5 - 咎人
橋の欄干にひとりの少年が立っている。空は晴れているが、少年の目にその青空は映っていない。
少年が今から川に飛び降りようとしていることは誰が見ても明らかだった。
周囲に人通りはない。川までは数十メートルの高さがあるように感じられる。実際はそこまで高いことはなく、少年の心が生み出している幻想であった。
少年は覚悟した。
これですべての苦しみから解放される。この世に生きていく場所などないのだ。
「川遊びをするには寒いだろう」
突然声をかけられた。声の方に振り返ると、ひとりの男性が立っていた。
笑顔で少年を見ている。その無垢な笑顔のせいで覚悟が鈍ってしまった。
仕方なく欄干から降り、その場を立ち去ろうとする。
「死ぬ覚悟があるなら、一からやり直してみてはどうかな? 人間は人生を全うしてから死なないと生まれ変わって現世に戻ってくることになる。どうせやり直すなら今からの方がいい。そう思わないか?」
男性は耳を傾けずに立ち去ろうとする少年の肩に手を乗せて語りかけた。
「何かをするのに早いも遅いもない。思い立ったときが好機だ」
頼るものがない今、この苦しみを打ち明けられる人間なら誰でも良い気がした。
少年は男性に心の内を明かした。男性はなおも笑顔で少年の話に頷いている。
その瞬間、脳が揺さぶれた。
目眩がし、意識が遠のく。視力が奪われたように、目に映るものすべてが形を失っていった。
視界が鮮明になったとき、少年は大人になっていた。精神は変わらず、身体のみが成長していた。
腕には女性を抱いていた。
ブロンドヘアで薄らと開けられた瞼から綺麗な青い瞳が覗く。ぐったりしていて、胸から血を流している。
なぜ、どうして。
「あなたとずっと一緒にいたい」
銃弾を受けて胸に開いた穴を押さえるが、出血が止まることはない。願いも虚しく、女性は上げていた手を力なく落とした。
「死ぬな!」
身体を何度も揺さぶったが、結果は変わらない。大切な人は、動かない肉塊に成り果てた。
「どうしてあなたは私を殺したの?」
頭の中で同じ言葉が繰り返される。違う、俺は君を救いたかった。
それも言い訳でしかない。自らが一番よくわかっている。
「あなたを許さない」
圭は飛び起きた。
昨夜部屋についてからソファの上で眠ってしまったようだ。リビングは春の早朝で肌寒いが、全身にぐっしょりと汗をかいていた。
この夢を見たのは何度目だろうか。
やはりクロエは俺を憎んでいるのだろう。いくら考えても答えは変わらない。憎まないわけがない。俺が殺したのだ。
この記憶を何度繰り返さなければならないのだろう。一生後悔して生きていけとクロエが見せているのかもしれない。
汗を流すためにシャワーを浴びた。
お湯の温度をいつもより高く設定した。
なぜか暑いお湯で汗を流せば嫌なことも流れてしまうように思えた。
アメリカで長年生活していた圭にとって湯船に浸かるという習慣はもうなかった。
短時間でシャワーを済ませると、部屋着に着替えてリビングに戻る。
空腹ではあるが昨夜帰宅してすぐに寝入ってしまったため、部屋には何も食料がなかった。
圭はベランダに出て東京の景色を眺めるが、ニューヨークと何も変わらない。ただビルが乱立し、人が行き交っているだけだ。
昨日から機内食しか食べていない圭の空腹は限界に達していた。
食料を調達するため、上着を一枚羽織って財布だけを持って圭は部屋を出た。
このあたりに店はあるのだろうか。何気ない考えが辛い過去を隅に押し除けていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます