ゴミ捨て場の子供

 その日は風が強かった。雨になるって、誰かが言ってた。そんな日は皆んな高所の作業を嫌がる。そりゃそうさ、グラグラする足場にグラグラする梁。誰だって怖い。何より怖いのは自分の足さ。足場と梁に負けず劣らずグラグラしてんだから。

 勘違いしないで欲しいのは、どこの業者もウチみたいじゃないって事だ。地場の傾いた会社でね。当時俺が19歳で1番の下っ端。その次はもう50歳を超えてるんだ。経理の事務員を入れて良いなら37歳だが。

 とにかく、悪天候の時は上に登れるのは俺くらいしかいなかった。

 貧乏くじなんかじゃないよ。俺は高い所が好きだから。もっと言うと、危ない所が好きだったんだ。いつ死ぬかわからない所に行くと、ようやっと自分の命が我が物になった気がするんだよ。おかしな話だけどね。

 よく現場監督にドヤされた。俺は命綱の点検があんまりにも適当だったから。その日も怒られたな。

 登ると風が少し冷たかったけど、目に写る景色が広々として気持ちよかった。もう雨は降り出していて、足場は悪かったけど、気分は晴れやかだった。

 その日の仕事は棟-大黒柱って言った方が聞き馴染みがあるかもしれない-に梁を4本繋げる事だった。別に特別な技術はいらないよ。あらかじめ螺子を打つ所に印がついてるから、俺は螺子を刺して電動ドリルのスイッチを押せば良い。

 手元なんか気にせずに景色を見てた。電動ドリルって凄いんだよ。丁度いい所で勝手に止まるんだから。

 空には色んな鳥が飛んでた。現場は山の多い田舎でね。その日は鳩や鴉以外にも、鳶が飛んでいた。1番高い所にいた鳥を、ぼんやり追ってみた。どこ行くのかなって。鳥は自由だった。降りたり上がったり、ぐるぐる回ったり。

 追っていくと、変なものが見えた。ハロウィンの幽霊みたいなのがいたんだ。そいつはゴミ捨て場をウロウロしていた。

 片手間に作業を続けながら、しばらくそいつを眺めてた。ゴミ捨て場(もっとも廃材をひとまず置いているだけだが)から何かを運んでるんだ。折れた鉄パイプとか、錆びた鋸とか。いくつか抱えては近くの長屋に入って行く。その長屋は遠目に見てもひどいボロ屋だった。

 その日の作業を終えて解散になった後、俺はそいつを見た辺りに行った。お化けを一目見てやろうと思ってさ。そんなに遅い時間じゃなかったけど、田舎だからほとんど真っ暗だった。

 なんて事ないゴミ捨て場だったよ。ウチらも使ってた。でも、最近捨てた筈の古釘とか、瓦礫とかがないんだ。

 変だなと思って辺りを見回した。やっぱりあの幽霊は見間違いじゃなかったんだって思ったよ。

 しばらくきょろきょろしてると、腰を抜かしそうになった。あの幽霊が入って行ったボロ屋からまさそいつがこっち見てるんだから。

 俺は完全に固まってしまったな。幽霊なんて見たことなかったし、信じてもなかった。けどそいつは確かにそこにいて、しばらくするとこっちに歩いて来るんだ。

 そいつが被ってたのは小汚い毛布だった。下から穴だらけの靴を履いた足が伸びてたよ。

 俺の前まで来ると、フードみたいに被った毛布をとった。出てきたのは子供だった。12そこらで、やつれた顔をしていた。でも、目だけはやけにはっきりと、はつらつとした輝きがあった。

 しばらく睨み合った(俺は動けなかっただけなんだが)後に、その子が言った「中で話さないか?」


* * *


 入って行ったのはやっぱりあのボロ屋だった。

 間取りの上では玄関であろう場所は鉄屑とか壊れた工具、久しく見ない荷車でぎゅうぎゅうだった。

 子供は当たり前みたいに靴のまま上がって行くので、俺もそれに習った。

 煤けた壁に挟まれた廊下を進むと、ぼんやり灯のついた部屋にでた。ささくれ立った古い畳の間で、これまた久しく見ないちゃぶ台が置いてある。それもかなり古かった。

 俺と子供はちゃぶ台を挟んで向かい合わせに座った。彼は座ると後ろに置いてある箱から霞んだプラスチックのコップを2つ取り出した。俺は最初それをゴミ箱だと思っていた。

 今度は庭に繋がるのであろう引き戸を開けた。立て付けが悪いのか、相当傷んでいるのか、ギィギィと嫌な音がした。少し開くと隙間風が入ってくる。その日は4月の頭頃だったけど、まだ夜は冷えた。

 冷える外から彼はボコボコのペットボトルを持って来た。中に水が入っている。ペットボトル自体が汚れていたが、その水も汚れていた。

 彼は涼しい顔でそれをコップに注ぎ出した。

 人生で2回だけ神様に祈った事がある。最初の1回がその日だった。間違ってもその水が自分に出されませんようにって。

 神の不在を思っていると、そいつは自分のコップにも水を入れて何の躊躇もなく飲んだ。

 喉が潤うと彼はこう聞いてきた「俺を捕まえにきたのか?」

 俺は違うと言った。ただ作業をしていたら妙なものを見て、気になっただけだって。それだけ聞くと安心したのか、またコップにあの水を注いで飲み出した。

 俺も俺で気になったことを聞いた、「ここに住んでるのか?」

 「そうだよ」

 「1人で?」

 「この一年くらいかな」

 「親は?」

 「とっくの昔にどっかに消えた」

 「じゃあ誰と住んでたんだ?その人はもういないのか?」

 「ばぁちゃんと住んでた。ここの持ち主の。俺は捨てられて死にかけてる所を拾われた。2つか、3つのときに」

 俺は産まれて初めて狼狽したよ。この国に、そんな話があるなんてって。

 「ばぁさんはどこに行ったんだ?死んだのか?」

 「違う。子供が連れて行った。お袋って呼んでたからたぶん子供だ。すごく嫌な感じだったよ。母親のことを思ってと言うより、付いてきたおっかない人達に怯えて渋々連れ帰るって感じだった」

 「それから君はずっと1人なのか」

 「そうだよ。ここしか帰る場所がないから」

 俺は言葉を失った。同情なんかはしてないさ。ただ状況が飲み込めなかっただけ。下手に関わらない方が良いって言うのも、なんとなくわかってはいた。

 「ゴミ捨て場で何をしていた?食べ物でも探していたのか?」

 「いや、鉄屑を集めていた。売れるんだ。1日頑張れば飯にありつける」

 俺はなんだか妙な気分だった。何故か玄関に置いてあった荷車と、彼の細い手足を思った。そしたらなんだか、さらに妙な気分になった。心臓の奥にもう一つ心臓があるみたいだった。

 俺は自分の名前を言った「岸田凉って言うんだ」。それから彼の名前を聞いた。名前を聞かれることなんてないんだろうな、ちょっと言葉に詰まってた。一口水を飲んでから答えてくれた。

 「カズキ。苗字はばぁちゃんに言われて捨てた」

 そうかって、俺はそれだけ言って立ち上がった。

 帰り際、自分でもよくわからない、けれど嫌な感じじゃない感覚の中でこう付け加えた「またな」

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