鴉の本
次の日もカズキの家に行ったんだ。2人分の飯を持って。俺はあいつを気に入っていた。その時はまだ何でかわからなかったけど、後になって思った。俺は彼の生きようとする姿を見たかったんだ。自分にはない、命の輝きっていうのかな。そんなのがある気がしてたんだ。だから俺は、あいつの話を聞きたいと思った。ばぁさんが居なくなってから、どんなふうに生きてたのかなって、ばぁさんといる時はどんなだったのかなって。
前の晩と同じくらいの時間だった。家に古い型のインターフォンが付いていた。試しに押してみたけど、やっぱり鳴らなかった。
ノックして、あいつの名前を呼んだ。でも、誰も出てこなかった。裏側に回って、あの古い引き戸を覗いてみたけど、灯りはついてなかった。汚いペットボトルが3本くらい並んでたな。
俺は中に入ろうとした。鍵なんてかかってないだろうなって思ったから。扉は案の定開いた。
そしたら昨日あった荷車がないんだ。俺はすぐピンときた。あいつはまだ稼ぎに行ってるんだって。
余計に会いたくなって、俺は帰りを待つことにした。寒かったけど、中に入るのは辞めたんだ。やっぱり悪いような気がしてさ。
しばらく外に立ってた。俺は作業着のままでだんだん寒さが堪えて来た。たまりかねて座って自分の身体を抱きしめるみたいにした。すごく寒かったんだ。すごく。その時も考えた、あいつはあの古い毛布の下にちゃんと着てるのかなって。
しばらくじっとしていると、足音が聞こえてきた。でも、カズキじゃないだろうなって思った。荷車の音がしないし、ズカズカと重たい足音だった。
俺はまたぎょっとしたんだ。薄暗い道からおっかない顔した中年の女が歩いて来た。
そいつは俺の前まで来ると言ったんだ。
「あんた、鴉の友達かい?」
すごく嫌な感じだった。汚い虫に話しかけるみたいな、そんな声色だった。
「鴉?」
「ここに住み着いてる子供だよ。ゴミを漁って散らかすから、鴉」
俺はカズキのことを言ってるんだとわかった。同時に、あの必死に生きようとする子がそんな呼ばれ方をしてるんだって、ちょっとだけ悲しかった。
友達かと聞かれて戸惑った。まだ会って一日だし、俺は友達を作ったことがない。
でも、俺は何かに反抗したくて
「そうだよ」って答えてた。
そしたらあの嫌そうな顔がもっと皺くちゃになって色んなこと言われた。どうにかしろとか、役所に連れて行けとか。もっともらしいなって頭で思ってたかど、なんだかどうでも良かったんだ。そんなことは。
俺がぼうっと聞き流してると、女は最後に「あんたもおかしいのか」って吐き捨ててどっか行った。そんなことより、俺は寒くてたまらなかった。
女が行ってからまたしばらく待った。そしたら荷車の音がしたんだ。ゆっくりゆっくり。疲れた音だった。
カズキは俺を見つけると、おうって、ちょっと驚いた顔をしてた。
俺はぎこちなく笑って、買ってきた飯を掲げた。
* * *
カズキは、買ってきた飯をあっという間に平らげた。俺は嬉しくなって、自分の分もあげた。あんな気持ちは初めてだった。
家に電気は通ってなかった。昨日部屋を照らしてた灯りは、いくつかの小さなランプだった。手回しで充電するやつで、飯を済ますと一生懸命に手を動かしていた。
そいつが光りを灯した頃に、俺は言った。
「話が聞きたいんだ」
「話?」
「カズキの話。今までどうやって生きてきたのか、どうしてそんなに生きようとできるのか」
「どうして?」
「知りたいんだ。昔から、何で生きてるのかわからなくて。ずっと惰性なんだ。別に死にたいって訳じゃないんだけど、生きてて楽しいかってきかれると、そうでもない。もうずっとそうなんだ。だから知りたいんだ、君が、どうしてそんなに生きようとできるのか」
カズキは少し考えてるみたいだった。またあの汚いコップから水を飲んだ。
「あんた本は読むか?」
「いいや、そんなに読まない。たまに数学の勉強をする。仕事に必要だから」
「じゃあ、小説は読まないんだな」
興味を持ったことすらなかった。
「好きな本が沢山あるんだ。ばぁちゃんが読み書きを教えてくれたから、大人が読むようなのでも読めるんだぜ」
カズキの目は、いつにも増して喜色を帯びた強い光を放った。
「刑務所のリタ・ヘイワーズを知ってるか?脱獄の話さ。何十年もかけてやり遂げるんだ。そして自由を手にする。俺はそんなのに憧れているんだ。海の見える街に行って…」
そこからカズキは、沢山の本の話をしてくれた。恐ろしい怪物、モービィ・ディック(白鯨と言うがシロナガスクジラじゃないらしい)に執念を燃やした男の話、吸血鬼から蜘蛛を盗んで吸血鬼になった少年の話、漁に出たお爺さんが散々な目に遭って帰ってくる話。
俺は1つも読んだことなかったけど、話を聞くのは楽しかった。細い腕をあちこちに振り回して話すカズキを見てると、またあの小さい心臓が跳ねた。
そして、毛布の下が薄いシャツ1枚だったのを見て、物置に押し込んだ古着のことを考えていた。
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