鳶の話

 仕事は週に2日、火曜日と木曜日が休みだった。俺は毎週月曜日にカズキの家に行くことにしていた。毎日でも良かったけど、迷惑かもしれないって思ったから。

 その日、古着を持って行ったのは正解だった。上等なものじゃなかったけど、それでもカズキは喜んでくれた。

 カズキは遠慮をしない。飯も服も、やると言ったらきっちり納めた。嫌な感じなんて全くないさ。むしろ気分が良い。ありがとうって言ってくれるんだ。

 「毛布だけじゃ凍え死ぬ所だった」

 言って丈の短くなったジャージに袖を通す。カズキの背丈は12歳の俺と同じくらいだった。だから余計に、その細い手足が際立った。

 俺たちはまた一緒に飯を食べた。

 カズキは今日も一日荷車を引くか、ゴミを漁るかしていたらしい。

 飯が終わると、あの箱を探り出した。すると、一冊の本を差し出してきた。

 「これやるよ」

 俺はそれが小説だとわかった。そしてぎょっとした。ここに来ると毎日そうしている気がする。とんでもなく分厚い。

 「これは?」

 「白鯨だよ。昨日話したろ?」

 俺は手に取った本の厚さに辟易した。500ページ以上あるとわかったところで、丁重に断った。

 「あいにく趣味じゃない。漫画ですら読まないんた」

 「あんた仕事がない日は何してるんだ?」

 カズキは本を仕舞いながら聞いてきた。着ると暑かったのか、ジャージの腕を捲っている。

 問われて、返答に困った。休日。俺は久しぶりに自分がどれだけぼんやり生きているか考えた。

 「何か、って言える程の事はしてないな。休みの前の日には、遅くまで散歩するんだ。空が白んでくる頃まで。あとは家に帰って、シャワーを浴びて、少しぼんやりして。眠る。起きたらだいたい昼を過ぎてる。腹が減ってたら飯を食うし、そうでもないなら、減るまでベッドでぼんやりしてる。だいたい、そんな感じかな」

 変わってるだろって、俺は付け加えた。口に出してみると、何だか悲しかった。

 カズキはいつもと変わらない様子で言った、

 「変わってるのか?」

 続けて言った。「俺は良いなと思う。ぼんやり散歩なんてしたことないから。すごく自由な気がするよ。俺だったら、そのままどこかに行っちまうな。きっと、きっと海に行くぜ。浜辺を歩くんだ。日が登って、頭を通り越して、また沈んで行くまで」

 俺は一日海にいて何をするんだ?って聞いた。なんだかカズキは、当てがないように見えてどこかに続く道を歩む気がしたから。

 「鯨を見てみたい。船にも乗りたい。今は無理かもしれないけど。それでも、可能性は見れるから。可能性を感じるのと感じないのとでは、雲泥の差だぜ。だから探しに歩く。俺がどこかに行く可能性を。どこまで行けるのかわからなくなるくらい」

 俺はそうかって笑った。気分が良かった。

 「あんたも、どこかに行ってみなよ。知らない街とか、降りたことのない駅とか。理由なんて作らずにさ」

 「それはいつもしてる散歩と同じじゃないか」

 「ちがう。理由はなくても、目的はある。どこかに行くって目的が。ただ時間を潰すのとは違うよ。きっと、見えるもんが違うぜ」

 聞いて、俺はまたそうかって笑った。やっぱり、良い気分だった。

 そこからまた、俺は色んな話をした。カズキが沢山聞いてくるから。話すたび、どこか虚しい想いがした。けど、カズキは全部良いなって言った。何でもできるじゃないかって。その度に俺は良い気分で、そうだなって笑った。

 俺は何処かに行ってみようと思った。どこか、知らないところに。思い浮かんだのは海だった。あんまり綺麗な所じゃないけど、それでも行こうと思った。なんだか、何かがあるような気がしていた。何か、見たこともない、何か。

 今度はもっと気の利いた話ができるようにするよって、俺は言った。

 立ち上がって帰ろうとした。そしてらカズキが呼び止めた。

 「貰ってばっかりじゃ悪い。本が嫌いなら、これ持って行ってくれ」

 そう言ってカズキが箱を漁り出す。出てきたのは綺麗な石だった。

 「ばぁちゃんと川に行った時に拾ったんだ。そんなんしかないけど、勘弁してくれ。いつかきっちり返すよ」

 俺は少し可笑しくなって笑った。ありがとうって言って家を後にする。やっぱり、良い気分だった。

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