水田

増田朋美

水田

水田

あたたかい春の日であった。もうそろそろ、田んぼに生えている蓮華畑も刈り取られて、緑の風景に変わる時期が近づいてくる季節でもあった。杉ちゃんたちは、大分田んぼも減って、お家ばかりが出来ていくなあ何てつぶやいたりしていたが、もう時代の流れだから仕方ないか、と言って、納得していた。

その日、一台の軽トラックが、製鉄所の前に止まった。トラックは、荷台にお米が入った紙袋を沢山乗せていた。

「今日は。財前です。お米を持ってまいりました。」

玄関先で挨拶する財前文彦さんに、ジョチさんは、玄関先に行って、応答した。

「いつもありがとうございます。お米を持ってきてくださって。」

ジョチさんは、文彦さんに頭を下げる。

「いいえ、こちらこそ、どうせ市場に出回らないで、余ったものですから、ここで貰ってくださって、嬉しいです。」

と、いう文彦さん。

「最近は、お米を食べてくれる人も減りましてね。お米以外の食べ物が沢山出回っているせいで、お米が売れなくなってしまいましてね。こうして貰ってくれれば、ありがたいものです。」

「そうですか。それを、娘の美子さんは、かっこ悪いとか、嫌だとか、そういうんですか?」

と、ジョチさんは聞いた。

「ええ、まあ確かに、かっこ悪いと言われるかもしれません。パッと花を咲かすような功績を出すわけでもなく、毎年毎年、コメをつくって、市場に収めるだけですからね。」

「まあ確かに、今時農業という方は、あまり見かけないとは思いますよ。しかしですね、食べ物をつくるということは、立派な仕事だと思うのですが?」

ジョチさんはもう一度聞いたが、

「いやあ、娘が学校でお父さんは古臭い仕事をしている禿げおやじと言われて、馬鹿にされる原因もつくってしまいました。それに女房は男をつくって家を出て行ってしまった原因もそれです。ですから、農業をしていると言っても、成功したとは言えません。」

と、文彦さんは答えた。

「奥さん、又出ていったんですか?」

「ええ、これで二度目の家出です。もしかしたら、もう帰って来ないんじゃないでしょうか。全くダメな男ですよね。娘にも馬鹿にされているばかりか、女房は家を出て行ってしまったんだから。」

「そうですか。でも、お米をつくっているというのは、大事な仕事ですよ。それはもっと自信を持ってもいいのではありませんか?娘さんがあまりにも反抗的な態度をとるのなら、父親にたいして何をいうんだと、怒鳴ってもいいのではないでしょうか?」

ジョチさんはそういって、文彦さんを慰めるが、

「いいえ、それは昔の話し。今は時代が違いますよ。今は、一度失敗したら、もう取り戻せない時代だと思いますよ。今は、なんでもそろえてやれるような父親じゃないと、娘を育てることはできないんですよ。」

文彦さんは、悲しそうに言った。

「でも、なんでもそろえてやれなくても、父親として、威厳をしめしてやることは可能ではないかと。たとえ、お母さんに逃げられたとしても、実直に生きることで、こちらが正しいんだと思わせることもできるのでは?」

「ええ、理事長さんのいう通りかもしれませんが、学校の先生にも、最下位の人間だと言われましたし、娘の同級生のお母さんたちから、農業をしているなんて、汚らしいと言われる一方で。娘はそういうありさまを何回も見ていますから、私のことを威厳ある父親とは到底思ってくれないと思います。」

「そうかもしれませんが、お父様は、あなたひとり何です、財前さん。美子さんを何とかしてやれるのは、あなたしかいないというのも、また事実ですよ。」

ジョチさんは一寸強く言ってみたが、財前文彦さんは、まだ自信がなさそうだった。

「美子は、ピアノをやりたがっていました。なので私が一生懸命仕事して、ピアノの先生に月謝を出していましたが、あの子はピアノの先生からいじめられているなんて、一言も言わなかったんです。コンクールで敗北して、精神がおかしくなるまで、何も私は知りませんでした。それなのに、精神科の先生は、もっと父親の威厳を見せてやらなければダメと言います。どうしたら、いいのか。分かるわけないじゃないですか。」

まあ、父親としての言い分はそうなるということであるが、やっぱり、完璧な人間など何処にもいないんだとジョチさんは思った。そして同時に、こじれる前に第三者に相談することが、いかに大切なのか、改めて分かった気がした。

「でも、過去の事を言っても仕方ありません。今からでも、父親の権威を見せてやることはできるはずです。このまま放置していたら、美子さんのほうがかわいそうになってしまう。財前さん、それは分かりますよね?」

「ええ、そうしなければならないのは分かりますが、どうしたらいいのでしょう?もうほかの仕事へ行くような学歴もあるわけじゃありません。今さら、職を変えたって、娘が変わるわけじゃないし。その繰り返しですよ。」

「そうですが、でも今は、変わらなければならないんです。それは分かっていただかないといけません。手探りでもいいですから、変わろうとおもえば、娘さんも変わっていくはずです。何か威厳を見せてあげてください。」

ジョチさんはそういったが、文彦さんは頭を垂れたままであった。固まってしまっている彼に、ジョチさんは少しため息をついた。父も娘も、過去を捨てて、現在の問題にぶち当たらなければならないのだ。でも、どちらも疲れ果ててしまっていて、できないでいる。他人にできるのは、ひたすら励ますことだけであった。

「それで、美子はどうしていますか?元気にやっているのでしょうか?」

文彦さんはジョチさんに聞いた。

「ええ。今のところ特に問題がある行動をしてはおりません。ですが、情緒がかなり不安定で、喜んでいる時と、落ち込んだときの落差が激しく、自分に自信がないということは影浦先生からも指摘されました。仕方ないと言えばそうなのかもしれませんが、僕たちも彼女を何とかしようと努力しますから、お父様も、少し、努力していただきたいです。」

「そうですか。やはりあの子は、私が農業という仕事についているのを、許さないのでしょうか?」

文彦さんはそういうことをいう。

「具体的に申しますと、彼女は、妄想の症状があると考えられます。自分は普通のサラリーマン家庭の出身で、高等教育を受けたと言いふらしています。もちろんあなたの職業に起因する可能性はありますが、学校の先生に言われた事、クラスメイトやほかの母親たちに言われた事などが、複雑に絡み合っていると思われます。ですから、まず初めに彼女のつらい気持ちを癒してやる所から初め、それから原因を突き止めて行こうと僕たちは考えています。」

ジョチさんは淡々と彼の話しに応じた。

「では、私は父親として、どうしたらいいのでしょうか?」

文彦さんがそう聞くと、

「ええ。あなたは、いつも通り、コメの栽培をつづけてください。いずれにしても、彼女の事は、僕たちが責任をもってお預かりします。」

と、ジョチさんは答えた。

「それから、いつもいつも、お米を届けてくださってありがとうございました。今日は、もうお帰りになってくれて結構です。これからもお米は必要になると思いますから、沢山つくってくださいね。」

「は、はい、、、。」

と、財前文彦さんは、申し訳なさそうな顔をして、トラックに乗り込み、帰っていった。確か、財前さんの車は、あの軽トラックしかなかったはずだとジョチさんは思った。玄関前に置かれたお米は、袋に品種名が書かれた、立派な農産物である。日本は食べ物についてもう少し重要視してくれたら、又、社会も変わってくれるのではないかとジョチさんはおもった。とりあえず、利用者がお米の袋を台所に持っていった。

製鉄所の利用者の食事は、宅配弁当か、杉ちゃんによる手作りの食事がだされることも在った。杉ちゃんというひとは、料理の達人である。早速、新しく持ってきてくれたお米で、チャーハンをつくってくれた。水穂さんにはそれを応用して雑炊をつくった。

利用者がおいしいねと言いながら、チャーハンを食べている間、杉ちゃんは水穂さんが寝ている四畳半へ行き、雑炊を食べさせようとやっきになるのだ。

「ほらあ、食べてよ。食べる気がしないなんてそんなことは抜きだよ。もうしっかり食べてもらわないと、力が付かないんだよ。」

杉ちゃんは一生懸命水穂さんに食べさせようとするが、水穂さんは顔を横に向けてしまうのだった。もうげっそりと痩せて、ちゃんと食べていないことがはっきり分かる顔つきだった。

「おい、食べてよ。頼むから、食べてもらわないと、つくった人にも失礼だよ。」

杉ちゃんがそういっているのを、先ほどのチャーハンを食べ終わった利用者たちが、杉ちゃんと水穂さんの様子を眺めていた。いつも自分がつくった何て絶対に主張しない杉ちゃんが、そういうことをいうのだから、水穂さんは、相当食べない日が続いているのだろう。

「ほら!」

とちょっと強めにいって、おさじを水穂さんの口もとに持っていくのであるが、水穂さんはご飯を口にしてもせき込んで吐いてしまうのである。同時に血液も出て、急いでそれをふき取らなければならなかった。

「あーあ、だめだこりゃ。影浦先生は、精神的に食べ物を受け付けないんだというけど、自分で何とかしなければとおもえるか思えないかの違いなんだよね。」

水穂さんの口もとを拭きながら、杉ちゃんは言った。

「まあ、でも畳を張替えしなくてもよかった事だけましか。」

と、杉ちゃんは言った。それを、眺めている女性の中には、あの、財前美子も混じっていた。

「つくった本人に失礼何て、言わなくていいわ。父がつくった米なんて、おいしくはないわよ。」

と、美子はつぶやくのだった。

「おいしくは無いって、そういうことはいうもんじゃないよ。でも確かに、お前さんは寂しかっただろうな。お前さんのお父ちゃんは、勤め人じゃないんだし。父ちゃんが勤めてなくて、一日中家にいるような家庭は、誰でも不思議がるよ。」

杉ちゃんは急いで言った。ようやくせき込むのが止まってくれた水穂さんも、それを聞いている。

「まあ、普通の家とちょっと違うことは確かなんだろうが、でもお前さんの家は食べ物っていう成果が直ぐ出るんだから、それはいいことじゃないの?」

「そうかもしれないけど。」

美子は、小さい声でいう。

「私は、普通の家庭ではないって、さんざん言われて、ピアノの先生にも学校の先生にも馬鹿にされて。」

「まあまあ、それはそうかもしれないけどさ、でも、食べ物ってのは、人間が生きていくのに一番必要なものなんだし。幾らいい薬があるって言ったって、食べ物を食べなきゃ治らないだろう。それをつくれるってのはすごいことだと思うけど。」

と、杉ちゃんは彼女にそういった。

「ご飯を食べなくてもお菓子があるし、服におしゃれにスマートフォンが無ければ普通でいられないというが、それは絶対間違いだぜ。やっぱり人間、食べ物を食べることが必要なんだよ。」

「そうねえ。あたしが、今まで馬鹿にされたりしたことは結局、誰も分かってくれないんですね。」

杉ちゃんがそういっても、彼女、財前美子は、そういうだけなのであった。

「そういうことは、馬鹿にした方が間違いだって思っておけば其れでいいの。それで。」

と、杉ちゃんはいうが、財前さんには届かなかったようで、まだぶすっとした表情をしたままであった。

その日の夕食も杉ちゃんがつくった。内容は白いご飯とみそ汁にハンバーグとサラダ。中には、こういうご飯何ておいしくないという利用者もいるが、何日も同じものを食ってくれれば、おいしくなると杉ちゃんは言っていた。

「ちなみにこのハンバーグはだな。具材の中にマッシュポテトを入れてある。これで、肉汁が出なくて済むようになっているのさ。それで、おいしいのが、中に入ったまま、食べられるというわけだ。」

「へえ、すごいねえ杉ちゃんは。そういう事まで知っているなんて、あたしたちも勉強になるわ。」

と利用者たちは、ハンバーグを食べながらそういうことを言った。

「水穂さんはどうするの?肉のハンバーグは食べられないわよね?」

別の利用者がそういうと、

「ああ、お豆腐でつくっておいたから、多分食べるだろう。」

と、杉ちゃんは即答した。即答ができるのが、杉ちゃんである。

「どうかなあ。水穂さん、お昼の時だって、食べる気がしないってずっと言ってたじゃないですか。あのままじゃ、明らかに、餓死しちゃいますよ。」

少し抜けた利用者が、杉ちゃんの発言にそういうのであるが、

「そういうことは口に出して言わないほうがいいぞ。」

と、杉ちゃんに言いくるめられてしまった。

「そうですね。でも、水穂さんも何とかして食べてもらわないとね、、、。」

数少ない男性の利用者がそういう。確かに彼のいう通りでもあった。

「杉ちゃん、どうしても水穂さん、食べてくれませんよ。やっぱりたくあん一切れでもういいみたい。」

と、利用者が杉ちゃんに言った。水穂さんにとって、食べ物をとるというのは、たくあん一切れで十分すぎるのだろうか?それはいけないのである。

「やれやれ、困ったもんだ。もうどうしたらいいのかな、僕たちは食べてもらわないと困る立場にいるわけで。」

と、杉ちゃんは嫌な顔をする。

「無理やり食べさせて、又吐き出してしまうのもかわいそうな気がしますしねえ。」

また先ほどの頭の抜けた利用者がそういうと、

「あのな、お前さんもちゃんと考えろ、お前さんは経験がないから、直ぐそういう事言えるだろうけど、餓死したら、どうなるか。永久に居なくなるってことがな。それでは、いけないから何とかして食べさせようとしているわけでね。僕たちは。」

杉ちゃんは、その利用者を諭すように言った。確かにこの利用者のような、死についてあまり深刻に考えたことがない人が最近増えている。多分きっと、家族が少なくなりすぎて、願いは叶うけれど、失う経験をしていないせいだろう。

「まあそういうことが平気で言えるってことは、人を馬鹿にすることにもつながるよ。とにかく、食べさせて何とかしなくちゃ。じゃあ僕が行くよ。」

と、杉ちゃんは食堂から出て、四畳半に行った。

「あの。」

と、杉ちゃんに声をかけたのは、あの財前美子さんである。

「あたしも一緒に行っていいですか?何か一緒にしてやりたいんです。」

「ああいいよ。来い。」

何もわけを聞かずに杉ちゃんは一緒にくるように言った。

「水穂さんせめて、ハンバーグだけでも食べてもらえないかな。肉も魚も使わないでつくったからな。あたる心配なんてないよ。」

杉ちゃんが一寸いらだった感じでそういうが、水穂さんは天井を見つめて黙っていたままだった。

「ほら、食べてよ。」

もう一度おさじを口もとへもっていったがいずれも駄目であった。どうしても食べてくれようとはしないのだ。

「あーあ、どうしたらいいもんかな。どうしても食べないよ。明日ご飯をつくる気力もなくすよ。」

と、食堂に戻ってきた杉ちゃんは、大きなため息をついた。

「何とか食べろと言ってやりたいんだどね。僕たちは、できないもんかな。」

「杉ちゃんの気持ちわかる。あたしたちもそうだもん。水穂さんほんと食べないよね。」

ほかの利用者たちもそういうことを言っているが、

「でも、何とかしなきゃいけないんだよ。いいか、餓死しちゃうことだけは絶対避けたいからな。」

と、杉ちゃんは言った。しばらく考えているような顔つきをしたが、

「そうだ!」

と、テーブルをバンと叩いた。

「お前さんのお父ちゃんに叱ってもらおう。」

いきなり、杉ちゃんに言われて、財前美子はびっくりしてしまう。

「直ぐにお前さんのお父ちゃんにこっちへ来てくれるように言ってくれ。それで、お米をつくっている時の苦労話を語って聞かせろ。ほら、早くやれよ。このままだと水穂さんもダメに成っちまうから。」

「は、はい。分かりました。」

と、強引に持って行ってしまう杉ちゃんに、美子は少々びっくりしてしまったが、とりあえず杉ちゃんのいう通りにした方がいいと男性の利用者に言われて、急いで父親に電話をかけてしまった。杉ちゃんに言われた通り、食べ物をつくる時の苦労を教えてくれと頼む。父は何だか迷っている様子だったが、

直ぐに行くと言ってくれた。

数十分して、父である、財前文彦さんが製鉄所にやってきた。杉ちゃんが直ぐに玄関先にいって、こういうわけで、水穂さんという食べ物をとらない困った人に、食べものをつくるときの苦労を話してくれというと、文彦さんはそんな人がいるのかという顔をしていたが、杉ちゃんの説得で納得してくれたようだ。二人は四畳半に直行する。美子もそのあとを追いかけて、二人の話しを聞くことにした。

「水穂さん、今日のご飯をつくってくれた人だ。お前さんがいらないと言っているご飯はこの人が全部つくっているんだよ。一寸米ができるまでの話しを聞かせてやってくれるか?」

と、杉ちゃんが言った。

「先日、田んぼを耕運機で起してきました。もう少ししたら、水を入れてしろをかきます。稲の品種によっては、水加減が大変で。夏になれば台風で稲が倒れてしまうかもしれないし、そのあとは、スズメに注意して鳥よけもつくらなければならないし。収穫まで放置しておけばいいかというわけではありません。花が咲いたら又水を深くして、稲の穂がついてきたら、水を抜く。最近は夏が暑すぎてしまうこともありますから、雑草取りに、すごい労力がいることもありますし、熱中症になりかけたこともあります。」

そういうことを淡々と語る父を、美子は始めて見たような気がした。

これがもしかしたら、父親の威厳ということだろうか?

「とにかくな。米をつくるなんて、簡単な事ではありません。いろんなことしなければならないですし、でも、苦労が報われないことばっかりです。」

水穂さんは黙ったままそれを聞いていた。

「つくる側としては、食べてほしいですね。やっぱり、それが生きがいだと思いますので。」

と、文彦さんはそういっている。

「ほら、だからせめてご飯だけでも食べてくれないかな。つくるのだって、大変なんだから。」

杉ちゃんがそう促すが、水穂さんは、黙ったままであった。

「どんな身分の人だって、食べることはすると思います。身分に関係なく、食べるということは、必要なんですから。」

文彦さんにいわれて、水穂さんはそうですねとだけ言った。

もしかしたら、水穂さんも私のようにだれにも理解されない問題を持っているのだろうか、美子はおもった。それだけの事だろうか。




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水田 増田朋美 @masubuchi4996

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