18 - 逃避

 三箇所ある倉庫のうち、この倉庫だけ少し離れた場所に位置している。


 倉庫の一階にある扉は鍵がかかっていた。


 藤は階段を発見し、二階の扉を開けようとするが、この扉も鍵がかかっている。


 隣にすりガラスの窓がついており、中の様子は見えそうにない。藤は試しに窓を開けてみると、鍵がかかっておらず、窓が開いた。



 「この窓なら、俺でも入れるな」



 カオスの身体の大きさは藤と同等か、少し大きいくらいだ。カオスが入れるなら、藤も入れるだろう。


 窓の縁に足をかけて、身体を小さくして窓の中に入る。足元は鉄骨の骨組みの上に、金属の網が敷かれているだけの簡易な床だった。


 藤が着地した音が大きく倉庫内に反響し、一歩進む度にギシギシと音を立てる。


 二階は倉庫に対してほんの一部分だけで、ほとんどが一階から天井まで吹き抜けになっている。手すりで仕切られた場所まで進むと、一階が見渡せた。


 巨大なトレーラーが一台停まっているだけで、他には何もない。



 「トレーラーの中に爆薬があるのか・・・」


 「その通りだ」



 藤の独り言に対して下から返事があった。


 トレーラーの扉が開き、降りてきた男は間違いなくカオスの姿だった。上下黒い服を身につけた体格の大きい男だ。



 「見つけたぜ」


 「思っていたより時間がかかったな」



 藤は階段を駆け下り、カオスに向かって走る。


 無線で応援は呼ばないことにした。圭が来てしまっては意味がない。


 圭が来る前に俺がこいつを捕まえる。俺が最初にカオスに辿り着いたのは運が良い。


 凛は外で藤が戻ってこないことを心配して、階段を上っているかもしれない。だが、凛が応援を呼んだとしても、皆が駆けつける前に決着をつける。


 藤はカオスに避けられることがないように、全速力で距離を詰めると、殴る代わりに両肩を掴んで全体重をかけて飛び込む。


 カオスはトレーラーの荷台に背中をぶつけた。



 「お前はここで捕まえる」


 「殺すつもりがないなら、お前に勝ち目はない。お前には何も見えない」


 「え?」



 カオスは動揺した藤の腹を蹴って、藤の拘束から逃れる。


 藤は腹を押さえて、咳き込んだが、すぐに呼吸を整えた。



 「お前、圭と同じ目を・・・」


 「そうだ。俺は人体実験を受けずにこの目を手に入れた。クロノスと同じ、殺意が見える。初めてあいつを見たとき、俺の殺意があいつに襲いかかるところを見た。あいつも同じものを見ている。必ず俺を止めに来る」


 「なんであいつを殺そうとする?」



 カオスは一瞬ムッとした表情をした。


 圭にどういう恨みがあるというのだ。



 「俺はいずれこの組織を手に入れるつもりだった。だが、ガルシアはクロノスを後継者にしようとしていた。俺がどれだけやつのために尽くしても、最上圭を追い込んで、絶望させて味方にすることだけを考えていた」


 「そんな理由でガルシアは圭の人生を壊したのか? そんな理由でお前は圭を殺そうとしているのか? ふざけんじゃねえ!」


 「ふざけんじゃねえはこっちの台詞だ。結局ガルシアが最後に俺に命じた仕事は、悪事の証拠を消すことと、もう味方になることがない最上圭を殺すこと。俺は何のために今までやつの命令に従ってきたんだよ?」



 カオスはガルシアの後継者になろうとしたが、ガルシアは圭だけに執着した。


 カオスの過去は知らないが、彼もまた、ガルシアに利用されただけの人間だということだ。



 「俺は人が殺したいんだよ。もう、組織も壊滅した。何も面白いことはない。なら、最後にやつの命令通り最上圭を殺してやろうと思った。あいつは俺にないものを持ってる。あいつの望み通り、すべてを終わらせてやるよ」



 カオスは懐からナイフを出す。二件の殺人と、殺人未遂のために使われたものと同じタイプのサバイバルナイフだ。



 「まずはお前からだ!」



 カオスはナイフを鋭く突き出して、藤の腹に腕を伸ばす。


 その攻撃を一歩下がってギリギリで避けると、藤は伸び切ったカオスの手首を掴んで、引っ張った。


 ナイフを持っている腕ごと手前に引きつけると、手首を捻って手からナイフを落とさせる。地面に落ちたナイフを蹴ると、それはトレーラーの下に転がっていく。


 この技術は宗馬から教わったものだ。


 藤は左手でカオスの手首を掴んだまま、フリーの右拳をカオスの顔面に叩きつけた。


 鈍い音を立て、カオスの左目に青痣ができた。


 体勢を崩して、倒れそうになったところでトレーラーの荷台に背中をぶつけてなんとか立ち止まった。



 「男なら、素手でやろうぜ。それが、喧嘩ってもんだろ」



 藤は右拳を左の掌に叩きつける。



 「殺し合いにルールなんてねえんだ。だが、お前なら手加減しなくても殺してしまうことはないかもしれないな」



 カオスはトレーラーの荷台を殴る。大きな音が響き、殴った場所に凹みができた。



 「いいじゃねえか。かかってこい!」



 カオスと藤は同時に地面を蹴った。


 ふたつの巨体はその勢いのままで右拳を放ち、お互いの拳が同時に相手の顔面に届いた。


 しかし、勢いに負けたのは藤の方だった。カオスの方が身体が大きく、体重がある。同じスピードであれば、力がある方が勝る。


 カオスは続けて左拳を藤の腹に入れるが、重心がうしろにかかっている藤は、その拳が届く前に自らの左手で受け止める。


 藤は右足をうしろに伸ばし地面を踏みしめ、腰を捻って右拳をカオスの顔に向かって伸ばす。


 その一撃は、カオスの顎を掠め、今後はカオスが体勢を崩して地面に膝をつく。


 顎には神経が通っており、直撃でなくても小さなダメージが身体の動きを止めることがある。


 藤は、膝をついて腹の高さに顔があるカオスを見下ろした。



 「これまでだな」



 握り締めた右拳を構え、腰を捻ってカオスの顔を殴ると、その攻撃は巨体をうしろに飛ばして、カオスは背中から地面に沈む。


 息が上がったまま、藤はカオスの右手首を掴んで、手錠をかけた。



 「逮捕だ」



 これで、圭の身体から殺意は消えたのだろうか。目を持っていない藤に、それを確認することはできない。


 カオスの左手首に手錠の反対側をかけようとしたとき、突然彼が倒れたままの状態で藤の顔を蹴った。


 藤が顔を押さえている間に立ち上がり、トレーラーの運転席に乗り込む。エンジンをかけ、急加速で倉庫のシャッターを破壊して飛び出した。



 「誠也!」



 凛は階段を駆け下りてきて、藤の無事を確認して安堵する。



 「くそっ! 逃した!」


 「カオスがトレーラーに乗って逃げた! すぐに捜査車両で追わないと!」



 凛は無線でこちらに向かっているメンバーに呼びかけた。



 「トレーラーの荷台に爆薬が載せてある。それと、ガルシアの悪事の証拠を消すと言ってた。きっとトレーラーごと爆破する気だ」



 もし、街中で爆発が起これば、また無関係な人が巻き込まれるテロ事件になる。


 なんとしても止めなければならない。


 捜査車両のサイレンが聞こえてきて、倉庫の前で止まった。



 「乗れ!」



 山本が窓を開けて藤と凛を呼ぶ。


 凛が助手席に、藤は後部座席に乗ると、山本はアクセルを踏み込んで車両を急加速させた。



 「桜の運転でもう一台がトレーラーを追ってる」


 「圭はそっちに乗ってるのか⁉︎」


 「ああ、斗真とアリシアが一緒だ」



 まずい。


 確証はないが、嫌な予感がする。



 「山本さん、飛ばして! 圭くんが死んじゃう!」


 「これ以上飛ばせない! ん? 圭が死ぬってどういうことだ⁉︎」



 そうか、凛も気づいていたのか。



 「圭は自分にカオスの殺意が見えてるんだよ! だから、あいつは全部捨ててすべてを終わらせるつもりなんだ!」


 「ふざけんなよ! 許さねえぞ!」



 斗真が一緒にいるとはいえ、圭は一度決めたことは誰に意見を言われようが耳を貸さない。


 前回のテロのように桜が車両をぶつけても、あのサイズのトレーラーに効果はないだろう。単なる自殺行為だ。


 山本はもう一台の車両の場所が表示されたカーナビの画面を見ながらトレーラーを追うが、そのルートは都心に向かっていた。


 テロを阻止するための方法は、ひとつしかない。そして、それを行うのは圭で、間違いなく命は助からない。



 「圭、早まるなよ!」



 藤は無線で叫んだが、その言葉が圭の決意を変えることはなかった。

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