第2話 オレンジ色の出会い

 それは、明子あきこがまだ二十代なかばだったころのこと。もう二十年はまえの話である。

 五月か六月か、ちょうど今とおなじくらいの季節だった。

 明子は、ある屋外イベントに出かけた。

 メインはフリーマーケットで、フードコートの出店やライブステージなどもある、わりとおおきなイベントだった。


 明子は当時、ブロカントといわれる中古雑貨にはまっていて、そのイベントに出向いたのもフリーマーケットが目的だった。

 アンティークほど古くはなく『美しいガラクタ』という言葉が語源になっているというブロカントは、ほどよくカジュアルで品がある。もっとも、お値段のほうはそれほどカジュアルとはいえないので、おいそれと購入するわけにはいかなかったけれど、見てまわるだけでも楽しかった。


 その日はなにか買ったのかどうか、よくおぼえていない。むかしのことだし、なによりそのあとの印象が強すぎて、いろいろ吹き飛んでしまった。

 夕方だったのは確かだから、おそらくは帰りがけのことだ。

 そのメロディが、風に乗って聴こえてきたのは。

 切なくて、力強くて、悲しくて、明るい。

 形容しがたい、不思議なギターの音色。

 見えない手にひっぱられるように、明子の足は、そちらに向かって勝手に動いていた。


 今でも目に、耳に、心に焼きついている。


 その人は、やわらかく、切ないほどにまぶしいオレンジ色の光に包まれていた。

 ステージの中央に置かれたイスにちょこんと座って、ギターを抱くように背中をまるめている。

 指で弦をはじいて、足でリズムを刻んで、ふいに見えた瞳は力強い光を宿していた。

 もっさりした髪の毛。

 すり切れたジーンズ。

 酒焼けしたような、かすれた声。

 一音一音が深く、透明に響くギターの音色。

 人もステージも、その背後でいきいきと枝を伸ばす鮮やかな青葉も、なにもかもが初夏の夕陽に染まっていた。


 音にだろうか。それとも声にか、メロディにか、リズムにか。あるいは歌詞にか、目のまえにある光景そのものにか。

 わからない。わからないけれど、不思議なほど胸に響いて、明子はわけもなく泣きそうになった。


 ――最後の曲、なんていうんですか?


 ステージをおえてすぐ、物販ブースで手ずからCDを売りはじめた彼に、明子はいきなりそうたずねた。あとから思えばずいぶん失礼だったような気がする。しかし彼は気にしたふうもなく、『いい曲でしょ?』と、うれしそうに笑った。


――『It's not the spotlight』て曲の、日本語版のひとつで『失くした光』っていうんだ。作曲のバリー・ゴールドバーグ自身が歌ったのが最初なんだけど、ロッド・スチュワートっていう、イギリスのミュージシャンがいてね。彼がアメリカ進出をかけて制作したアルバムのなかでカバーして、それで広く知られるようになったんだって。日本でもいろんなアーティストがカバーしてるんだけど、訳詞もひとつじゃなくて……


 それが彼、青木あおき 智昭ともあきとの出会いだった。

 語りだしたら止まらない人だった。

 一つ質問すると十の答えが返ってくる。


 ふだんは働きながら、週末をメインにバーやライブハウスで音楽活動をしているとか。

 年に何度かは、連休や有休を駆使して遠方のイベントにも参加しているとか。

 弾き語りがメインだけど、時々バンドでやったり、ほかの出演者とセッションすることもあるとか。


 曲のうんちくにはじまり、特にたずねたおぼえのないことまであれこれと教えてくれたのだけれど、情報量が多すぎるとかえって頭にはいってこないものである。止まらないトークに、明子は目を白黒させるだけだった。

 しかし愛嬌があるというか、一歩間違えればなれなれしい言動も、彼の場合は人懐っこい大型犬のようで、むしろ好ましく思えた。


 ――へえ! 明子ちゃんていうんだ。おれは智昭だし、ふたりとも『あき』でおそろいだね。


 ナチュラルに、そんなことをいう人だった。


 そうして明子は、彼に誘われるままライブに出かけるようになったのである。

 世間ではこれを『口車に乗せられた』というのかもしれない。


 ♭


 バーという場所にも、ライブというものにも、それまでまったく縁がなかった明子にとっては、どちらも未知の世界だった。

 そもそも、彼が出演している店の多くが、あやしげな雑居ビルのなかとか、狭くて長い階段をおりていく地下とか、女性ひとりで出向くには、なかなかハードルの高い場所にあった。

 せめて友だちでも誘えばよかったものを、どうしてだか当時の明子からは、そういう発想が出てこなかったのである。

 なんにせよ、見知らぬ世界におっかなびっくり足を踏み入れてみれば、そこはある意味、想像どおりの異空間だった。

 日常からほんのすこしズレたところにある、社会的な肩書や立場など、ぜんぶ脱ぎ捨てた大人たちの遊び場。

 そして、音楽とお酒をこよなく愛する、とびっきりかっこよくて、どうしようもないロクデナシたちが集まる場所だった。


 ♭


 楽器とたわむれる男って、どうしてあんなにエロいんだろう。

 ライブに出かけるようになって、明子が抱いた感想はずいぶんなものだったが、ほかにしっくりくる表現がなかった。

 色っぽいでは、なにか足りない。

 セクシー。センシュアル。官能的。扇情的。

 どれも今ひとつ、かゆいところに手が届かない。結局、すべてを内包しているような気がする『エロい』に落ちついたのである。


 バーライブというものは、物理的にも、精神的にも、ステージとの距離がとても近い。

 その近さゆえだろうか。

 まわりには驚かれたけれど、智昭と恋仲になることは、明子にとってごく自然な流れだった。

 自然すぎて、明確なきっかけや区切りはなかったような気がする。

 ふたりきりで食事に出かけた日なのか。

 はじめてキスした日なのか。

 それともホテルに泊まった日なのか。

 いつから好きだったのかもよくわからない。もしかしたら、最初からだったのかもしれない。


 智昭は、自他ともに認める『子ども』だった。

 無邪気で、思いこみが激しくて、自分のやりたいことしかやらない。

 だけど人懐っこい、憎めないキャラが、まわりにそれを許容させてしまう人だった。

 明子とは親子ほども年が離れていたのに、そんなこと、まったくといっていいくらい感じたことがない。それも、その性格ゆえだったのかもしれない。

 青葉と太陽より、酒樽と紫煙が似合うような人なのに、ほんとうに子どもで、子どもである自分のことが大好きな人だった。


 そんな智昭でも、かつては結婚していたことがあるという。

 そのときに、自分は家庭を持ってはいけないと、なにより、人とは一緒に暮らせない、暮らしてはいけない人間であると悟ったらしい。

 その経験ゆえだろうか。彼は相手が誰であろうと『去る者は追わない』主義の人間でもあった。


 彼との関係は、はじまった瞬間から未来を否定されていた。

 それでもいいと、そのときの明子は思ってしまったのである。



     (つづく)


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