23 - 浮上

 特殊犯罪対策課のメンバーは捜査車両で高速道路を移動していた。


 事件ではないが、緊急走行のためにサイレンを鳴らし、二台の車両が連なって神奈川県に向かう。


 幸いノンアルコールビールを呑んだ斗真と桜がハンドルを握った。


 その中には麻衣も乗っており、一秒でも早く目的地に着くことを祈る。


 麗奈から受けた電話の、その言葉がずっと脳内で再生される。



 「圭が見つかった! 生きてる!」



 圭が発見された連絡は、父の俊哉に届き、家族全員に知らされ、麗奈がいち早く麻衣に知らせるために電話をした。


 少しの時間差で、山本宛に同じ内容の電話が俊哉からあった。情報は間違いではないらしい。


 しかし、この目で確認するまではにわかに信じ難いことだった。


 海に飛び込んだトレーラーは大爆発を起こし、水中で分解されたのだ。生身の人間が無事でいられるとは思えなかった。


 捜査車両は高速道路を降り、一般道路に出ても速度を落とすことはなかった。


 麗奈から伝えられた横浜の病院の駐車場に飛び込み、車両を停めると、全員が病院内に駆け込む。


 家族も来るそうだが、俊哉は仕事で会社を離れているらしく、麗奈は担当の患者の対応が終わるまでは手が離せない。真希と美奈は仕事で撮影中だった。


 代わりに山本に圭の無事を確認してもらうようにと依頼された。


 宗馬は仕事を切り上げてこちらに向かっているらしい。


 麻衣は車内で詩織に電話をかけると、サイレンの音に何が起こったのかと電話の向こうで取り乱していた。


 用件だけを簡単に伝えたが、詩織にはこちらに来なくて良いと言った。詩織には圭のことがわかったらすぐに連絡をしてほしいと言われ、電話を終えた。



 「警視庁の山本です。最上圭はどこに⁉︎」



 総合受付で警察手帳を示して、息をあげている山本の迫力に受付の女性は驚いて背中を反らす。


 すでに診察は終わっている時間で、人が来ることは想定していなかったのだろう。



 「最上さんなら、一般病棟です。五階の・・・」



 女性が話し終える前に、山本はエレベーターに向かった。それだけ圭の無事を確認したい気持ちが強いのだ。



 「ありがとうございます!」



 斗真と桜は女性に頭を下げて山本の背中を追う。


 エレベーターで五階に到着し、ナースステーションの前まで来たが、病室の場所は聞いていなかった。



 「あの、圭くんはどの部屋にいますか?」



 今度は麻衣がカウンターに身を乗り出して看護師に尋ねる。


 最初は圭くんと言われて誰のことかわからなかったそうだが、話題になっていた患者だったことで、すぐに気づいたようだ。



 「この奥の五○七号室です」



 麻衣は言葉を聞くと、勢いよく走りだす。


 すでに夜になり、入院患者は休もうとしている時間に大声が響いた。本来なら面会時間も終わっている。



 「すんません」



 最後尾の藤が看護師に会釈をしておいた。


 麻衣は廊下をまっすぐ進み、五○七号室の前に立つ。名札には最上圭と、間違いなく彼の名前が書かれていた。


 震える右手を左手で押さえ、扉の取手を掴んで横に開く。


 個室のベッドの上で、間違いなく圭が座っていた。左手を見つめて、無表情で固まっている。



 「圭くん・・・」



 圭は何も言わずに麻衣を見る。


 前回、彼は記憶を失って、麻衣との思い出も、仲間との出会いも、家族との和解もすべてを忘れてしまった。


 また、同じことが起こるのではないか。麻衣は不安を抱えたまま圭の反応を待った。



 「麻衣」



 確かに彼は私の名前を呼んだ。



 「うわああ!」



 生まれて初めて出す類の声が室内から廊下に響き渡る。


 麻衣はベッドの上の圭に飛び込むと、その小さな身体を、彼は抵抗することなく包んだ。



 「ごめんな」



 呼吸が苦しいほどに嗚咽し、酸素を貪った。


 室内に入ってきたメンバーたちは、黙って涙を流し、その光景を笑顔で見ている。


 麻衣が落ち着くまで、十分ほどかかったが、取り乱した自らが恥ずかしくなって、丸椅子に腰掛ける。



 「身体は大丈夫なのか?」



 山本が圭をじっと見つめて訊く。



 「左手が動かないけど、俺は右利きだからそこまで困らない」



 医師の説明によると、海の中で無酸素状態になっていた時間があったことで、脳にダメージを追っているそうだ。麻痺が左手だけで済んだことはむしろ奇跡だという。


 掌と指が動かず、物を掴むことはできないが、腕や肘は問題なく動く。手の方も、リハビリで改善の見込みはあるそうだ。


 圭は東京湾から太平洋に出る辺りで、今朝貨物船に発見された。


 漂流物に乗って流されていたそうだが、海上保安庁によると、どうやってその場所まで移動したのか、沈んだ身体が浮上して漂流物に乗ったのかは不明で、説明ができないほどの奇跡だったらしい。


 圭はわかっていた。彼らが沈んだ身体を海面まで連れて行ってくれたのだと。



 「生きろ」



 あの言葉は幻ではなく、間違いなく圭のそばで彼らが伝えたものだ。


 科学で証明できないことは、いくらでもある。不思議な能力を持っている圭が、今更驚くことではなかった。


 カオスの身体は見つからず、消息は不明。おそらく、すでに死亡していると見られている。


 斗真は興味深い事件を見つけた。


 十五年前、幼い頃から両親の虐待に耐えた少年が、十一歳になったとき、台所にあった包丁で何度も刺して両親を殺害した。彼は戸籍に登録がなく、未成年であったことで少年院に送致された。


 確証はないが、この殺害方法は、もしかすると・・・。


 これが事実だとしたら、彼もまた環境によって人生を破壊された人間だったということだ。


 圭はあらゆるものを失ったが、引き換えにたくさんのものを手に入れた。カオスが圭と同じ運命を辿っていれば、今もどこかで生きていたのだろう。



 「検査結果が明日出るから、何もなければ退院できるらしい」



 すでに圭の身体に殺意は纏っていなかった。


 その後、宗馬が病室にやってきて、俊哉と麗奈は一緒に到着した。真希と美奈は仕事が深夜まで続き、今日は病院に来られないそうだ。


 深夜の病院にずっといるわけにもいかず、山本たちは病院をあとにし、宗馬は家族が待つ家に帰った。


 俊哉と麗奈は圭の姿を見ても冷静だった。


 真希がこの場所にいたら、さらに大きな声がフロアに響くことになっていた。ある意味いなくて良かった。



 「麻衣ちゃん。家まで送ろうか?」



 俊哉と麗奈も帰宅することにした。



 「はい、お願いします」



 このまま圭と朝まで一緒にいたいが、病室に宿泊することは禁止されている。


 麻衣は椅子から立ち上がり、圭の顔を見た。



 「またね」


 「ああ、またな」



 私たちの関係はどうなるのだろう。


 生きていてくれただけでも嬉しいけど、私たちは別れた。もう、深い関係になることはないのかな。


 麻衣はそんなことを考えながら病室を出た。


 夜空は満天の星に覆われていた。

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