22 - 放浪
橋の欄干にひとりの少年が立つ。
空は晴れているが、少年の目にその青空は映っていない。彼が今から川に飛び込むことは誰が見ても明らかだった。
「どうせ死ぬなら、ここで死んだ方が良かったのかもな」
不思議な感覚だった。十二歳の自らの姿を見ている圭は、二十六歳の精神と身体を持っていた。
「川遊びをするには寒いだろう」
自殺を図ろうとしている少年の圭に山縣が問いかける。
「海で遊ぶのもまだ寒いだろう」
視界の外からまったく同じ声が聞こえ、その方向を見ると、もうひとりの山縣が立っていた。
そうか。俺は死んだんだな。
「こんな形で再会することは望んでいなかったよ」
「寿命が尽きるまで生きるつもりだったんだ。でも、一度踏み外したら正しい道には戻れなかった」
ガルシアに目をつけられたが最後、圭の人生は転落していった。大切な人を失い、最終的に自らも死んでしまった。
「俺は山縣さんに何も返せなかった。奥さんとした約束も、破ってしまった。当然の罰だよな」
「何を言っているんだ? 私は、海で遊ぶのもまだ寒いだろう、と言ったんだ」
「どういう意味だ?」
「まだ五月じゃないか。海に飛び込むには早すぎるだろう?」
「それはそうだけど、それがどうしたんだ?」
圭が瞬きをすると、一瞬で山縣の姿は消えてしまった。
橋の上にいたはずの過去の自分はおらず、そのそばにいた山縣もいない。
「圭」
女性の声で振り返ると、クロエがいた。あの頃と変わらず、綺麗なブロンドヘアに青い瞳を持った美しい女性。
「クロエ。久しぶりだな」
「そうね。まさかこんなに早くこっちに来るとは思わなかった」
「ごめんな。でも、全部終わらせたんだ。許してくれ」
「終わらせた? まだ何も終わってないじゃない」
クロエの言葉の意味がわからない。
アノニムは崩壊、ガルシアが最後に仕事を託したカオスはおそらく圭と共に海に沈んだ。もう、何も脅威は残されていないはずだ。
「もう何も残ってないよ」
「残ってるじゃない? あなたを待っている大切な人が」
「家族のことか? 大丈夫だよ。もともと四人みたいなもんだったんだから」
母の真希を想うと、きっと平気ではないのだろうが、俊哉や姉ふたりが支えて生きていく。
この世には、子供を失った親は他にもいる。自らが死ぬことより辛い思いをしているかもしれないが、前を向いて歩いている。
「家族も仲間も大切だけど、圭のことを誰よりも愛した人がいるじゃない」
「麻衣のことか?」
「他にいないでしょ」
「もう別れたよ。あの娘は強い。大丈夫だ」
「何を根拠に大丈夫だと思うの? 大丈夫っていう言葉はそんなに軽く使うものじゃない」
大丈夫の定義を説かれても、圭に言葉の真意を捉えるだけの頭脳はない。
何を根拠に、と聞かれると答えに困るが、信じることしかできない。
「何を言っても、もう遅いからな。信じるしかないんだよ」
「遅い? 何の話?」
山縣といい、クロエといい、どうも話が噛み合わない。
こうやって再会したというのに、圭に対する否定ばかりが飛んでくる。
圭は目を瞑って、心を落ち着かせようとしたが、次に目を開けたとき、クロエはいなくなっていた。
「またか」
こっちの世界に来れば、会いたい人にいつでも会うことができると思っていたが、どうも彼らは会いたくないようだ。
「死んでもひとりか・・・」
現実は辛いものだ。
結局、置かれている状況とは違う何かを求めて彷徨い続けるのが圭の運命なのだ。
「何をしてるんだ? こんなところで」
声の方向に振り返ると、今度はスティーブがいた。隣にユウもいる。
「お前に頼んだネックレスがまだ届いていない」
「それなら相棒に頼んだ。もう少しだけ待っててくれ」
「違う。俺はお前に頼んだんだ」
ユウは不機嫌に口を尖らせる。
そう言われても、アリシアにネックレスを預けていなければ、今頃それは海の底に沈んでいただろう。
危機管理能力が高いと褒めてほしいくらいだ。
「ふたりがこっちの世界で一緒にいることを知っただけでも俺は満足だ」
圭は微笑んでふたりの顔を見たが、彼らはまったく笑おうとしない。
「そんなに俺が来たことが不満か?」
「不満に決まってるだろ? 圭はまだ死んでないんだ」
スティーブが熱弁を始めたが、死んでいないとはどういうことだろう?
「俺たちは人体実験でこの能力を手に入れた。だが、お前は生まれつき持っていた力だろ? 俺たちとは違うんだ」
だから何だというのだ。
どこか違うところを探して仲間外れにする。それは子供が虐めを行う理由と同じで、過去に経験した辛い出来事を、どうして相棒から再びそのような仕打ちを受けなければならないのだ。
「お前はまだここにいるべき人間じゃない」
スティーブの言葉と共に、視界は薄暗くなった。
これは、青色?
身体の周りをぶくぶくと泡が包んでいく。冷たい身体を温もりが守り、圭の身体にかかる圧力は次第に弱くなっていった。
その泡からは、山縣、クロエ、スティーブ、ユウの言葉が脳に直接届いてくる。
「生きろ」
その言葉が脳内で繰り返し再生された。
眩しいな。
薄目を開けると、白い天井があった。
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