此後

 翌年の春。


 山本は捜査一課の部屋にいた。



 「山本さん」


 「お疲れ様です」



 捜査一課長の権藤に声をかけられ、山本は椅子から立ち上がる。



 「どうです? 彼らは」



 権藤が気にかけてくれている「彼ら」とは、昨年この国を脅かすテロ事件を共に追った仲間のことだ。


 もう一緒に働くことはないだろうが、彼らはそれぞれが新たな未来を切り開いている。



 「皆頑張ってるみたいですよ。藤と凛は・・・」





 「これいいんじゃねえか?」


 「んー、悩むなあ」


 ブライダルフェアのお知らせを見て、ある結婚式場を訪れた藤と凛は、お互いの仕事でなかなか進まなかった結婚式の相談に来ていた。


 昨年の六月、婚姻届を提出し、正式に夫婦になったが、結婚式を行うタイミングが決まらなかった。


 藤は警備会社の主任を続けており、部下からも慕われる存在になっている。犯罪対策課の山本の気持ちが今ではよくわかる。


 部下のことを考えると、苦労と心配は尽きない。


 凛は私立探偵の仕事が軌道に乗っており、依頼待ちになるほどの人気だ。常に女性からの相談を受け、仕事がなくて困ることはないが、休みがなくて疲労をため込むことが多い。



 「いい夫婦になろうな」


 「当然よ。山本さんや宗馬さんみたいな夫婦にきっとなる」



 こんな綺麗な式場で仲間から祝福される日が今から楽しみだ。





 「結婚式をするって張り切ってますね」



 山本はプロポーズが成功したときの幸せな空間を思い出す。



 「私も招待されるでしょうか?」


 「ええ、私が言っておきますから」


 「ありがとうございます。小鳥遊さんはきっとドレスが似合うでしょうね」



 同じ部署で働いたことはないが、重要な場面で常に助け舟を出してくれた権藤なしで、犯罪対策課の成功は語れない。



 「結城くんのビジネスは順調ですか?」


 「そっちの方は心配ないんですけどね。斗真の場合は、プライベートの方がちょっと・・・」





 日曜日、会社は休日で、斗真は千葉県にある国内最大のテーマパークのエントランスにいた。隣にいるのは、毎日職場で顔を合わせる女性だ。



 「チケットは買ってあるから、すぐに入れるよ」


 「ありがとうございます。ずっと楽しみにしてました」



 桜は身長が低いことで、男性の平均的な身長の斗真と話すときは見上げる形になる。その上目遣いを見ると不覚にもドキッとする。


 斗真の弟、翔は無事第一志望の企業に内定をもらい、すでに自宅を離れて社会人として自立した。


 やっと終わったと喜んだものだが、いざいなくなると心配になり、頻繁に連絡を入れている。翔にはうんざりされているようだ。



 「また翔くんに電話したんですか?」


 「え、なんで?」


 「あまり寝てないですよね?」


 「うん・・・。毎日連絡してくるなって言われた」


 「あはは、お母さんみたいですね」



 両親がいない翔にとって、斗真と暁音は親代わりの存在だった。


 幼い頃は常に一緒にいないと泣いていた彼が、今ではこちらの干渉を嫌がるまでに成長した。


 良いことなのだろうが、少し寂しい気持ちもある。


 昨日の電話で翔に言われたことがある。



 「僕はもう大丈夫だよ。斗真兄は自分の人生を考えてよ。あまり待たせたら、桜さん逃げちゃうよ?」



 この言葉を言われてから、どう想いを伝えるべきかと悩んだ結果、昨夜は一睡もできなかった。


 言うなら、夜の食事のときが良いだろうか。


 考えても考えても、斗真の頭脳は正解を導いてくれない。



 「斗真くんは考えすぎなんですよ。ときには直感で行動することも必要ですよ? 圭くんみたいに」


 「そうかもしれないね」



 桜は時折まるで斗真の思考を見透かしているようなことを言う。


 その通りだ。難しく考えることはやめよう。これは事件じゃない。考えるより、行動が大切だ。


 今日、桜との関係を一歩進める。


 決意を胸に、斗真は桜の手を取って、園内に足を踏み入れた。





 「彼の頭脳でも、恋のパズルは解けないということですか?」



 権藤の洒落た言い回しに山本は苦笑いを浮かべる。



 「アリシアは地元の高校でバスケットボールのコーチをしているようです。圭から聞きました。これからは、叶えられなかった夢に少しでも近づけるように頑張るそうですよ」


 「そうですか。親友の彼女とも失った時間を取り戻すことができればいいですが」


 「FBIの計らいで、懲役は二年になったそうです。来年には出所して、アメリカの治安維持に貢献するらしいです」



 萌音も同じく、二年の懲役と社会奉仕によってその罪を償うことになる。彼女たちを含め、ユウたちは決して悪い人間ではなかった。


 ガルシアによって人生を狂わされて、それでも生きるために彼らは立ち上がった。


 彼女たちには、その命を犠牲にした彼らの分まで生きてもらいたい。



 「宗馬くんは最上くんのお父さんの会社でうまくやっているそうですね」


 「ええ、宗馬くんは私より会社員の才能があるみたいです。家庭も順調だと聞いていますし、皆彼に続いて幸せになってほしいと思います」



 最後に、一連の事件でもっとも傷つき、死を覚悟してまで周囲の人間を救おうとした青年は、新たな人生を歩みはじめた。



 「最上くんはその後、どうしていますか?」



 大切な存在をたくさん失い、自らを責めて生きていた彼は、今では尊い命に祈りを捧げて感謝し、自らが生きることで恩返しをしようとしている。



 「圭とは昨日電話しましたが、リハビリも順調みたいで・・・」





 圭はマンションのリビングでソファに寝転がり、左手を眺めた。


 力を入れると、問題なく動く。重いものを持つことは難しいが、食事をするときに茶碗を持つことができ、スマートフォンを操作することもできるようになった。


 仕事はまだ見つかっていない。左手は順調に回復しているが、問題は圭に社会人としての知識がないことと、敬語が使えないことだ。


 だが、焦ってはいない。生活には困らないだけのお金はあるし、麻衣は有言実行で働きながらしっかりと貯金している。



 「圭くん」



 キッチンから麻衣の呼ぶ声が届いた。


 圭はソファから起き上がって、調理中の麻衣の隣に立つ。



 「味見してみて」



 麻衣は完成した豚汁を少量すくって、小皿に入れて圭に渡す。



 「うまい。詩織さんの豚汁と同じ味がする」


 「良かった」



 詩織直伝の豚汁は圭のもっとも好きな料理だ。もちろん、メインはカツ丼。


 麻衣は満足して鼻歌を歌いながら、仕上げに取り掛かった。



 「麻衣、愛してる」



 圭は麻衣のうしろに回って、両腕で彼女の身体を包む。



 「私も大好きだよ」



 アメリカで育った圭は、愛情表現がストレートで、日本人であれば発言することが恥ずかしい言葉を躊躇いなく伝えてくれる。


 言われる側としては非常に嬉しいが、まだ少し恥ずかしい。



 「よし、食べよう。運んで」


 「わかった」



 圭は自らと麻衣のカツ丼をふたつ両手に持って、ダイニングテーブルに運ぶ。当たり前に使えていた両手が使えることの幸せを実感した。


 ふたりでいれば、どんなことでも乗り越えられる。


 当たり前じゃない幸せを噛み締める毎日が続いていく。





 「ってな感じで、惚気てきましてね」


 「彼がそんなことを? アメリカ育ちは違いますね」



 圭をよく知る山本ですら、キザな台詞を発する彼の姿は想像に難かった。



 「じゃ、そろそろ聞き込みに行ってきます」


 「お気をつけて。そうだ、近々呑みに行きましょう。もちろん、あの居酒屋で」


 「いいですね。是非」



 山本は権藤に一礼して、捜査一課の部屋を出た。


 日本全国にある警察署の本部、警視庁。桜が散りはじめた頃、東京は日に日に気温が上がり、冬が遠ざかっていく。


 空は雲ひとつない快晴であった。




 Fin.

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がみ @Tomo0

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