常夜の月

 オスタールには、永遠に夜が続く土地があるという。

 その不思議な場所を聞いたとき、わたしは自分の耳を疑った。けれどオスタールの町でその話をしてくれた人は気を悪くせずに「最初はみんな疑うんだよ」と言って、地図にその場所を示してくれた。


 そこは砂漠の奥の川沿いにある町らしい。実際に行ってみて、わたしは驚いた。

 砂漠の真ん中に、たっぷりと水を湛えた美しい町があるのである。そして、永遠に明けない夜に包まれているのだ。

 オスタールは砂漠の国。灼熱の太陽が照り、黄金の砂漠に囲われた国だ。その砂漠の暑さに苦しむ人にとって、冷たい夜をもたらす月は信仰の対象になっている。


 町に横たわる川の前には、月を信仰する白い神殿があった。

 湖の周りは色々な植物に囲われ、青や白の花が咲いていた。畑もある。砂漠でも水辺ならば植生は豊かで、作物も育つのだ。

 月の白い光は砂漠を銀色に輝かせ、神殿を青白く染めている。オスタールの町の雑然とした賑やかさとは違って、整然と並んだ白い建物に緑が溢れる、壮麗で静かな町だった。


 花を降らせた白亜の神殿では、白い衣を纏った神殿の巫女たちが月光の下で、薄い紗の布を手に舞い踊っていた。花びらを降らせ、竪琴を弾く巫女もいた。床に灯された蝋燭の傍には香炉があって、甘ったるい香が焚かれている。


 わたしは神殿でのお参りを済ませると、巫女の竪琴の演奏を聴き入った。巫女の異国の言葉の歌と竪琴の音色は神秘的に感じられた。巫女の長い黒髪は夜のようで、白い紗の衣は銀色の砂漠、彼女の腕や首を飾る金色の装具は月の光のようだった。


 巫女の演奏が終わると、巫女のひとりがわたしの傍へ寄ってきた。

「旅人さん、ここへは何故いらしたの?」

「永遠に明けない、夜の町を見たくて来たのです。とても驚きました」

「夜の砂漠はオスタールにとって恵みそのものです。今の竪琴は、そんな月をたたえる歌なのです」

 とても綺麗な歌でした、と言うと、巫女は嬉しそうに礼を言った。


「ここよりずっと南に下った海の果てに、太陽を信仰する寺院があると聞いたことがあります。旅人さんなら知っていますか?」

 胸の内が一度跳ねた。わたしは平静を装って、聞いたことがあります、と答えた。

「この国では、太陽は灼熱をもたらすものです。我らにはそれを信仰する理由がわかりません。太陽を祀る寺院には、夜が訪れないのでしょうか?」


 わたしは、この巫女の問いに答えることができるだろう。太陽の寺院にも夜は訪れると。数多の命を育むからこそ太陽に信仰を抱くのだと。だが、わたしは巫女の問いには答えなかった。


「すみません。太陽の寺院のことは、よく知らないのです」

「それは残念です。もし、太陽の寺院に行くことがあったら、訊いてみてはくださいませんか」

 わたしはええ、と答える。

 よかったら、踊りの続きを見ていってくださいと巫女は言い、衣をふわりと夜の風になびかせて、他の巫女たちに混ざって踊り始めた。


 わたしは、今まで思い出さないようにしていた、だが、どれだけ想いを馳せてみても、ここには月があるばかりだった。

 彼女たちは降り注ぐ月の光を浴びて、いつまでも踊っていた。

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