第73話 命がけの救出

 僕は手の中の血だらけのメダルを見つめた。

 それは赤い鮮血で濡れていた。

 僕は嘆きの壁を越えるのに必要なメダルを図らずも手に入れてしまった。


 僕はかがみこみ、自身の心臓を握りながら仰向けに倒れるセイレーンに近寄った。

 その心臓はまだ脈打っていた。


 しかし、本当に体が重いな。

 これほどの疲労は今まで感じたことがない。

 一歩足を踏み出すのも一苦労だ。

 気を抜くと倒れて、眠ってしまいそうだ。

 睡眠欲が半端ない。


 僕は未だに血を流す心臓に手をあてた。


 ダメよ、月彦。

 あなたがいましようとすることは、あなたの命に関わることだわ。

 私はなによりもあなたの命を優先するようにプログラムされているの。

 だからね、やめてちょうだい。

 とても危険だわ。

 月読姫が必死に止めようとする。


 ごめんよ、でもやらなくてはいけないんだ。

 せっかく助けた命なのにこのままでは失われてしまう。

 僕はこの人を助けたいんだ。

 それにそれができるのは僕だけなんだ。


 僕は月読姫に言った。

 そう彼女を、セイレーンを助けたい。

 一度救った命だ。

 むざむざ死なせるわけにはいかない。

 そしてセイレーンを助けることができるのは僕だけなんだ。


 僕は視界の月桂樹のアイコンをクリックした。

 手にぼんやりとした光が宿る。

 前はなんともなかったこの能力も今は発動させるだけで辛い。

 僕は肩で息をしていた。

 脂汗がが額から流れ、床に落ちた。

 僕はその手のひらの光を心臓にかざす。

 心臓はリズミカルに鼓動しだした。

 その心臓を大事に両手で持ち、セイレーンの穴の開いた左胸にそっといれる。

 乳房の傷口に光の手をあてる。

 穴の傷口はみるみる間に塞がっていく。

 傷口はゆっくりとふさがり、出血は完全に止まった。

 だが、その行為は僕の生命力をねこそぎ奪っていく。

 手足の震えが止まらず、視界が霞んでくる。

 いっそのこと眠ってしまいたかったが、僕はどうにかその欲求に耐えた。



「げほっ」

 そう息を吐き出し、セイレーンは息を吹き返した。

 ぜえぜえと荒い息を吐いている。

 その純和風の綺麗な顔で僕の顔を見ている。

 背中の羽はどこかに消えていた。

 髪だけは真っ白のままだった。


「わ、私いきているの……」

 穴の開いていた乳房に手をあて、セイレーンは言った。


 よかった。

 セイレーンは無事に生き返った。

 僕は安堵した。

 それと同時にぎりぎりのところでふみとどまっていた緊張の糸がとぎれようとしていた。

 気がつけば床に寝転がっていた。

 指一本動かすことができない。

 僕は今まさに意識を失おうしていた。


 セイレーンはそのすべすべとした手で僕の頬にふれた。

 セイレーンの手は暖かい。

 血が通っている。

 彼女は僕にゆっくりと口づけする。

 甘い唾液が口の中に流れ込んだ。

「ありがとう。あなたには二度も助けられたわね。もうこの体も命も好きにしていいわ」

 そういうとセイレーンは僕の体を抱き上げ、ベッドに寝かせた。


 もうろうとする意識の中で僕は見た。

 海老原の遺体から白い煙のようなものが立ち上った。

 それはあの八雲神社で見た光景と酷似していた。

 その煙はあご髭を生やした男性の姿であった。

「そなたの行い、我を解き放つ条件を満たすものだ。心より感謝する。これより汝に我が加護を与えよう。我が名はヒルコなり……」

 その煙はそう言うと何処ともなく消えていった。


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