その後
山本はある居酒屋の前で人を待っていた。すでに外は暗くなっており、飲み屋が並ぶ通りは仕事を終えた会社員で賑わっている。
「お待たせしました」
権藤が駆け足でやってきた。まだ山本が先輩刑事として一緒に捜査をしていた頃、この居酒屋でよく悩みを聞いたものだ。
そんな権藤が今では捜査一課長だ。最後にふたりで呑んだのは十年以上前だったか。はっきり覚えていない。
「私も今来たところですよ。それより、一課長ともあろうお方がこんな場所で良かったんですか?」
「山本さんと呑むならここしかないと思いましてね」
山本が電話をかけると、権藤は「いつもの居酒屋で」と言った。まるで一週間前も共に呑んだかのように。
権藤は出世しても自らを偉いとは思っていない人間で、昇進したあとも変わらず山本を尊敬していた。
山本が木製の戸を引いて店内に入ると、客がたくさん入っており、大きな笑い声が響いてくる。
ここは昔とまったく変わらない。年季の入った店内の様子があの頃を思い出させた。
店員が空いている席に座るように促し、ふたりは適当に近くの席についた。大人特有の「とりあえず生」から始めることにする。
「どうですか? 犯罪対策課零のメンバーは?」
「ついて行くのがやっとですよ。あいつらの若さと勢いに付き合うには、どうも歳をとりすぎたようです」
権藤は笑って「あなたもまだまだ若いでしょう」と冗談を言う。
すぐに店員が生ビールが注がれた中ジョッキを二杯持ってきて机に置いた。
「では、乾杯しますか」
山本がジョッキを持ち上げると、権藤もジョッキに手を伸ばしたが掴む手前で動きが止まった。
「どうしました?」
「どうも慣れなくて。ここは無礼講でいきましょう。あの頃に戻って話がしたいんです。私があなたの後輩の駆け出し刑事だった頃に」
「いや、そう言われましても。今は私はただの刑事で、権藤さんの部下ですよ」
「今は一の隣、零の課長でしょう」
山本は自身が新設部署に異動になったことで気づいていなかったが、犯罪対策課長ということは、立場でいえば権藤と同じになる。だが、率いる刑事の数が違えば、部署の規模もまったく違う。
「納得できなければ一課長として命令します」
権藤に口で勝てる気がしない。こういう狡猾なところが権藤を今の地位につかせているのだ。
「昔からお前は賢いやつだった。俺なんかより出世するはずだ」
「あなたに育てられた結果だと思っています」
権藤はジョッキを持って、山本が持つジョッキに当てた。ふたりは同時にビールを一口呑む。
「気になってたんだが、この犯罪対策課は誰が考えたことだ? 刑事部長か?」
「もっと上ですよ」
刑事部長より上とは、どこまで上の話なのだろう。警視監クラスの話になってくると、一介の刑事には関わることがない。
「ここだけの話にしてください」
権藤は身体を前に傾け、顔を山本に近づけた。
「今回の事件、裏で何かが動いていたようです」
斗真が言っていた。正体の知らない何者かがいると。
彼は外部からその情報を得ていない状態で察していた。
「気をつけてください。上層部は何かを隠している。そして、その何かを排除するために作られたのが、あなた達の部署です」
我々に危険が迫っている。権藤はそれを山本に伝えたかった。
「何かあれば私も全力でサポートします。捜査一課を動かすことも惜しみません。どうか、無理はしないでください」
「ありがとな。何かあったら頼らせてもらいますよ、権藤捜査一課長」
「だから、それをやめてくださいと言っているんです」
山本はあの頃の権藤を見たような気がして、大声で笑った。しかし、内心は不安で満ち溢れていた。
それでも、あいつらが一緒なら、乗り越えられないことなどない。そう思えるほどに、メンバーとの信頼があった。
「乾杯!」
同じ頃、別の居酒屋で打ち上げを行うグループがいた。料理がおいしいと評判の居酒屋を選んだ。せっかくだから食事を楽しみたいという意図もあった。
藤の声で全員がグラスを掲げたが、ふたりはソフトドリンクだった。
「お酒呑めないのね」
凛が斗真と桜を見て笑う。その笑顔がとても魅力的で、藤は見惚れた。
「二十歳になったら呑めると思ってたんですけど、やっぱり苦いだけで」
桜は両手でジンジャーエールの入ったグラスを持つ。炭酸飲料は好きだが、アルコールが入っているものはまったくおいしいと思わなかった。
「斗真も駄目なのか」
「呑めなくはないけど、少し呑むと頭が痛くなるんだよ。炭酸飲料もあまり好きじゃなくて」
斗真はオレンジジュースを注文していた。赤いストローを挿して、それを少しずつ吸い込む斗真の絵がとても面白い。
藤はビール、凛は日本酒を注文し、ハイペースで呑み進めていく。
店員は料理を次々と持ってきた。居酒屋では定番の唐揚げや焼き鳥、玉子焼きなど酒が進むものばかりだ。
藤は見た目の通り大食いで、釜飯など腹にたまるものをたくさん注文した。すべてが揃う頃には、本当に食べ切れるか疑問に思う量の料理が机に並んだ。
「宗馬さんも来れば良かったのに」
宗馬には婚約者がいて、少しでも早く家に帰りたいとよく言っていた。圭は麻衣と詩織と一緒に帰った。
家があの状態では住むことができないので、リフォームが終わるまで圭の部屋に住むのだそうだ。
「斗真くん、仕事の話をするのは今はやめた方がいいかもしれないんですけど、どうしても聞きたことがあって」
「いいよ。気になることは解決した方がいい」
「もうひとりいるっていう話なんですけど」
「あー、それ俺も気になってた」
「私も」
三人の視線が斗真に集まった。やはり話しておくべきか。
「今回の事件、エドワードが常にヒントをくれたっていう話はしたけど、あれがエドワードの策とは思えなかったんだ。他の誰かの意思を感じた、というべきかな。確証はない。だけど、すべてを操る人物がいる。そう思うんだ」
そして、その人物は近々何かを仕掛けてくる。その正体は、僕が探し続けたものかもしれない。
「いずれわかるよ。なんとかなる」
斗真にしては楽天的な励ましだった。
「ま、そうだな。俺たちならどんな敵でも負けることはない」
藤の自信に根拠はないが、組織にひとりはこういう人物が必要であるように思う。
「そうね。私たちならなんとかできる」
凛は酒が回りはじめたようで、饒舌になってきた。藤がビールを半分呑んだ頃、凛は四回目の酒の注文をしていた。
「そんなペースで呑んで大丈夫か?」
「藤くんも呑みなさい。付き合ってくれるのはあなただけなんだから」
凛は藤にウインクをして誘う。藤が断る理由はない。
「俺も日本酒で!」
斗真と桜はソフトドリンクで料理を楽しんだ。評判になるだけあって箸が止まらない。
「そうだ、僕からもひとつ聞いていいかな?」
斗真は周りの音が大きいため、はっきりと聞こえるように桜の耳に顔を近づける。
「な、何ですか?」
桜はそれに驚いて動揺した。
「あの運転、桜さんはプロのライセンスでも持ってるの?」
捜査一課長の大切な車に乗って麻衣の自宅に向かったとき、桜の運転は素人のレベルではなかった。二十歳なら免許を取得するのは早くても、二年ほど前だ。経験なら斗真の方がある。
「私、レースゲーム得意なんです」
「ゲーム⁉︎」
斗真の声が裏返った。ゲームで運転がうまくても、現実はまた別物だ。
「はい、だから、私が運転するのが一番早いかなって」
「うん、もうやめようね」
「え、どうしてですか?」
個性が強い犯罪対策課のメンバーたち。その中にいる桜は感性が普通の人間だと思っていた。
もちろん、パソコンの技術は素晴らしいものだが、性格や常識はもっともまともであるはずだった。やはり、全員に何かしら癖がある。
零に召集された人は、全員がどこかおかしい。僕も含めてだけど・・・。
そのことを再確認した斗真であった。
凛と藤はとうとう肩を組んで呑みはじめた。酒に酔うと人は理性を失う。素面で冗談でなくぶっ飛んだことを言う桜が一番恐ろしいと思う斗真だった。
圭は麻衣と詩織を部屋に招いた。
ふたりの自宅は壁に穴が開き、家具は破壊され、ガラスは粉々に割れていた。すぐにリフォームの業者を手配し、見積額を算出してもらった。
斗真が紹介した業者は値段を限界まで抑えてくれて、期日も早く完成するように工事を行ってくれるようだ。
そのとき聞いた話では、斗真はコンサルタントの会社を経営する代表取締役だと言う。その人脈で業者を紹介してくれ、さらに口利きで優遇してもらえるように社長に頼み込んでくれたらしい。
麻衣は詩織の負担を増やさないようにアルバイトをすると言ったが、就職活動の大切な時期であることで、詩織は拒否した。
その言い合いを聞きながら、圭は当然のことのように全額を支払うと言い放った。
ふたりは圭を止めようとしたが、圭は一度決めたことを曲げない性格をしていた。
その場で強引に言われた金額を渡した。最初からある程度の現金を準備していたようだ。
「広い!」
麻衣は圭の部屋を見て驚いた。この立地でこの部屋ならば家賃は高額だろう。警察官は高給なのだろうか。
圭はふたりの荷物を床に下ろした。麻衣と詩織はスーツケースを持っていた。
旅行に来た気分だが、ここはホテルではない。
まさか、こういうことになるとは想像していなかった。自宅のリフォームが終わるまで詩織はマンスリーで部屋を借りようとしていたが、圭が突然自分の部屋を使うように提案した。その上リフォームの代金をすべて支払ってくれた。
山本は十五年前に警察が怠慢ともいえる捜査をしたことをふたりに謝罪した。
山本が悪いわけでないことは知っている。必死に頭を上げるように説得し、山本は悔しそうに渋々体勢を直した。
「さて、じゃあ部屋は好きに使ってくれ。これ、鍵」
圭は鍵をキッチンのカウンターに置いて部屋を出て行こうとする。
「圭くん、どこ行くの?」
「日本にはネットカフェってのがあるんだろ? そこに泊まるかな」
圭の言葉の意味が理解できない。なぜ家主が出て行くのだ。
「あんなことがあったあとだ。男が一緒にいるのは良くないだろう」
圭は精一杯麻衣に気を遣っていた。廊下を玄関に向かって歩き、そのまま靴を履いて扉を開ける。
「待って、圭くんが出て行くなら私たちはここでお世話になれないよ」
「俺はどこでもいいんだ。もっとひどい環境にいたからな」
「そういう話じゃないんだって」
麻衣は圭の腕を掴んで引き止めた。
「圭くんと一緒にいたい」
圭は頭を掻いて困ったように俯いた。この言葉の真意は圭には届いていないだろう。
「知らない男と住むのは問題ないのか?」
「もう知ってるもん」
私は圭くんの何を知っているんだろ。まだ何も知らないかもしれない。だけど、私と圭くんの関係はこれからだ。
圭は麻衣の説得に負け、靴を脱いでリビングに戻った。
「さて、お腹空いたよね。買い物行ってくるね」
詩織は鞄を持って玄関に向かった。麻衣が圭を引き止めている間、詩織は何も言わなかった。麻衣の気持ちを考えて、あえて何も言わなかったのだろう。
「私も行く」
「いいの、ここにいて」
麻衣は圭とふたりきりになることが恥ずかしくて、詩織の言葉に食い下がろうとしたが、詩織はそれを無視してひとり出ていってしまった。
「麻衣も疲れただろ。少し休んだ方がいい」
圭に促されて麻衣はソファに座る。自宅の年季の入ったソファとは違い、この部屋にあるソファは新しくて柔らかった。
圭は麻衣の隣に座り、麻衣の顔をじっと見つめる。
「ど、どうしたの?」
恥ずかしさで顔が赤くなっていることは鏡を見るまでもない。
やはり麻衣を見ているとクロエを思い出す。きっと性格や雰囲気が似ているのだと思う。
「麻衣、大丈夫か?」
何に対しての大丈夫なのだろうか。
「お父さんのこと」
圭の質問の意図を理解した。
「うん、きっとお父さんも喜んでると思う。お母さんも肩の荷が下りたみたいだし」
「そうか。麻衣は、そのままでいろよ」
圭は麻衣の頭に右手を置いて、微笑んだ。
圭の穏やかな笑顔を見たのは初めてだ。これから、もっとたくさん笑えるように、私がそばでお手伝いができたらいいな。
麻衣は圭の慣れない笑顔に、できる限り幸せな笑顔を返した。
To be continued...
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