36 - 推理

 翌日、麻衣と詩織は警視庁を訪れた。斗真が犯人の取り調べを行う場面に立ち会うためだ。


 詩織が犯罪対策課の本部の扉をノックすると、凛がふたりを招き入れた。



 「凛さん、本当にありがとうございました」



 凛は頭を下げる麻衣を優しく撫でる。麻衣の自宅で起こったことを思い出し、彼女が憎しみに支配されなかったことに本当に安心した。



 「私は何もしてないわ。犯人を捕まえたのも、麻衣ちゃんを守ったのも圭くんだから」


 「凛さんがいなければ、母はどうなっていたかわかりません」



 拳銃を持った男を相手にして、圭が来るまで時間を稼いでくれた。自らの危険を顧みずに家に入ったその勇気には感謝しかない。同じ女性として、本当に強い人だと思う。



 「昨日は、本当にありがとうございました」



 詩織は全員に深く頭を下げた。



 「それが我々の仕事です。無事で本当によかった」



 山本が課長として、ふたりの感謝を受け入れた。


 昨日、男に殴られた詩織は病院で精密検査を受けたが、身体に何も異常はなかった。


 圭は左腕を五針縫う怪我だった。部屋の隅で座っている圭の左腕には包帯が巻かれている。



 「腕の傷、痛む?」



 麻衣は圭に歩み寄って問いかけた。圭は家族全員を救ったヒーローだ。感謝してもしきれない。



 「大丈夫だ。こんなものすぐに治る」



 圭は麻衣を一瞥すると、無表情で自らの腕を見て答えた。



 「では、そろそろ移動しましょう」



 斗真はタブレットを持って部屋を出る。山本は詩織と麻衣に声をかけ、他のメンバー全員と一緒に斗真のあとを追った。


 取調室には斗真と山本が入り、他のメンバーは隣の部屋からその様子を見る。


 マジックミラーが取りつけられているため、取調室からこちらの部屋は見えないが、こちらからは取調室が見えるようになっている。


 男は椅子に腰掛けて、頭を下げていた。その顔は確認できない。


 斗真は向かいの椅子に腰掛け、山本は斗真の隣に立つ。



 「まず初めに、あなたの名前は山田誠さんで間違いないですか?」



 男は顔を足元に向けたまま小さく頷いた。



 「これからあなたに質問をします。嘘はつかないようにしてください」



 どれだけ嘘をついたとしても詩織への殺人未遂は現行犯であるため、言い逃れることはできない。斗真が明らかにしたいのは、さらに根底にあるものだった。



 「あなたの復讐は十五年前、真田賢治さんを殺害することから始まった。あなたたちは小坂商事に同期で入社し、共に営業部に所属していた。しかし、当時営業部長であった高木さんに不正の罪を背負わされて解雇された」



 淡々と話し続ける斗真を前に、山田は何も反応を示さなかった。


 山本は山田のような犯人を今までたくさん見てきた。すべてが終わり、生きる気力すらなくした人間の姿を。



 「真田賢治さんは、その不正に加担していた。無実の罪を着せられ、その上同僚であるあなたが処分を受けるというのに自らの保身のためにあなたを犠牲にした」


 「そうだ! あいつは俺を嵌めたんだ! あいつのせいで俺の人生は狂った」



 感情的になった山田が立ち上がった。息を切らして、血走った目を斗真に向けている。


 詩織と麻衣はその様子を黙って見ていた。


 賢治はそのような人間ではない。


 そう信じているはずだが、山田の訴えを聞いて、その信念が揺らいでいるのかもしれない。


 十五年恨んできた相手の口から賢治の悪事を聞かされるのは、どれほど辛いことか、圭には想像できなかった。



 「では、どうして十五年経ってから高木さんに復讐をしたのですか?」



 斗真はすべてを知った上で山田の口から事実を引き出そうとしている。山本には斗真の発する言葉すべてが、確たる裏づけがあるように思えた。



 「不正を調べたんだよ。高木がやったことを知った」



 凛が小坂商事に派遣社員として潜入したとき、不正について調べていた人物がいたという情報は山田のことだった。



 「拳銃を入手したあなたは高木拓郎さんだけでなく、奥さんと息子も殺害した。それはどうしてですか?」


 「あいつのすべてを奪ってやろうとした。俺のすべてを奪ったあいつのすべてを」


 「あなたの妻と娘が交通事故で亡くなったことがきっかけで」



 斗真の言葉に山田は身体を震わせた。それを斗真は見逃さなかった。



 「あなたが会社を解雇された数ヶ月後、あなたの妻と娘が交通事故で亡くなった。あなたはその悲しみを憎しみに変えて、すべてを高木拓郎さんと真田賢治さんに向けた。その復讐の仕方は、あなたを襲ったのと同じ苦しみを与えることだった」


 「そういうことか」



 宗馬が隣の部屋で呟いた。



 「どういうことだ?」



 藤は話を聞いていても先の展開がまったく読めていない。



 「高木の家の状況だ。子供がリビングの真ん中で、親が壁際で殺されていた。山田は子供を親の目の前で殺すことで高木に復讐をしたんだ。次に妻、そして最後に高木拓郎を殺した」



 真実は非常に残酷なものだった。子を持つ親なら自分が殺されるよりも大きな苦痛を味わうことだろう。


 真田賢治は十五年前に殺害され、残されたのは詩織と麻衣だった。詩織に麻衣が苦しむ姿を見せてから復讐を果たそうとしたのだ。


 圭は奥歯を噛み締める。


 卑劣な考えに抑えきれない怒りを覚え、今すぐにでも山田を殺してしまいたい衝動に駆られた。


 山本には気持ちを理解できるところがあった。


 山田と同じ状況にいれば、正常な判断ができなくなるかもしれない。殺人が許容されてはいけないが、その背景にある苦しみだけは、家庭を持つ山本にとって同情の余地があった。



 「十五年前の真田さんの殺害は通り魔の犯行で片づけられた。まだ幼かった麻衣さんは、目の前で大切な人を失った。さらにその麻衣さんを殺害しようとしたあなたの行動からは非常に強い憎しみを感じます」



 麻衣は両手で顔を覆って肩を震わせた。隣に立つ詩織がその肩を抱き寄せる。



 「四月十七日。十五年前あなたが解雇された日です。高木さんへの復讐をその日に選んだ理由はそれですね? あなたはその十七日までになんとしても拳銃を手に入れたかった」



 エドワードがホテルで話していた十七日とは、この件で仲間と連絡をとっていたからだと斗真は推測している。


 エドワードが逮捕されても事件が起こったのは、山田が実行犯だったから。



 「そして、僕のパズルを完成させたのは、あなたが購入した弾丸が六発であったことだ。コルト・ガバメントの装弾数は七発。本来は七発の銃弾を受け取るはずだが、あなたには、その六発に大きな意味があった」


 「殺害する人数」



 隣で山本が口にした言葉に斗真は頷く。


 取調室の隣の部屋にいるメンバー全員がすべてを理解した。



 「高木一家の四人と真田詩織さん、麻衣さん。あなたのターゲットは六人だった。あなたが真田さん母娘を狙っているのはそれがきっかけでわかりました。そして、すべてのピースが繋がった。拳銃の密売、真田賢治さんの殺害、高木一家の殺害、小坂商事の不正、そして、真田麻衣さんのストーカー」



 まだ手がかりが少なく、皆が何を調べれば良いのか判断できていなかった頃、斗真はすでにすべてを見通していた。斗真の頭脳は常人のものとは比較にならないという意味を、山本は身をもって理解した。


 つまり、十五年前山田は不正の罪を被せた真田賢治を殺害することで復讐は終わるはずだった。しかし、妻と娘を不運の事故で失い、その元凶はすべて小坂商事を解雇されたことにあると考えた。


 不正を調べるうちに主犯が高木であったことを知った山田は、愛する者を失う気持ちを経験させることで復讐を果たそうとした。


 拳銃を購入し、自らが解雇された日に高木一家を殺害し、賢治の妻である詩織と娘の麻衣を殺害しようとした。



 「麻衣さんを誘拐した犯人も、操られていただけだった。あなたは麻衣さんのことを観察していた。どのタイミングで犯行を実行しようか機を伺っていた。そのときに麻衣さんを追いかけているストーカーの存在を知った。うまく利用できると思ったんでしょう」



 レンタカー会社から正式に商用ワゴンを借りた人物の情報を得ることができた。


 斗真がその男から話を聞くと、山田に言われたそうだ。「真田麻衣はお前のことを愛している。だから、彼女もお前が迎えにくることを待っている」と。純粋な男はその言葉を信じた。


 麻衣が男を拒絶し、そのことに精神的なショックを受けた男が力ずくで麻衣を暴行する可能性があることも承知の上だった。


 麻衣を精神的に破壊して、詩織の前で殺害する。心を殺して、肉体を殺す予定だった。


 許しがたい考えだ。


 斗真は山田の顔をしっかりと見ながら、一枚の紙を机に置いた。



 「何だ、これは?」



 山田はその紙を見つめ、表情を変える。



 「これは、真田賢治さんがあなたに残した手紙です」



 凛が小坂商事の書庫で発見したメモの写真が印刷された紙だった。紙には、「悪いことをした。何もできなかった俺を許してくれ」と書かれている。



 「違う! これはあいつの字じゃない!」



 斗真はため息をついた。山田の反応はすでに予測されていた通りだったからだ。



 「共に営業部にいたあなたなら、これが真田さんの字であることはすぐにわかるはずです。あとで詩織さんに見てもらってもいいでしょう」



 山田は苦痛を顔に浮かべて黙り込んだ。



 「真田賢治さんは、不正を知っていたにもかかわらずあなたを救うことができなかった。だから、この手紙を残した」


 「そんなわけがない。あいつは、俺を蹴落としたかったんだ。俺が解雇されるときも、何もしなかった」



 斗真は山田を哀れみの目で見つめた。


 ここまで必死になっていると、怒りより哀れみが優ってしまう。


 詩織と麻衣は、身体を寄せ合ってその様子を見ていた。



 「僕はあなたを軽蔑する」



 斗真の口から出た言葉は、それまでの流れを無視するものだった。

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