来訪者

 その日、俺はまた屋根の上にいた。よく晴れた気持ちのいい日だったけど、仕事の方はきつかった。最初のモデルハウスが大詰めに差し掛かる頃、日差しは随分と夏らしくなっていた。

 日差しが強くても、俺は屋根の上で飯を食うのが好きだった。周りには段々と家が増えて来て、見学に来る家族連れもちらほら見えた。

 何にもない真っ平らな景色の方が良かったなって思いながら、俺はその日も鳥と空とを眺めた。

 日差しも空気も暑苦しかったけれど、その分不意に注ぐ涼風が心地よい。次にカズキの所に行ったら、屋根の上の話をしようと思った。

 そうしていると、妙なものが見えた。ワンピースみたいなのを着た女だとわかった。様子が変だったから、しばらく目でおった。そいつは物陰に隠れながら、あたりをキョロキョロして、人が通るとさっと引っ込んでいく。人がいなくなるとまた次の物陰に走っていった。

 やがて女の姿は見えなくなった。俺は珍しいものを見たくらいの気にしかならなかった。

 俺はこの話もしてみようと思って、午後の仕事を再開した。


* * *


 その日、仕事は遅くまでかかった。いつもより1時間くらい遅かったように思う。だらだら仕事をしたツケが回って来た形さ、不意に社長がやって来て現場監督に嫌ごとを1つ2つ言ってるのを見たから、今日は遅いだろうなと思ってた。

 それでも俺たちの仕事は深夜までやることなんてない。音がするからな、周りに人が住んでるなら尚更だった。

 俺は近くの弁当屋に寄ってからカズキの家に向かった。だいたいこのくらいの時間なら帰っているなってことを、いつのまにか覚えていた。

 弁当からいい匂いがしていた。弁当屋は最近見つけたところだった。コンビニより少し割高だけど、温かいものを食べさせたいと思っていた。

 途中、長屋が一棟解体されていた。俺はそうかって思った。もうすぐこの辺りも更地になるんだって。

 やっぱりカズキのことを考えた。あいつは言ってた、"ここしか帰るところがない"。

 少しだけ、小さい心臓が跳ねた。でも、あんまりいい感じゃなかった。俺は、不安を覚えたんだってわかった。

 ウチで雇うのはどうだろう。もうすぐ還暦の田辺さんは中卒だって言ってた。カズキは小学校すら行ってないだろうけど、俺たちの仕事に学歴は必要ない。俺だって働き出して初めて勉強した。

 それに、カズキは頭がいい。とても12そこらに思えない。話すたびにそう思う。きっと物覚えが良いだろう。ウチで1番の職人になるかもしれない。

 そんなことをぼんやり思って歩いていると、目の前に女が現れた。正しくは倒れていた。

 灯りのない廃屋に挟まれた道のど真ん中にうつ伏せで女が倒れている。ここにくるといつも驚かされる。ぎよっとならなかっただけ良かったのかもしれない。

 だけど近くまで来てぎょっとしてしまった。その女は、昼間見たあの女だった。

 よく見ると花柄が付いているが、やっぱり昼間見たワンピースの女だ。少し赤みがかかった長い髪が広がっていたから、最初は血かもしれないと思った。

 身体が僅かに動いている。どうやら生きてはいるらしい。俺は誰かに見られたら変な疑いを持たれるかもしれないと思ってその場を離れようとした。それに、飯が冷めるのは嫌だった。

 だが、横を過ぎた所で女がのそりと顔を上げた。俺はまた固まってしまった。お化けなんて信じてないが、ここではお化けみたいなのをよく見る。

 女が顔を上げる。髪が乱れて顔は見えないが、間違いなく俺を見ている。そのまま四つん這いになってこっちに来る。昔見た映画の幽霊みたいだった。

 ジリジリと距離を詰められる。俺は少しだけ好奇心の混ざった思いで眺めていた。

 やがて目の前(女は四つん這いだが)まで来た女が手を伸ばす。幽霊に蹴りは効くのだろうか。

 だが、伸ばされらかけた手は俺に触れることなくだらりとたれた。腕に続くように身体ごとまた倒れ込む。

 変な夢でも見ているんだろうかと思ったところで、聞き馴染みのある荷車の音が聞こえた。そっちに目をやると、カズキがいつもみたいに荷車を引いて来るのが見えた。

 カズキは俺を見つけると笑顔で手を挙げたが、倒れている女をみとめると見たこともないくらい顔をしかめた。

 俺の前まで来て言った

 「…殺したのか?」

 「まさか。もとから死んでた」

 会話を聞いていたみたいに、女の腹から虫の鳴く音がした。

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