ハコちゃん。おしゃべりな友人だ。


「聞いたー、ナツキ? リョウヤくん付き合い始めたって。それでそのお相手がさあ……」


 事情通を気取るハコちゃんは、私が聞いていてもいなくてもしゃべりまくる。もしかしたら、私が適当に聞き流している方がかえってしゃべりやすいんじゃないだろうか。


「……待って、誰が付き合い始めたって?」


 私はドライな性格なので、他人の色恋沙汰なんかにいちいち反応なんかしないのだが、今回はちょっと事情が違った。

 リョウヤというのはさかい良也りょうやのことだろう。私のいわゆる幼なじみというやつだった。


「だーかーらぁー、愛しのリョウヤくんだよぉー。あれぇ~、やっぱ気になる? 気になるぅ?」


「いや、そういうわけじゃないけど」


 たしかに寝耳に水といった感じの話だった。リョウヤの奴、そんな気配はみじんも見せなかったのに。 

 幼なじみと言ったって、高校生にもなると疎遠になったりするものだが、そこは腐れ縁というやつ。部活も違うのにいまだに一緒に登下校したりすることもある。


「それでそのお相手がね、B組の初声はっせさん」


 ……ふーん。


 初声はっせ美希みきと言えば、陰キャの私でも認知しているB組イチ……いや学年イチかもしれない正統派美少女だ。

 いいところのお嬢様という話で、性格も朗らか、特段優等生ということもないようだけど成績はいつも中の上、気取ったところのない愛されキャラで……。


「お似合いだよねぇ。ハコちゃん的ベストカップルで賞をあげてもいいくらいだね。どうやら初声はっせさんの方からアプローチしたみたい。いつ頃なのかは定かじゃないんだけど」


「…………」


 ハコちゃんの所感を聞き流しながら、私はぼうっと考えた。


 お似合い。そうかもしれない。リョウヤは性格的にはやや愚鈍な男だが、見た目だけならイケメンなのだ。

 高校でサッカー部に入ってから身長も伸びた。私の知らないところで女子人気が盛り上がっていたのだろうか……。


 いやいや。なぜ私がリョウヤなんかのことでモヤモヤしなければならんのだ。花の高校生二年生。恋愛くらいするだろう。

 気にしない、気にしない。私はドライな性格なので。

 まあ幼なじみのよしみ、せいぜい祝福してやろうではないか。


 もそもそとコロッケパンを咀嚼しながら、私はハコちゃんのマシンガントークを聞き流し続けた。



――――――――――――――



 不穏な話を聞いたのは、それから何ヶ月も経ってからだった。


「ゴシップ、ゴシップ~」


 じりじりと照りつける初夏の日差しをまともに受けながら、私とハコちゃんはいつも通り屋上で昼休みを過ごしていた。


「リョウヤくんと初声はっせさん、破局寸前らしいよ」


 なんだそれは。

 リョウヤはもちろんのこと、初声はっせさん――もといミキちゃん――ともそれなりに仲良くなっていた私にとって、またまた寝耳に水の話だった。


 ミキちゃんはそれはそれは良い子で、リョウヤの周りにひっついている私なんかとも仲良くしてくれていた。それは誰とでも仲良くする、という意味においてだが(すくなくとも私はそう解釈している)。

 リョウヤを含めて三人で下校したりすることがあったりなかったり。そんな距離感だった。


「あれ? ナツキは何も聞いてないっぽい? あたしの情報網によれば――」


 またも兆候を感じ取れなかったのは不覚というよりないが、あくまで他人の色恋沙汰。そこまで突っ込んだ興味を持っているわけじゃあない。だとしても……。


 うーん。

 ドライな性格の私とはいえ、これにはひとしきり悩んでしまう。

 私がでしゃばることでもないのだが、ちょっとくらい話を聞いてみてもバチは当たらないのではなかろうか……?



――――――――――――――



 半端な気持ちでいた私のもとに、くだんのミキちゃんがやってきたのはその日の放課後だった。


「ナツキちゃん……!」


 ただならぬ様子のミキちゃんに、私はすぐに用件をさとる。


「わたし……わたし、どうしよう……!」


 訴えかけてくる美少女。顔が近い。

 長いまつげ、キラキラと輝く瞳には、うっすらと涙がにじんでいるではないか。


 ――うっ、陰キャの私にはまぶしすぎる光景。


 しかもあきらかに周りの皆の注目を集めている……。


「あー、その、なんだ。ここじゃ色々アレだからねっ! あとで通話しよ、帰ってから。それがいい、ウン!」


「う、うん……」


 教室を出て行きしな、ちらっとこちらを向いてバイバイしてくるミキちゃんに手を振り返して、私はぎこちない笑顔を顔に張り付けたまま立ちつくした。


 あははは……。


 はぁ……。



――――――――――――――



 帰宅してエアコンのスイッチを入れた私は、制服のままベッドに倒れ込んだ。


「う~ん……」


 暑さで過熱気味のアタマで考える。


 ひょっとして、これはチャンスかもしれない。


 ドライな性格の私とて、リョウヤと私の間に「誰か」が入ってきたことに一抹の違和感をおぼえないではなかったのだ。

 失恋でちょっと弱っているところに、颯爽と現れる幼なじみ。親愛の枠を超えて情愛にまで高まった二人の感情は……。


 はぁ、とため息が出る。


 そんな傷心の相手につけ込むようなマネができれば卑怯者というよりは恋愛達者と言えるだろう。


 ひとしきりぼーっとしてから、私はミキちゃんに音声通話をかけることにした。


「もしもーし、ミキちゃん? いま大丈夫?」


 ミキちゃんの話をひととおり聞いて、私は大筋の事情を理解した。


 なんだ、というのが正直な感想である。


 このところリョウヤの態度がぶっきらぼうで、何か嫌われるようなことしたみたい、とか、他の友達がいるところで素っ気ない態度を取られて思わず怒っちゃった、とか。

 どれも恋人同士がすれ違う原因としてはありふれた理由だった。


 恋愛下手などとというまでもなく、ミキちゃんは純粋すぎ、リョウヤは愚鈍であって、なんとなれば高校二年生、人間関係を構築するための我慢が足りていないだけなのだ。

 長い目で見れば、二人の仲が堅固なものになるための通過儀礼のようなものだった。


 頃合いを見て私は提案した。


「じゃあさ、気晴らしに私とデートでもしようよ」


 リョウヤを妬かせてやろう、とか、ばっちり決めてこよう、とか適当に調子のいいことを言って、私はミキちゃんのOKを取り付けた。


「……じゃ、土曜日の十時に駅の改札前で」


 通話を切って、ううーん……とうめき声を上げる私。


 ひとしきりぼーっとしてから、続いてリョウヤにも通話をかける。


「リョウヤ? あんたねぇ、何やってんの?」


 ミキちゃん泣いてたよ、とか、お前は女心が分かっておらん、などと言って傷心の幼なじみを追い詰めてみる。

 この程度のことでも愚鈍なご本人としては本気で困っているらしいから面白く、私の嗜虐しぎゃく心を刺激してやまない。


 弱いものいじめを適度なところで切り上げ、タイミングを見て提案する。


「じゃあさ、仲直りのプレゼントでも買いに行こう、私が付き合ってあげるから」


 ちゃんとした格好できなさいよ、とか、遊びじゃないんだからね、とかそれらしいことを言ってリョウヤをその気にさせる。


「……じゃ、土曜日の十時に駅の改札前で」


 そう言って通話を切った。


 はぁ、とため息が出る。


 スマホをベッドに放り出して、私はひとりごちた。


「何やってんだ、私……」



――――――――――――――



 数日後の昼休み、まだセミの声のかしましい初夏の屋上。


「ゴシップ、ゴシップ~」


 私はいつものようにコロッケパンを食べながらハコちゃんのマシンガントークを聞き流していた。


「リョウヤくんたち、危機一髪仲直りしたんだって! それからは公衆の面前でイチャイチャしすぎ! 妬けるよねぇ~」


「……ふーん」


 当然じゃん。


 些細なすれ違い。

 恋人同士の不和と言ったって、ようするにたいした問題ではなかったのだ。

 相思相愛なのは変わっていなくて、お互いにまた仲良くしたいなーと思っていて、それでいて言い出せなくて、きっかけさえあれば……きっかけ……。


「ふぐっ……うっ……」


 不意に、私は自分が涙を流していることを意識した。


 気付いてびっくりするハコちゃん。


「えっ、あたし……どうしよう。ごめん、ごめんね!」


 おしゃべりな友人の言葉を聞き流しながら、私は手の甲で涙をぬぐった。


「うっ……うるさいなぁ……」


 私は気にしてないし。


 私はドライな性格なので引きずらないし。


 なのに顔は涙でぐしゃぐしゃで。


 そんな顔はハコちゃんにだって見せたくなくて……。


 ――私はカラ元気を出すのがすこしだけ上手になった。

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