第9話 いっそ「と言った」を省く

 小説を書いていて、一番に困るのは「と私は言った。」文です。


 では「と私は言った。」を別の語に置き換えて書いたらどうでしょうか。


 「と私は語った。」「と私は述べた。」「と私は告げた。」


 すべて駄目です。

 まったくもって及第点にすら達しません。



 そもそもなぜ「と私は言った。」と書かなければならないのでしょうか。


 それは話の流れで、他人に焦点を当てていたところで主人公が自分で「口を出す」動作を書きたいから。

 これが「と私は言った。」文が量産される最大の原因です。



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 田中さんは営業所一の働き者だ。

「ねぇ、経費の精算にいつまでかかっているの?」

 と私は言った。

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 この場合、誰が「言った」のかを書かないと、田中さんが話したように読めますよね。

 もし本当に田中さんが話したのなら、次のように書けばよいのでしょうか?


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 田中さんは営業所一の働き者だ。

「ねぇ、経費の精算にいつまでかかっているの?」

 と田中さんは言った。

────────

 わからないではないですが、いささかくどい。

 直近で「田中さん」という言葉が二回出てくるからです。

 では後ろの「田中さんは」を省きます。


────────

 田中さんは営業所一の働き者だ。

「ねぇ、経費の精算にいつまでかかっているの?」

 と言った。

────────

 今度はどうでしょうか。

 これでバッチリと思った方もいらっしゃいますよね。

 ですが、これだけ主人公が話しているようにも読めてしまうのです。



 ここからが今回の提案です。


 いっそ「と私は言った。」文そのものを省けないか。


────────

 田中さんは営業所一の働き者だ。

「ねぇ、経費の精算にいつまでかかっているの?」

────────

 誰が言ったかわかりませんよね。ですがこのあとに「彼女が差し出した一枚の領収証を受け取った。」と書く。

 すると「と田中さんは言った。」と書かなくても、「ねぇ、〜」は田中さんのセリフだとわかります。



 そもそもカギカッコを用いた会話文には「誰かが言った」「誰かから聞いた」表裏一体の意味があります。


 であれば「カギカッコを用いた会話文」には、取り立てて「と私は言った。」も「と私は聞いた。」も、不要な文なのです。



 では「誰が言ったか聞いたか」を決めるのはどこでしょうか。


 前後の描写の主体が誰なのか。

 それで決まります。


────────

 田中さんは営業所一の働き者だ。

「ねぇ、経費の精算にいつまでかかっているの?」

────────

 この文だと主体は「田中さんは」ですから、次の「ねぇ、〜」を発言したのは「田中さん」だと推定できます。

 では文順を入れ替えます。


────────

「ねぇ、経費の精算にいつまでかかっているの?」

 田中さんは営業所一の働き者だ。

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 これだと前に主体が書かれていないので誰の言かわからない。

 主人公が述べたのかもしれませんし、第三者が語りかけていたのかもしれません。

 つまり、主体は会話文の前に書かなければ意味がないのです。

 会話文のあとは、その音声が発せられたあとの時間軸に移行してしまいます。



 これを踏まえると、次のことが言えます。


(1) 会話文の前に主体が書かれていれば、その人物の発言となる。

(2) 会話文の前に主体が書かれていれば、会話文の直後に「と田中さんは言った。」と書かなくてもよい。


 となるのです。


 もし「と私は言った。」が省けない、とお嘆きなら。

 まず会話文の前で主体を自分に切り替えて戻していますか?

 会話文の前が別人の主体であれば、どうしても「と私は言った。」を書かないわけにはいかないのです。


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 請求書の山にため息をつきながら、会計ソフトへ入力している。

「ねぇ、経費の精算にいつまでかかっているの?」

 田中さんは営業所一の働き者だ。

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 この文例なら会話文の前は経理の私、会話文の後は営業の田中さんがそれぞれ主体となります。

 ですが、あえて書き方を曖昧にしているので今ひとつわかりづらい。

 経理の田中さんについて私が思っている内容を書いたようにも読めるからです。


 このあたりが「省く技術」の難しいところです。


 極力「と私は言った。」文を書かずに、誰が告げた会話文なのかを特定する方法。

 その会話文の主体が誰なのかを明確にしてください。


 会話文の前に主体を書いたら、会話文の後に主体を書かない。

 会話文の前に主体を書かなかったら、会話文の後には主体を書かなければならない。


 とくに後者が「と私は言った。」を省けない原因となっています。


 市販されている、あなたが好きな小説を読んでみてください。

 恐ろしいほど「と私は言った。」文は見かけません。

 ライトノベルでは見かけることもあるでしょう。

 しかし芥川龍之介賞や直木三十五賞の受賞作にはほとんど見られません。

 それは「と私は言った。」がいかにダサいのか。時代遅れなのか。的確に示しているのです。



 「と私は言った。」文を極力書かない文章構成を考え、それを意識して名著を読みましょう。

 プロがどのようにして「と私は言った。」文を回避しているのか。

 その類例を集めて分析するのです。


 そこで得た気づきこそ、「省く技術」を有効に働かせる鍵といえますね。



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