第68話 救う手だて

 僕はセイレーンの自室に案内された。

 車イスを押していた美咲は部屋を出た。

 ベッドとサイドテーブルだけの質素な部屋だった。

 Qは百合の相手を別の部屋でしている。

 どうやら父さんから貰った不思議の国のアリスを読んであげるようだ。

 文字通り僕たちは二人っきりになった。



「ここにいる人たちをゾンビにならないように治癒したら、こんな体になってしまったの。でもね、後悔はしていないわ。私がやりたくてやったことだから。でも私が死んだら、あの人たちがどうなるのか……」

 セイレーンは言った。

「それってあなたの本心ですか?」

 僕は訊いた。

 どうも本心とは思えないな。

 僕の言葉を聞き、セイレーンはうつむいた。

「そうね、本当は死にたくないわ。あの人たちを助けずに自分だけが生き残ったほうがよかったと思うときがあるわ。私にこの力をくれた人もいっていたわ。私の力はアンデッドを治す力はあるけど、その毒素が体にはねかえってくるって。だからあんまり使わないほうがいいっていってたわ。自分だけがいいって思ったらいけないって考えてたけど、やっぱり死にたくないわね」

 ふっとセイレーンは自嘲気味に言った。

「そんな風に思っちゃ駄目なのにね」

 とセイレーンは付け足した。

「そんなことないですよ。皆、自分がかわいいものんですよ。それが普通だと思います」

 僕は言った。


 そうだ、誰だって自分がかわいいものだ。

 自分さえよかったらと思うのは当然で、だからこそセイレーンの自己を犠牲にした行動は尊いと思えた。

 僕にはできないな。

 だから、葛藤のようなものは当然だ。


 この人を治せるかな。

 僕は月読姫に訊いた。

 

 治すことはできるわ。

 でもねアンデッドの毒がかなりまわっているから月彦の生命力をかなり使うことになるわ。

 月彦の体に貯まった賢者の石を体内で万能の霊薬エリクサーに変えて、それをセイレーンの体に流し込めば治療は可能ね。

 しかしこれだけ毒に犯された体をもとにもどすには結構な量のエリクサーが必要なのよね。体内でエリクサーに錬成するのに体力が必要ってわけなの。

 やり方は牛乳娘を治した方法と同じでいいわ。

 月彦の体液にはエリクサーが混じっているから、それをセイレーンの体に注入すればいいわ。

 エリクサーに錬成するのは私がやるから、月彦はセイレーンに体液を注ぎ込むことに集中すればいいわ。

 月読姫はそう説明した。


 よし、だいたいわかった。

 セイレーンには悪いが、方法がこれしかない以上、僕はそうする。

 彼女を救うためだ。

 目の前にいる人を救えるのに下手な倫理観なんて無用の長物だ。


 僕は車イスに座るセイレーンをベッドにはこんだ。

 思ったよりも軽い。

 こんなになるまで彼女はゾンビの毒をひきうけたということだ。


「あなたを治せるかも知れません。でも僕がこれからすることをすべて許してくれるならですが」

 僕は訊いた。


「わかかったわ。私やっぱり生きたい。まだ死にたくない」

 それは切実な願いだった。

 人間の本能がそう言わせているのかもしれない。


 僕は頷いた。


 ベッドの横たわるセイレーンの紫色の唇に僕は自分の唇を重ねた。

 びりびりとした鈍い痛みが僕の唇に走る。

 それは彼女を犯している毒からもたされるものだ。

 僕はその痛みを月桂樹の能力で癒しながら、唾液をセイレーンの口に流し込んだ。

 月読姫の話ではこの唾液にも万能の霊薬エリクサーが混じっているはずだ。


 ごくりとセイレーンは僕の唾液を飲み込んだ。


 唾液を飲み込んだ直後、セイレーンの唇は桃色になり、頬からは膿を吐いていた傷が消えていく。

 紫色の顔が白みを取り戻していく。

 セイレーンは僕の口に自分の舌をねじ込み、からめ、唾液を貪り飲んだ。

 僕はその動きに答え、出せるかぎりの唾液を注ぎこんだ。


 僕の唾液を飲むごとにセイレーンの顔から腫れと傷が消えていき、白い肌の美しい顔が現れた。

 この人はもとはこんなにも美しい顔をしていたのか。

 長い睫と切れ長の瞳が印象的な純和風の美人であった。


「すごい、痛みが引いていくわ」

 セイレーンは笑顔を浮かべ、そう言った。



 

 

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