第75話 不思議の国のQ
※ここからしばらくQ視点で物語は進行します。
本を読むなんて本当に久しぶりだった。
百合ちゃんは私が読む本を夢中になって聞いてくれた。
大学で専攻した保育の科目がちょっとは役にたったかな。
それにしてもあいつのお父さんにもらった本は不思議なものだった。
見る者、読む者を虜にする奇妙な魅力があった。
装丁もとても美しく、手触りがとても気持ちいい。
挿し絵も魅力的でずっと見ていたくなる。
ちょうど私たちが読んでいるところはハートの女王がフラミンゴでゴルフをしているシーンだった。
フラミンゴかわいそうだね。
そして一番魅力的なのはその本に刻まれている文字だった。
一文字、一文字、恐らく手書きであろうと思われるその文字は文字なのに絵画的な美しさがあった。
あいつのお父さんが言っていたけど、この本をつくった人は魔法使いに対抗するためにこの本を書いたといっていた。
あいつのお父さんは自分のことを魔法使いだという変な人だったけど、その瞳に不思議な力を持っているのもたしかだった。
それにお母さんは強くて綺麗だし、ちょっと憧れちゃうね。
その本を読んでいると時間がたつのを忘れさせてくれた。
壁の時計は夜八時を指していた。
この本を読んでいると時間がたつのを忘れさせてくれた。
こんなゾンビだらけの世界になったのにこの本を読んでいる間だけはその恐怖を考えずにすんだ。
百合ちゃんもそうみたいで私の話す言葉を夢中になって聞いてくれていた。
でもそんな少しだけ幸福な時間もすぐに打ち破られた。
「大変、大変よ!!」
美咲が慌てて、私たちの部屋に入ってきた。
「どうしたのよ、そんなに慌てちゃって」
と私は訊いた。
「いいから着いてきてよ」
そう言うなり、美咲は強引に私の腕をひっぱり違う部屋の窓際につれていった。
ひび割れた窓ガラスのかなりむこうになにか巨大なものが蠢いていた。
「ねえ、あれ見てよ」
美咲はその蠢いているものを指差した。
「痛い……苦しい……助けて……食べたい……」
男とも女ともつかない、その二つが組合わさったような奇妙な声だった。
夜の闇の中、その巨大な生物は私たちのいるビルに少しづつ近づいて来ている。
「やばいよ、あいつだんだんこっちに向かってくる」
あわあわと慌てふためきながら、美咲は言った。
私もその不気味なものを見て慌てたかったが、美咲が動揺しまくっているので私はかえって冷静でいられた。
私たちのいるビルを目指してやってくるそいつはかなりのでかさであった。
恐らく五メートル近くあるだろう。
その頭と思われる部分は近くの建物の屋根よりも高かった。
不気味すぎる唸り声をあげながら、ゆっくりではあるが、確実に私たちがいるこの雑居ビルに近づいてきている。
私は窓ごしにそいつをよく見た。
どうやらサキュバスになって体を強化された私は暗い夜でもけっこう見えるようになっていた。
私はその蠢くものを見て、おもわず口を手で塞いでしまった。
その者は複数の人間が複雑に組あわさって巨大な人になっていた。
そうゾンビでできた巨人だ。
肩や腹、膝にまだ人間の顔が残っていて、そのそれぞれの口から苦しいだの食べたいだの悲痛な言葉を叫んでいた。
「食いたい……食いたい……食いたい……」
そのゾンビの巨人はそう言いながら、私たちのいる雑居ビルめがけて歩みをすすめる。
その動きはきわめて緩慢であったが、ここまでやってくるのは時間の問題だった。
「おいおいなんだよ、あれは……」
額の汗をぬぐいながら、安藤さんが言った。
警官らしいたくましい横顔に不安の影がよぎる。
犯罪者相手になら一歩もひかないであろう安藤さんではあるが、さすがに相手が悪すぎる。
「たぶん、ゾンビの巨人みたい」
私は見たままのことを言った。
そうすることしかできない。
これはあいつの力が必要だ。
私はあいつがいるセイレーンの部屋に向かって走り出した。
走っている途中、拳銃の音がして、私の心に嫌な予感が走り抜けた。
無事でいてよ。
私は祈った。
神様なんていないだろうこの世界で私は祈った。
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