25 - 十色

 二日後の夜、山本は犯罪対策課のメンバーを自宅に招いた。


 いろいろとお世話になり、巻き込んでしまった愛莉にも声をかけた。


 アリシアはすでにアメリカに帰ってしまい、最後までゆっくり話す時間はなかった。


 圭から彼女が夢を叶えたことを聞き、事件以外の話をしたことはあまりなかったが、彼女の未来が明るいものであることを祈る。


 宗馬は仕事を終えてからやってくるらしい。



 「皆さん、ゆっくりしていってくださいね」



 山本の妻、明美はキッチンで料理を作りながら、部下たちが夫を慕っていることを誇りに思っているのだろう。次々に料理が運ばれてくる。



 「私お手伝いしましょうか?」



 桜は気を利かせてキッチンに向かったが、明美は「お客さんはもてなされるが仕事よ」と提案を断った。


 斗真はオレンジジュースを少しずつ飲みながら、料理を食べ進める。彼は身体が細く、甘いものはたくさん食べる割に食事となると少食だ。


 藤はなぜか口数が少なく、黙々と食事を取りながらビールを呑む。


 凛は酒が進み、この場の誰よりも呑むペースが早かった。明美の料理が美味しいこともあり、飲酒量は増える一方だ。


 隣の愛莉もなかなかに酒が進んでいる。



 「山本さん、いい奥さんね」


 「だろ? 俺にはできすぎた妻だよ」


 「褒めてもお小遣いは増えないわよ」



 夫の言葉が耳に届いたが、明美は長年の信頼関係を感じさせる冗談を打ち返した。



 「いや、そこをなんとか・・・」


 「駄目」



 仲の良い夫婦の会話は、非現実的な世界で戦いを繰り広げた過去を遠い昔のように感じさせる。


 圭は右手で慣れない箸を持ち、テーブルの上にある小皿に載った料理を口に運ぶ。左手が動かないことで、皿を持って食べることはできない。


 利き手じゃないから大きな問題はないと言ったものの、このまま治らなければ生活への影響は避けられない。


 左手を眺めていると、斗真が肩に手を載せた。



 「きっと良くなる。心配はいらないよ」


 「そうだといいんだがな」



 全員がそれぞれの生活に戻っていく。


 山本は刑事人生が終わるまで捜査一課の刑事を続け、斗真は会社の経営、桜は彼のもとで働く。


 藤は警備会社である程度の地位を持っているし、凛は探偵業で女性の悩みに寄り添っている。


 宗馬は会社員として成功し、順調に昇進していると俊哉が言っていた。


 愛莉は生活安全課で葛藤しながらも、自らの信念に従って任務にあたっている。


 圭には何があるだろうか。


 勉強は苦手で、常に好きなことに逃げていた。バスケットボールの才能を見出され、高校ではスター選手としての扱いを受けたが、それも学生で終わった。


 その後、警備会社に入社して、それから人生は狂ってしまった。


 どれだけの人を不幸にしてきただろう。


 ニューヨークで刑事になってからは、たくさんの人を傷つけた。大切な人を失った苦しみを負ったのは、他にもたくさんいたのに、ひとりだけが辛いような気持ちに押しつぶされて、真っ当な生き方を投げ捨てた。


 頭は良くないし、秀でたものもない。一般社会で仕事をして、人並みに生きていくことが圭にとってもっとも難しいことだ。



 「凛!」



 圭の思考は藤の大声でかき消される。


 突然のことに周囲のメンバーも驚いて肩を震わせた。



 「なーに?」



 凛はすでに酔ってしまっていて、まともな思考は持っていないようだ。



 「結婚しよう」


 「へ?」



 何もかもが突然な藤に、愛莉から気の抜けた声が漏れた。



 「酔ってるから言ってるんじゃない。ずっと考えてた。この件が終わったら、ちゃんと伝えようって」



 藤は懐から小さい箱を取り出した。それは、藍色で彼の大きな掌に入るほどの大きさのものだった。


 貝のように箱を開けると、その中に輝く物をものが見える。



 「もう一度言う。俺と結婚してほしい。これからもずっと、俺のそばにいてくれ。凛以外の人との人生は、もう考えられない」



 凛は今にも眠ってしまいそうな目をしていたが、藤の手元を見て顔つきが変わった。周囲の人間は、凛の返事を待って一言も話さない。



 「その言葉、ずっと待ってた」



 凛は自らの左手を開いて、手の甲を上に向けて前に差し出す。


 藤は箱の中から指輪を取り出し、その手の薬指にそれをそっと、奥までしっかりと押し込んだ。



 「私も、誠也以外との人生は考えられない。よろしくお願いします」



 凛は指輪を見つめて微笑むと、藤に頭を下げた。



 「おめでとうございます!」


 「おいおい、ここでプロポーズかよ」



 桜と山本がふたりを祝福し、愛莉はひとり大粒の涙を流す。その涙は、嬉しい涙か、悲しい涙か、本人にすらわからない。


 その混乱の中で、インターホンが鳴った。宗馬が到着したようだ。


 もう少しだけ早ければ、この瞬間に立ち会えたのに・・・。


 明美に出迎えられ、リビングに入ってきた宗馬に見せつけるように、凛は左手を差し出した。



 「宗馬さん、私プレゼントもらっちゃった」


 「そうか! やっとか!」



 クールな宗馬がとても喜んでいる姿は一生忘れないだろう。


 身近にいる人間が幸せになっていくことは、本当に喜ばしいことだ。


 圭にとって、この光景を見ることは、今までの人生を浄化してくれるような感覚だった。



 「じゃあ、次は斗真と圭か?」



 藤はプロポースに成功したことで、先ほどまでとは別人のように声が大きくなる。ずっと緊張していたのだ。



 「僕?」


 「俺?」



 斗真と圭がまったく同じタイミングで反応する。



 「そうだな。俺も、ふたりに幸せになってほしい」



 宗馬が椅子に座って笑う。


 確かに、この場所にいる人は全員がパートナーを持って幸せな人生を歩んでいる。


 斗真には桜が、圭には麻衣がいる。


 だが、そう簡単なことではないのだ。



 「僕は、来年ちゃんとけじめをつけるから」


 「はい、私はそのときを待っています」


 「あー、そんな感じなのね。じゃあ、ふたりは安泰ね」



 斗真の弟である翔が大学を卒業して社会人になれば、斗真が長年背負ってきた責任をすべて果たしたことになる。



 両親との約束を果たし、そのあとで自らの人生について考えるつもりだった。



 「なら、あとは圭だけだな」



 全員の視線が圭に注がれるが、彼は俯いた。


 一方的に別れを告げられた麻衣は納得していないだろうが、どうするかは決めてある。



 「俺も、けじめをつける」



 圭の言葉は、きっと良い意味でけじめをつけるのだろうと、全員が微笑んだ。


 人生の歩み方は人それぞれだ。

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