37 - 陰謀
山田は冷たい視線を斗真に向けた。彼の雰囲気が変わったことで山本の背筋に冷たいものが流れる。
「どういうことだ」
「この手紙は小坂商事の書庫から見つかった。それはおかしい。十五年前にあったことを考えると、この手紙は処分されていなければならないものです」
山本の問いに対して斗真は説明を始めた。
「新聞の記事になるほどの不正です。会社は混乱したでしょう。しかし、実際は不正を行っていなかったあなたが懲戒処分を受けて解雇された。警察はどうしてそんな大きな事件を調べなかったのか」
確かに斗真の言う通りだ。世間に知られているほどの大きな事件を警察が捜査しなかったことに違和感があった。
「会社が隠蔽をした。それ以外に考えられません」
山田誠が独断で行ったこと。すべてはその一言で終わり、警察の強制捜査も介入する隙を与えなかった。
「それに、真田賢治さんは小坂商事の社員だった。殺害されたときに不正の情報はすぐに入手できたはず。横領が明るみになってからすぐであれば、二つの事件の関連性を調べない方がおかしい。そのまま金目当ての犯行で結論づけるのはあまりにも警察が無能だと言わざるを得ません」
当時山本は捜査一課でその事件の捜査に関わったが、ほとんど記憶になかった。
つまり、あっさり処理されたために印象に残らなかったのだ。冷静に考えてみれば違和感があるほどにあっさりしていたように思う。
「真田さんはあなたの無実を訴えようとしていたんです。自らの立場が会社で危うくなることも覚悟の上で」
「違う! あいつは、自分だけ安全な場所で・・・」
山田の言葉は途中で消えていった。必死の訴えも斗真の前では無意味だと察したのかもしれない。
「先ほどから真田賢治さんを悪者にしようと必死だな」
藤は思ったことをそのまま言葉にした。凛と宗馬も同感だった。あまりにも必死すぎて、それが狙いであることを白状しているかのようだ。
斗真の言葉に対して、山田は「真田は悪い」と割り込んでくるばかりだ。
「あなたは真田賢治さんを個人的に恨んでいた。いや、妬んでいたんです。営業部での業績は優秀、上司に気に入られ、幸せな家庭を築いて非の打ちどころのない彼のことを。対してあなたの営業部での業績は芳しくなかった。家庭は理想とは程遠いものになって、何もかもがうまくいかない。同僚なのにどうしてこうも違うのか。最終的にあなたはお荷物として営業部を追い出され、経理部に異動になった」
対照的なふたりだった。
一方はすべてを手に入れ、もう一方からはすべてが遠ざかっていく。
「不正があったことは事実です。しかし、あなたが真田賢治さんを殺害したのは個人的な妬みが原因です。同情の余地はない」
斗真は確信しているように話しているが、これらに物的証拠はない。人間の感情から起こったことは、すべてが状況証拠と人間関係から推測される。
「あなたを救うつもりでいたんですよ、真田さんは。このメモ紙が挟んであった書類は営業部の取引書でした。きっとこの明細は偽装されたものです。それが経理部のダンボールから見つかった。あなたならこの意味がわかるはずです」
取引書は、他社との売買時に契約が交わされたことを記録する書類だ。商品の金額が細かく記載されているが、その書類は本来営業部の書類であるはずだ。
「十五年前、会社が不正の事実を隠蔽しようとしたとき、証拠になる資料はすべて処分された。しかし、不正をしたのは営業部長だった。経理部の資料までは確認しない。そのことを見越した真田賢治さんは、証拠の資料を経理部のダンボールに隠した。タイミングを見てすべてを明らかにするために。しかし彼は、上司の高木拓郎と会社の上層部に圧力をかけられた。理由は簡単です。会社にとって高木さんと真田さんは必要な人間であったから」
業績が良くなかった山田誠を経理部に異動させ、さらに横領をしたとして懲戒免職にする大義名分を得た。会社としては大事にしたくなかったため、山田に依願退職をするように迫ったのだ。
「不正に関しては、あなたは何も悪くない。それがなければあなたが殺人を犯すこともなかったかもしれない。だけど、あなたを救おうとしていた真田賢治さんを悪者にすることだけは僕が許しません。真田さんの奥さんと娘さんのためにも、それだけは間違っていると証明する義務がある」
「うるさい!」
山田は椅子を蹴り飛ばし、斗真の胸倉に掴みかかった。山本はすぐに山田を引き剥がそうとするが、斗真の手が山本を止める。
「一連の事件を計画したのはあなたではない。情報がなく行き詰まったとき、常にエドワードが新しいヒントを僕に与えた」
エドワードが山本と宗馬の質問に答えず、一見関係のないように思えることを話したのは、すべて斗真の仮説を真実に近づかせるためであった。
「裏にいる誰かの計画通りに行動をし、そうすればあなたの目的、妬んでいる人間を悪者にすることができると言われたんでしょう。あなたは自分勝手な動機で人を殺し、さらにその人を悪者にしようとした。遺された家族のためにも、僕が絶対にそんなことはさせない」
斗真は普段見せる穏やかな表情とは違い、その奥に熱した感情を宿した目で山田を射抜いた。
「ふふっ」
山田は斗真に掴みかかったまま、堪えていた笑いを吐き出す。
「何がおかしい!」
山本が山田に怒鳴った。今度は山本が山田に掴みかかりそうな勢いだ。
「お前の言った通りだ。言われた通りに行動すれば真田をクズとして死んだことにできるってあいつが言ったからさあ。わざわざ高木の家族全員殺してあいつの大切にしていた家族も殺してやろうと思ったが、お前のせいで台無しだ!」
気が狂ったように笑う山田を全員が呆然と見ていた。詩織と麻衣は堪えきれずに嗚咽する。
圭は部屋を飛び出して、取調室の扉を開けた。斗真と山本を押しのけると、山田の首を左手で締めて壁に押さえつけ、ベレッタの銃口が山田の額に向けられる。
「圭、やめろ!」
藤が取調室に入ってきたが、一歩も動けなかった。
圭の迫力がその場にいた全員の動きを制する。今にも引き金を引きそうなオーラを纏っていた。
「人を殺すことがそんなに楽しいか?」
「ああ、楽しいに決まってるだろ! 真田や高木が子供を庇おうとしている姿は今思い出しても笑える!」
山田にとって妻と娘を失った悲しみはどうでもよかった。そもそも家庭は順調とはいえなかった。失ったところでそこに感情はなかった。
「ならば、お前も同じ思いをしてみるといい。あのとき俺が麻衣を止めたのは、あの娘が俺と同じ道を進まないようにするためだ。失うものがない俺は、お前を殺すことを何とも思わない」
圭は引き金にかけた指に力を込める。
「やめて!」
ガラス越しの麻衣の声は、圭の耳に届かなかった。
取調室に乾いた破裂音が響く。
圭は拳銃を持ったまま、床に尻餅をついて倒れていた。頬に鈍い痛みが走り、斗真が圭の前に立って見下ろしている。天井には銃弾で開けられた穴があった。
「圭、あれを見ろ!」
斗真は圭を立ち上がらせて鏡を指差す。その先には麻衣が立っているが、取調室からは、自らの姿が鏡に映るだけだ。
圭の目に映ったのは、殺意が渦巻く自らの身体だった。圭は深く呼吸をし、冷静になろうと努める。
「お前があのふたりに何かするつもりなら、俺が守る」
圭は山田にそれだけ言い残して取調室を出た。隣の部屋に戻り、椅子に座る。
麻衣と詩織は安堵して、圭を見て微笑んだ。溢れる涙はまだ止まらない。
圭がふたりの気持ちを代弁してくれたこと、そして何より山田を殺すことを思いとどまったことに安心したのだ。
山田は腰を抜かして壁に背中を預けていた。
殺される側の気持ちが少しでもわかれば良い。
「大切なものを失った痛みが理解できないなら、あなたに人間でいる資格はない。あなたの命が尽きるまで、残りの時間、罪を償うことに費やすことだ」
それが斗真の最後の言葉だった。
山本は山田の腕を掴んで取調室から連れ出した。高木一家の殺人を追っているのは捜査一課だ。山田の身柄を引き渡して、あとは彼らが捜査するだろう。
全員が廊下に出て、これですべてが終わったと身体の力を抜いた。
初めての事件は、解決しても達成感より疲労を与えた。後味が悪い結末だったからだろう。
真田賢治を悪者に仕立てる。それが何よりも詩織と麻衣に対する攻撃の方法だったのかもしれない。
裏で糸を引いている人物がいた。それは、エドワードでも山田でもない。正体が見えない誰かが、今回の件のすべてを掌握していた。
斗真はその何者かの計算通りに推理をしていたことになる。
謎は謎を呼び、最後にまた謎を残していった。
「圭、殴って悪かったね」
斗真は先ほど圭を殴ったことを詫びた。あれがなければ、圭はおそらく本気で山田を射殺していたことだろう。
「いや、助かった」
最高で最低の皮肉だった。殺意が見える能力で自らが凶悪犯と同じ姿になっていることを知るとは・・・。
エドワードは事件の関係者として、捜査一課に引き渡すことになった。一課の刑事がエドワードを連れ出し、犯罪対策課のメンバーと詩織、麻衣が廊下で彼とすれ違った。
「お前とはすぐに会うことになる。Zからのメッセージだ」
エドワードがすれ違いざま、圭に小声で言った。英語だったため、他の誰も理解することはできなかった。
圭の表情が変わったことに気づいたのは、斗真だけだった。
あいつが、日本にいるのか?
立ち止まった圭と斗真を残して他のメンバーは先に本部に戻っていった。
「圭、今のはどういう・・・」
「忘れろ。関わらない方がいい」
圭はそれだけ言うと、廊下を進んだ。
もしかしたら、僕たちは何か大きな陰謀に巻き込まれているのかもしれない。
今は事件が解決したことを素直に喜んで、一息つくことにしよう。
いずれ、そのときは来るだろう。
斗真は他のメンバーと一緒に事件が終わった安堵の疲労感を受け入れることにしたが、「そのとき」は予想するよりも足早に、こちらに向かって来ていることをまだ誰も考えてなどいなかった。
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