20 - 親心

 「テロを回避するため、都民の命を守るために尊い命が犠牲になりました。私は彼に心から敬意を表し、ご冥福をお祈りいたします」



 警察庁長官朱雀が頭を下げると、多数のフラッシュが光る。


 これをもって、日本からテロ組織の脅威は去り、治安は守られたと報道された。あるひとりの勇気ある人間が、多数の命を救ったのだ。


 それは、犠牲になった人間とは無関係な者たちにとって、素晴らしい出来事であったが、彼を知る者たちの心は崩壊する寸前だった。


 それから三日後、山本は捜査一課に復帰した。特殊犯罪対策課は解散し、メンバーはそれぞれ自らの生活に戻った。



 「捜査一課長に、敬礼!」



 捜査会議が始まり、山本はひとつの班をまとめる長として席につく。前方の席には権藤が捜査一課長として座っている。


 テロ組織の壊滅に成功したことにより、権藤に下された処分は取り消された。


 何より、暫定で一課長だった刑事があまりにも人望がなく、無能であったことで、権藤はその地位を取り戻すことになった。



 「久々にこの位置に座りましたが、会議の前にひとつだけ」



 刑事たちは権藤の顔を見つめ、これから何を話すのかを待っている。



 「三日前、我々はかけがえのない仲間を失った。彼は、日本の刑事としてはスケールが大きすぎる人間だったが、彼の勇気ある行動は警察を、この国を救った。どうか、忘れないでほしい。部署は違えど、自らの命を顧みずに本気でこの国を、国民を救おうとした彼の想いを」



 権藤の言葉に、山本は堪えきれずに涙を流した。


 トレーラーが大爆発して海に沈んでから二時間後、海上保安庁主導で捜索が行われたが、そこにいるはずのふたりは見つからなかった。


 ダイバーが海底に潜って発見したのは、トレーラーの破片と隠滅された証拠と見られるものの残骸だけだった。


 捜索はその周辺にまで広がったが、海流が激しいこともあり、予測される捜索範囲は広く、広大な東京湾でたったふたつの身体を発見することは不可能だと判断された。



 「では、捜査会議を始めます」



 お前のことは忘れない。どうか、向こうの世界で山縣さんやクロエ、スティーブと笑い合って過ごしていることを祈る。


 山本は前を向いて、権藤の話に耳を傾けた。


 立ち止まっている暇はない。この東京では、休むことなく事件が起こっている。


 彼が守ろうとしたものを、決意を無駄にするわけにはいかない。


 山本の心とは裏腹に、脳はまったく捜査情報を受けつけず、早く仕事を切り上げることしか考えていなかった。


 今夜、メンバーと集まることになっている。


 本来であれば、すべてが終わって打ち上げの祝杯をあげているところだっただろうが、それは叶わなかった。


 捜査会議が終わり、席を立った山本のもとに権藤がやってきた。



 「山本さん」


 「なんでしょう?」


 「もう行ってください。今日は、彼のために献杯を」


 「はい、そうします」



 それ以上の会話はなく、山本は会議室を出る。時間はまだ早いが、行きたい場所があった。


 山本は警視庁を出て、電車に乗り込むと株式会社ロジテックに向かった。地下鉄からの眺めはずっと同じ色で、気分転換をすることもできない。


 会社のエントランスに入ると、受付の若い女性が社長室に案内してくれた。前もって俊哉に少しだけ話がしたいと連絡を入れておいたのだ。



 「最上はまもなく参りますので、少々お待ちください」


 「どうも」



 綺麗に整理された社長室には、たくさんの本が並べられている。あらゆる知識がないと事業はできないのだろう。


 息子を失った父の気持ちは、痛いほどにわかる。山本は息子を持たないが、三人の可愛い娘がおり、そのひとりでも失うことを想像するだけで気が狂いそうだ。


 詳しい話は聞いていないが、家族も心に深いダメージを負っているに違いない。



 「すみません、お待たせしました」



 俊哉が疲れ切った表情で部屋に入ってきた。


 無理はない。夜も眠れない日々が続いているのだろう。


 俊哉はソファに腰掛け、大きくため息をつく。



 「お疲れ・・・ですよね」


 「妻が、ずっと泣いてるんです。美奈と麗奈も、ずっと黙ったままで・・・。こんな愚痴を山本さんに言っても仕方ないですけど」


 「いえ、心中お察しします。本当に、申し訳ございません」



 山本はソファから降りて、床に両膝をついた。深く頭を下げて、額が床につきそうなほどに体勢を低くする。


 俊哉は慌てて山本のもとに移動し、顔を上げるように肩を持ち上げた。



 「顔を上げてください。山本さんに責任はありません。すべてはあいつが決めたことです」



 これ以上、土下座を続けても俊哉を困らせるだけだ。山本は苦渋の思いでソファに座り直す。



 「結局、私が父親になることは許してくれませんでした。この場所で覚悟を決めたと言われたときは、どこかでまた元気に帰ってくるだろうと、根拠のない安心があったのですが・・・。いざ、現実を突きつけられると、きついものです」



 俊哉はどこまでも穏やかで、声に感情が籠もっていないように感じられた。必死に押し殺しているのだとしたら、それは家族のためだ。



 「奥様や娘さんたちの体調は・・・」


 「それは大丈夫です。全員普段通りに仕事もしています。ただ、病は気からという言葉もありますから、私まで沈んでいるわけにはいかないんですよ」



 俊哉の言う普段通りとは、決して気にしていないという意味ではない。


 一家の大黒柱として、父親として、俊哉は家族を守ろうとしている。


 誰ひとりとして犠牲になってほしくなかった。


 部下のことを見ているつもりだったが、彼が抱えていたものに気づくことができなかった。


 人の異変に敏感な斗真はすでに知っていたし、相棒だったアリシアも知っていた。藤と凛、桜までもが圭の異変に気づいていた。


 山本は圭がひとりでいるところをよく見ていたし、元気がないことは知っていたが、それはガルシアを逮捕し、ユウを救うことができなかった後悔や葛藤のためだと思っていた。


 自らの身体に避けられない殺意が襲いかかり、たったひとりで死を待っていることがどれほど怖かっただろうか。


 考えるだけで身体が震える。



 「父親として、子供が死を選んだことはとても辛いことです。ですが、あいつはその命で、他の多数の命を救った。私は誇りに思います。私もあと三十年もすれば、向こうの世界に行くことになるでしょう。そのとき、力いっぱいに抱き締めて、褒めてやろうと思っています」



 山本は俊哉より歳上で、あちらの世界に行く日は、彼と同じくやってくる。


 向こうで会えたら、俺は説教してやろう。どうしてひとりで抱え込んだのだと。俺たちは仲間だっただろうと。


 俺は頼りなかったと言われてしまうかもしれない。それは否定しない。


 だが、気持ちだけでも、俺はお前の親のつもりだったんだ。


 それだけは、伝わっていることを祈った。

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