26 - 遊歩

 「行ってきます」


 「気をつけてね」



 麻衣は玄関からリビングにいる詩織に出かけることを伝えた。お気に入りの靴を履いて、できる限りのおしゃれをして会いたい人がいる。


 時間は午前十時、爽やかな青空が広がっているが、あと数週間もすれば梅雨入りし、毎日じめじめとする季節がやってくる。


 圭と病院で会ってから一週間、いつも通りの一週間が過ぎたが、圭から連絡は一向に来なかった。


 美奈から連絡があって、圭は翌日病院を退院すると、そのままアメリカに向かったらしい。


 真希と美奈は圭に会うことができず、帰国が待ち遠しいと言っていたが、身勝手な彼に怒りを覚えたことだろう。


 圭は持っていたスマホをなくし、連絡をとる手段がなくなっていた。そのため、こちらからも連絡はできなかった。


 昨夜、麗奈から着信があり、圭の快気祝いをすることになったから、食事に来ないかと誘いを受けた。


 断る理由はない。


 最上家にお邪魔するのは夕方からで、それまではある人とショッピングをする約束をしていた。


 家を出てから二十分で駅に到着した。



 「麻衣先輩! こっちです」



 麻衣に居場所を知らせようと右手を大きく振っているのは職場の後輩、瑠璃だ。


 その隣にいるのは、瑠璃より大人びて見える七歳下の妹、芽衣咲。


 ふたりは歳の離れた姉妹であるが、この東京に就職と進学で春に上京してきて、同居している。


 瑠璃が麻衣の後輩として配属されてから二週間が経ったが、間違いなく彼女は同期の中でトップクラスの実力を持っている。



 「ごめん、お待たせ」


 「まだ約束の時間じゃないですから。楽しみで早く着いちゃいました」



 なんと可愛いことを言うものだ。


 麻衣は瑠璃の言動や行動の中に溢れる愛しさを発見し、彼女に会う毎日をとても楽しみに思っている。



 「妹の芽衣咲です」


 「姉がいつもお世話になっています」



 芽衣咲は麻衣に深くお辞儀をした。本当に高校一年生なのかと疑う挙動の美しさだ。


 カオスに襲われた友人の春香はまだ入院しているが、勉強に遅れないように芽衣咲が授業の内容を教え、宿題を届けている。


 もとの明るい春香に戻り、学校に復帰する日を心待ちにしている。



 「よろしくね、芽衣咲ちゃん。それじゃ、行こうか」



 三人は電車に乗って、都心を外れた場所にある商業施設を目指す。


 アパレルやレストランはもちろん、若者に人気の雑貨店や高級なジュエリーショップも入っている老若男女が楽しむことができる場所だ。


 土曜日の電車は人が多い。


 世間は仕事が休みで、家族連れやカップルが出かける日に人気の場所に向かうことはそれだけで疲れるが、瑠璃と芽衣咲という新たな友人とのショッピングは疲労を忘れさせるほどに楽しみだった。



 「そうだ。麻衣先輩、彼氏さんに会わせてくださいよ」



 満員電車の中で瑠璃が声を張り上げて言う。



 「田村さんから聞きました。彼氏さん、すごいイケメンなんですよね?」


 「イケメン! 私も会いたいです!」



 瑠璃のイケメンというワードに引っ掛かった芽衣咲まで声を張り上げる。やはり、まだ高校生なのだな、と麻衣は安心した。


 「いや、そんなイケメンじゃないよ」と自らの性格から謙遜してみたが、それでは圭のことをさほど良い男でないと否定することになる。


 「私にとってはイケメンだけど・・・」と補足しておいた。しかし、それ以前に圭は麻衣のことを恋人と思っていないかもしれない。


 「機会があれば・・・」と濁すのが精一杯だった。


 麻衣は強引に瑠璃の彼氏のことや、芽衣咲の学校生活の話に切り替えて電車が目的の駅に着くまで凌いだ。


 電車は駅に滑り込み、人の流れに乗って三人で離れないように注意しながら歩く。


 この駅で降りる人たちの目的は同じ場所だ。商業施設の最寄り駅からは直結の通路が伸びており、駅で降りたほとんどの人たちは同じ場所を目指す。



 「東京は人が多いですね」


 「名古屋もそんなに変わらないでしょ?」


 「全然違いますよ」



 国内有数の都市から上京した人も、地方から来た人と同じような感想を抱くようだ。


 麻衣はこの場所で夕方に訪問する最上家への手土産を選ぶつもりだった。圭の快気祝いで招待されたが、手ぶらで参加することはできない。


 瑠璃と芽衣咲はアパレルショップで良さそうなものがないか物色したいらしい。



 「端からお店順番に覗いて、気に入ったものがあったら買おうか」


 「そうですね」


 「はい」



 瑠璃と芽衣咲は東京のアパレルショップに目を輝かせているが、僻地でもない限り商業施設は日本のどこも同じようなものではないのだろうか。


 特に、名古屋なら東京にも引けをとらない規模のものはありそうだが。ふたりが楽しそうならそれで良いのだけど。


 瑠璃と芽衣咲はいろいろな店を覗き、興味のある服を見つけては、似合う、似合わないの討論を繰り広げた。姉妹が一緒にいられることは、幸せなことだ。


 結局ふたりはいろいろなものが気に入ったようで、買い物を終える頃には両手に袋を持っていた。


 買い物に集中しすぎて、昼食のことすら忘れていた。



 「すみません。楽しくて・・・」



 芽衣咲が麻衣に頭を下げる。頭脳明晰で礼儀も申し分ない。まるで、斗真を見ているようだ。



 「楽しんでくれたらいいんだよ。お腹空かない?」


 「お腹空きました!」



 瑠璃は右手をまっすぐ伸ばして高く挙げる。



 「レストラン探そうか」



 すでに時間は午後二時を回っていた。レストラン街は混雑の時間を過ぎ、どのお店でもすぐに入ることができた。


 何が食べたいか、をふたりに選んでもらった結果、和食になった。


 お店に入ったが、麻衣は夕方から最上家で食事を共にする。あまり量を食べるわけにはない。


 麻衣はきつねうどんを注文し、瑠璃は豚の生姜焼き定食、芽衣咲は鯖の塩焼き定食を選んだ。


 鯖という文字を見ると、あの人の顔を思い出す。


 まだ決して仲良くもなかった頃、彼は鯖の読み方がわからず、しかめ面でメニューを眺めていた。



 「麻衣先輩、このあと彼氏さんの家に行くんですよね?」


 「うん、そうだよ。ちゃんと話して来ようと思ってる」



 芽衣咲は話の内容が見えずに瑠璃と麻衣の顔を交互に見る。



 「私の彼氏、刑事なの。それで、いろいろあって、別れたいって言われたんだけど、私は納得してなくて。今日その話をしようと思ってるの」



 できるだけ簡単に彼との状況を芽衣咲に伝えた。彼女はどういう表情をすれば良いのかわからず、とりあえず微笑む。



 「あの、この前のトレーラーが海に落ちた事件って・・・。もしかして・・・。亡くなったって会見してましたけど」



 勉強ができる人間は鋭い。



 「そう。だけど、元気に生きてるよ。本当に、信じられなかったけど」



 元気に生きている。


 言葉に偽りはないが、左手が動かないことを気にしているかもしれない。利き手でないとはいえ、生活をする上で両手が必要なことは多々ある。



 「どんなことがあっても、私は彼を支えたい。だから、彼が私を嫌いにならない限り、私は別れたくない」


 「麻衣先輩は素晴らしい人です。私の目標です。きっと大丈夫ですよ」


 「私も応援してます」



 優秀で優しい姉妹が味方にいれば、失敗することはないような気がした。



 「ありがとう」



 運ばれてきた食事を終えたあと、麻衣たちは手土産を探すために商業施設を再び歩くのだった。

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