19 - 海泡
トレーラーは街中に入り、信号待ちの車両にぶつけながら進んでいく。
すでにその光景は、外国のアクション映画を撮影しているような非現実的なものだ。
斗真は権藤に連絡を入れ、パトカーを出動してもらった。トレーラーの行き先がわからないことで、先回りをして交通整理はできない。
現在地から近い場所の通りを走っている車両を路肩に止め、交差点で大事故にならないように交通規制をかけた。
「この方向って、警視庁があるよな」
圭がふと言った言葉に、斗真は青ざめた。
「まさか、警視庁に突撃して爆破テロを起こすつもりなのか・・・」
もし、それが現実であれば、警察関係者に死者が出るばかりか、この国の警察組織に大きなダメージを与え、治安が崩壊しかねない。
「桜、トレーラーの横に車をつけられるか?」
桜の運転する車両で、トレーラーの背後を追っているが、このままでは何もできない。助手席にいる圭にある考えがあった。
「何をする気ですか?」
「跳び移る」
「そんな、無茶です! 失敗したらあの車体の後輪に巻き込まれます!」
「失敗はしない。カオスからハンドルを奪えば、止められるだろ?」
確かに、それ以外に方法はない。だが、圭は・・・。
「圭、手は綺麗か?」
斗真の質問の真意は、桜に伝わることはない。後部座席の隣に座っているアリシアは、ポケットに入っているネックレスを掴んだ。
「真っ黒だよ」
圭は自らの右手を見つめて、穏やかに答えた。
「桜ちゃん、トレーラーの運転席横まで寄って!」
「斗真くん、本気ですか⁉︎」
「本気だ。もう時間はない」
仲間ひとりを救うことができなくて何が司令塔だ。
それでも、あの車体が街中で大爆発を起こして無関係の人間が犠牲になることは避けなければならない。
桜は斗真の真剣な表情に、それが嘘でないことを察した。
アクセルを踏み込み、トレーラーの右側を追い越す。右前から左のサイドミラーで距離感を確認しつつ、減速して運転席の位置、車両が擦りそうな場所までつけた。
圭は窓を開け、身体をその中を通して、腕の力で天井に上がった。風でうしろに飛ばされそうになるが、なんとか耐える。
天井の上で片膝をつき、運転席の窓からカオスが笑っている。
これも、すべて計算通りというわけか。
圭は脚に力を込めて、トレーラーのドアに向かって跳ぶと、荷台との間にあったバーを掴んで、足をサイドステップに乗せることができた。
「止まれ!」
圭はベレッタのグリップで窓を三度叩くと、ガラスは割れて砕けた。
拳銃を握った右手を車内に差し込み、カオスの頭に銃口を向ける。左腕だけで風圧に耐えながら掴まっているのは、あまり体力が持ちそうにない。
しかし、カオスはまったく減速しようとはしなかった。
圭は窓から差し込んだ手で、強引に鍵のピンを引き上げる。
扉を力を入れて開けると、風圧に押されながらも身体が通るだけの隙間ができた。
その間に腕を入れ、圭は拳銃をカオスに向ける。
「ハンドルを離せ!」
圭が扉の間から車内に入ると、カオスは自ら助手席に移った。
「やけに素直だな」
圭はハンドルを握ると、足元のペダルを確認した。生まれてから車の運転をしたことがなく、ブレーキがどれかもよくわからない。
「この車は止まったら爆発する」
カオスは冷静に圭に忠告する。
「何?」
「止まったら爆発するように設定されてる。走りだしたら、止めることはできない。ブレーキも壊れてる」
試しに中央のペダルを踏んでみたが、まるで足に反動はなく、ペダルは奥まで押し込まれた。
よくわからないが、アクセルは右か。
圭はゆっくりとアクセルを踏み、緩やかにエンジン音が大きくなる。
ハンドルを握って運転に集中すると、左手首に冷たいものが当たった。
手錠がついている。
先ほど藤がカオスの右手にかけた手錠で、圭と彼の手首が繋がれた。
「なぜガルシアのために命を捨てるんだ?」
「あいつのためじゃない。俺はただ、お前が邪魔なだけだ」
圭がカオスに恨みを買った心当たりはない。
「斗真、これが止まったら爆発するらしい。前を走って海まで連れて行ってくれ。沈める。周りに何もない場所がいい」
圭は冷静に無線で連絡を取るが、藤が「やめろ!」と叫んでいる。
とはいえ、この方法しかない。
「じゃあ、海に落ちる手前でこちらの車に飛び移ったら、トレーラーだけ海に落とせるわよね?」
「こいつは本気で俺を殺そうとしてんだ。手錠で繋がれた」
アリシアの提案は、この状況でなければうまくいくかもしれない。
斗真が息苦しそうに、「わかった」と返事をした。
つまり、斗真の頭脳をもってしても、それ以上の策はないということだ。
圭は前を走る捜査車両について運転をしながら、カオスに話しかけた。
「お前の過去に何があった? 俺もいろいろ抱えててな。どうせふたりとも死ぬなら、話聞かせてくれよ」
カオスから話を聞くことができれば、あとは斗真がすべてを明らかにするだろう。
「お前たちも知っての通り、俺は無戸籍児童だった。親はクズだった。ストレスが溜まったら俺に暴力を振るって、酒とギャンブルだらけ。俺は施設で育った。そのまま悪いことして生きてきたら、こうなった。それだけだ。やっと力が手に入ると思ったのによ、お前のせいで台無しだ」
なるほど。
俺がガルシアを逮捕したことで、こいつがほしかったものが手に入らなくなったということか。
「俺のことは言わなくてもわかるよな。そうだ、お前が知らなさそうなことを言えば、こんな俺でも愛してくれる人がいたんだ。俺も裏の世界を生きてきて、まともな人間とは言えないけど、家族も、仲間も、受け入れてくれた。あの娘は、俺と一緒に生きたいと言ってくれた」
もう、嘘をついて嫌われようとする必要はない。せめて最後に、俺の本心を仲間に聞いてほしい。
「こんな幸せな気持ちになれると思ってなかった。お前も、誰か近くに支えてくれる人がいたら、こんな道を選ぶことはなかったのかもしれないな」
ハンドルを握る手が震えた。
「だから、俺はお前を殺したいんだ。ただの快楽のためじゃなく、俺にないものをたくさん手に入れたお前を・・・。ガルシアですら、俺じゃなく、お前を望んでいた。俺は自らこの道を選んだ。だから、後悔はしない」
桜が前で大きい交差点を右折した。
圭は、それに倣ってハンドルを右に回すと、パトカーが並んで一般車両を両端に寄せて止めていた。
「さすが。やることが早いな」
優秀な仲間を持って誰も巻き込まずに済むなら、ひとりの犠牲は決して無駄にならない。
海沿いの通りを走り、橋を渡るとその先は工業地帯のようだった。巨大な煙突が立っており、海上の埋立地に工場が並んでいる。
「カオス、お前、名前なんていうんだよ?」
最後のときは近づいている。
せめて名前だけでも聞いておこうと思った。これから死んでいく男の本当の名前を。
犯罪者だったとしても、存在していたことをこの世の記録に残すために。
だが、彼から返事はなかった。助手席を見ると、彼は眠っていた。
薬を飲んだのか。
もう死んでいるのか、意識を失っただけなのか、それは判断できないが、少なくとも彼はもう話すことはない。
「圭くん、このまま、まっすぐ加速してください・・・。先には・・・障害物はありません」
無線から聞こえる桜の声は、嗚咽と混ざっていた。
これで、お別れか・・・。
「皆に会えて本当に良かった」
圭は右足に体重をかけると、エンジンの回転数が急速に上がり、トレーラーは加速していく。
「じゃあな」
東京湾に接する工業地帯。海沿いに柵や仕切りはなく、海面までその高さは十メートル。巨大な車両は勢いを落とさずに宙を走る。
次第にその速度は重力に負け、巨大な水しぶきを上げ、その三秒後、海中で起こった大爆発は、先ほどより大きな水柱を天高く打ち上げた。
山本は桜の運転する捜査車両に追いつき、海面を覗き込んだが、空から降る潮の雨を浴びるだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます