3 - 帰国
あれから十年が経つ。
失望の果てに日本を離れ、ひさびさに帰国した日本にはまったくの感動がない。
それはただ、気持ちの問題なのかもしれない。
この国に居場所を見出せなかった自らを無能な人間だと何度責めたことだろう。
午後七時。巨大なガラス窓の外はすでに暗く、滑走路の誘導灯が煌々と輝いている。
当然のことであるが、周りの人々は日本語で会話をしている。
一〇年間アメリカにいた圭にとっては新鮮であった。二度とこの場所に戻ってくることはないと思っていた。
ニューヨークで刑事をしていた圭に辞令が出たのは一週間前だった。
東京の警視庁で新設される部署に配属されるらしい。裏の事情はわからないが、日本の警察とニューヨーク市警がつながっていることが驚きだった。
このような形でアメリカを離れ、過去から逃げることになってしまった。
きっと彼らは怒っているだろう。すでに愛想を尽かされて、俺がどこで何をしているかなど興味もないかもしれない。
指定の住所に向かうために、圭はタクシー乗り場の列に並んだ。
スーツ姿のビジネスマンが出張から帰ったのか、大きなスーツケースを持って列を作っている。
しかし、タクシーは次々と出発していくため、圭の順番が来るまで長く時間はかからなかった。
圭の前に黒いセダンが止まった。扉が自動で開くと、運転手がスーツケースをトランクに入れようと車から降りてきた。
圭はスーツケースを運転手に渡す。
後部座席に乗り込むと、運転手に行先の住所を伝えて目を閉じた。外の景色は見たくなかった。現実を受け入れることが怖かった。
「あなたとずっと一緒にいたい」
脳内で再生されたこの声を一度も忘れたことはない。
俺の人生は二度終わりを告げられた。勝手に日本に帰ってきたことをあのふたりはどう思うだろうか。
いや、俺がどうしているかなど知る由もないだろう。若干二十二歳にしては、多くのものを失った。
二年前のあの日、黙って家を飛び出してから一度も顔を合わせることはなかった。俺の使命は憎むべきあいつを見つけて復讐を果たすことだ。それまではあのふたりに顔向けなどできようはずがない。
「待っていてくれ」
「何か仰いましたか?」
無意識に出た言葉が運転手の耳に届いたようだ。
「いや、何でもない」
圭はふと窓から外を見た。見たくない光景であったが、あの頃見ていた景色と変わっている点は見つからない。
それはおそらく日本にいた頃の記憶が曖昧になっているからだろう。
タクシーは夜の喧騒を抜け、指定の住所の前で止まった。運転手に言われた金額より多く渡し、お釣りは受け取らずに車を降りた。
運転手はトランクを開けて圭にスーツケースを渡した。圭はそれを引いて管理人室を尋ねる。
ここが今日から圭の住処になるマンションだ。
「最上だが」
管理人を見つけ、声をかけた。
「最上さんですね。お持ちしていました。どうぞ」
話はすでに管理人に伝わっていたようで、苗字を伝えるだけで鍵を受け取ることができた。
部屋番号は七一八。エレベーターに乗って七階のボタンを押した。
部屋番号を確認しながら歩いていると、件の部屋を発見した。
鍵を回して部屋に入ると随分久しく玄関で靴を脱いだ。思っていたより自然に靴を脱いだことで、やはり自らが日本人であることを自覚する。
廊下を歩いて扉を開けると、二〇帖ほどのリビングを見渡した。
すでに家具は揃っているようだ。ネイビーで統一されたダブルベッド、ガラスのテーブルを三方から囲むようにブラウンのソファが配置されている。
壁際には五〇型はあるテレビがあった。キッチンには新品の冷蔵庫、電子レンジ、ダイニングには机と四つの椅子が並んでいた。ひとりで住むには贅沢すぎる部屋と設備だ。
圭はテレビの電源を入れ、ソファに腰かけた。
バラエティ番組が放送されている。五人組のアイドルグループがゲストと様々なゲームで対戦する内容のものであった。誰が誰なのか、まったくわからない。
興味のないテレビ番組は睡魔となり圭を襲う。
時差のためもあり、飛行機で長時間座っていた疲れもある。機内の座席に比べると、ソファは寝心地が良い。
そのまま眠りに落ちた圭が目覚めるのは、翌朝のことであった。
疲れ果てても眠ることができなかったが、久しぶりに身体が悲鳴をあげている。
少しだけ休ませてやろう。
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