5-2.謁見

 「陛下、私はまだ彼を完全に信用するには早いのではないかと思います」


 そう言ったのはエンドリア王の左に控えていた肌の黒い痩身そうしんの男だった。身長も低く指も細い。一目見て小鬼ゴブリン族だとわかった。しかし小鬼ゴブリン族特有の虚弱だと思ってしまう程の小柄さからただ一つその種族に当てはまらないものがあった。それは瞳だった。彼の瞳の鋭さは獲物を追い詰める鷲の様な狡猾さを感じる。文官の長である彼は王と放浪者アリガレストの真ん中のあたりまで歩み出ると言った。


 「お初お目にかかります放浪者アリガレスト殿。私は文官の長を務めているルコエルフ・インレアナと申します」

 「初めまして」

 「いや実に素晴らしい演説でした。きっと原稿も用意されていないのでしょう? 古来より呪術に長けた者は喋りが巧いのが相場ですからな」


 挑発ともとれるその言葉にトーリアス達武官はムッとした。戦場を仕事場とする彼らのほとんどは放浪者アリガレストの歯に衣着せぬ言い方を気に入っていたし、先ほどの彼の堂々とした気骨を称賛していたからだ。


 「陛下、我々は目下魔王どもとの戦時中にあります。私としても助力を得られるのなら有難いことです。彼が信用できるのなら」

 「余は信用できると感じたが?」

 「しかし、巫女殿も言ったように放浪者アリガレスト殿が本来の儀式とは違うことが起きています。この例外をどう処理するか我々は慎重にならなくては。なにせ巫女殿自身が召喚した者かどうかわからないと言っている。先ほどの彼が申されたように放浪者アリガレスト殿は呪術に精通しているとか。何者かが本来の勇者になりすましている可能性だってある」


 先ほどまで放浪者アリガレストのことを信用しようとしていた者の中にもその言葉に賛同する声があった。確かに放浪者アリガレストがラーナスールで活躍していたとは言っても、誰も彼がこの世界に来たところを目撃した者はいないのだ。


 「インレアナ様、いくら何でもそれはあまりに無礼ではありませぬか」


 反論したのはトーリアスだった。彼は語気を強めにして言った。


 「私は短い期間だったが放浪者アリガレストと共に過ごした。王の御前で誓える、彼は私達の助けになると」

 「騎士団長とはいえ絶対ということはありますまい。時には読みを誤ることだってあるでしょう」

 「ほう、それは私の後継者の眼が節穴だということかな? よりによって我らの王に謁見させる男を見抜けなかったと?」


 ルコエルフの言葉にさらに反論したのは一人の男だった。トーリアスに似た豹の様なしなやかな体躯、彼の父にして現在は第三騎士団の相談役をしているオリアス・レグランデだ。


 「王や国の安全の為なら疑う必要もあるでしょう。あなただってトーリアス殿から聞かれているはずだ、星に干渉する大魔法をほんのわずかな詠唱で行使したと。正直私は彼が先ほど自分のことを未熟な状態と言っていたがそれも疑わしいと考えている。なにせ我々小鬼ゴブリン族は臆病な種族ですゆえ念には念を入れなくて夜も眠れません」

 「慎重は無礼を隠すための言い訳ではないぞルコエルフ殿?」

 「無礼を恐れて慎重さを欠くのは愚か者です、私は臆病だが愚か者ではない。お忘れかな玉巵ぎょくし戴くイルホーン殿?」


 玉座の間はざわつき、ピリピリとした雰囲気が漂い始めた。

 武官達のほとんどは放浪者アリガレストのことを信じてもよいと言い、逆に元老院や文官達は放浪者アリガレストに信を置くにはまだ判断材料不足だという意見が多かった。総合的に見ると、信用できるが五割、現時点では信用できないが三割、その他が二割といったところだった。

 その後も議論は収まるどころか白熱していき、皆もと居た場所から離れ思い思いに議論をしている。もはや誰が誰に、何を言っているのかわからないほど喧々諤々けんけんがくがくとした様相になった。

 放浪者アリガレストの近くで議論を行っていた者達が頭に血が上っているのか相手に掴みかかりそうになったのを見て放浪者アリガレストがそれを制止しようと手を挙げた瞬間――。


 『……』


 まるで時間が止まったかのように全員が固まった。トーリアスもルコエルフもその時ばかりは口を固く結んで、動こうとしなかった。

 近衛騎士が動いたからだ。エンドリア王の両側にいたはずの彼ら、その内の二人がいつの間にか放浪者アリガレストに肉薄していた。その神速とも言える動きに何人が反応できただろうか。彼らは一人がその槍を放浪者アリガレストの頸に突き付け、もう一人は放浪者アリガレストの今挙げた手首をがっしりと掴んでいた。


 「ゆっくり手を下げろ」


 今近衛騎士達が仮面の下でどのような表情をしているのかわからないが、その声はこの場にいる全員の背筋が凍るほど氷の様に冷たかった。放浪者アリガレストはその言葉に従いゆっくりと手を下げた。


 「申し訳ない」

 「もし次掌を肘より上に挙げたら肩ごと斬り落とす」


 それだけ言うと、二人とも何事もなかったかのようにエンドリア王の傍に戻り、また石像のように動かなくなってしまった。 


 「皆の者! いったん落ち着こうではないか」


 緊張が走っていた玉座の間にエンドリア王はその良く通る声で言った。


 「余は放浪者アリガレストのことは信用してもよいと思っておる、なにせスール家とレグランデ家のお墨付きだからな。しかし、ルコエルフや元老院の主張ももわからないわけではない」


 エンドリア王は皆をグルリと見まわし「そこで、だ」と言った。


 「妥協点を見つけようではないか」


 結果としてエンドリア王は次のように定めた。

 ・正式な身分は与えないが“準相談役”扱いとし、その都度許可を取れば王城の図書館などには立ち入りを許す。しかし、なんの目的でどのような書物を読んだかはその都度報告すること

 ・王都では許可なし、もしくは非常事態以外にはあらゆる武器の携帯を認めず、杖と剣は一旦没収する。また、許可なしの魔法や魔術などの使用も禁ずる。

 ・ルコエルフが選んだ者を監視として付ける。


 この決定にトーリアス達は納得出来なかった。どちらかというと放浪者アリガレストのことを信用していないような規則に感じられたからだ。

 しかしエンドリア王は放浪者アリガレストがルコエルフ達に認められるほどの功績を挙げれば順次緩和していくと言うし、何より放浪者アリガレスト自身が納得したので何もそれ以上は何も言えなかった。



――――



 「すまない放浪者アリガレスト


 トーリアスは横に並んで歩いている放浪者アリガレストに謝罪した。彼らは今召使たちが住んでいる区画に向かって歩いていた。

 エンドリア王は放浪者アリガレストをこの王城に住まわせるように命じた。王はそれなりの身分扱いしようとしたが彼はそれを辞退し、ロイアスールにいた時と同じように貴賓扱いはせず一番格の低い召使と同じ待遇とし、食事などもそれに合わせるように頼んだ。

 そして今、放浪者アリガレストが滞在することになった部屋に案内としてトーリアスが付き添っているというわけである。


 「何のことだ?」

 「先ほどの謁見のことだよ、お前があれで腹を立てていないことは分かっているがそれでもあそこまで意見が分かれるとは思っていなかった。ルコエルフ殿は知恵者で忍耐力も強く、文官としては素晴らしいものだが、如何せん物事を疑ってかかる性分でな」

 「何を言ってるんだトーリアス。彼は得難い人物だぞ」


 放浪者アリガレストはいつもと変わらない穏やかな口調で言った。


 「王の言葉に考えも信念なくただ黙って従うだけが忠臣ではないことはお前だってわかっているだろう。いつにすることが必ずしも良い方向に働くとは限らないからな」

 「しかし、何もあんな言い方をしなくても……」

 「いや、逆だよ。俺の言葉を聞いてほとんどの人が信用しかけていた。だけど俺としてはそれは危険なことだと思う。

 それをあの状態まで持っていけたのは本当に彼が優秀で信念があり、国や王のことを考えているからだ。トーリアスの様な屈強な武人がいて、彼の様な賢者がいるのなら、きっと魔王にも打ち勝てるだろう。俺はそれにほんの少しだけ手助けをするだけさ。

 俺としては、図書館への出入りを許されただけで十分だ」


 そう言っている間に放浪者アリガレストが使うことになった部屋に着いた。しかし二人とも部屋に入らず顔を見合わせた。部屋の中に誰かいる気配がしたからだ。ルコエルフが監視を派遣するには早すぎる。


 「念のためだ、下がっていろ放浪者アリガレスト


 武器を持っていない放浪者アリガレストに代わりトーリアスが臨戦態勢でゆっくりと扉を開ける。召使の部屋だけあってこじんまりしており、すぐに部屋の異常の正体は分かった。ベッドの布団がこんもりとしていたのだ。規則良く上下に動いていることから誰かが寝ているに違いない。

 仕事を怠けた召使が休んでいるのだろうか? そう思ったトーリアスは叱ってやろうと勢いよく布団をめくる。


 「うーん……むにゃむにゃ……ああん……そこは駄目……じゃないです放浪者アリガレスト様……うへへへへ……」


 そこにはいったいどんな夢を見ているのあまり知りたくないが涎を垂らしながらスヤスヤと寝息を立てながら熟睡しているフーリナイアがいた。


 『……』

 「ふわぁ……あら? 放浪者アリガレスト様!」


 二人はどうすればいいのか分からず黙り込んでしまった。そうこうしている内にフーリナイアの眼が覚め、放浪者アリガレストを見て目を輝かせる。彼女はベッドから立ち上がると身なりを整え深々とお辞儀をした。


 「オホン! おかえりなさいませ御主人様!」

 「は?」


 よく見ると、今のフーリナイアは旅装束でも、貴族の令嬢の様な装いでもなかった。丈の長い上品な乳白色のスカートに紺色の服、華美にならない程度にフリルがあしらわれている。


 「この度放浪者アリガレスト様専属の侍女メイドとして配属になりましたフーリナイアですわ! おはようからおやすみまで快適な生活をお約束いたします!」

 「せ、専属って、なにを言って……」

 「それに関しては私から説明させていただきます」

 「あ、侍女メイド長!」


 あまりの展開に背後からの気配に気づかなかった二人が振り返ると一人の女性が立っていた。腰まであるくろがね色の髪を綺麗に結んでおり、彫刻のように整った顔立ちだった。フーリナイアとほぼ同じ服装だがところどころに金や銀の糸が使われており肩には一輪のアンスリウムがあしらわれていた。


 「あ、侍女メイド長! ではありません。お掃除の最中に抜け出していったいどこに行ったかと思えばこんなところで何をしているのですか? ここが放浪者アリガレスト様のお部屋だと、あなたは知らないはずでしょう?」

 「はい、知りませんでした。でもここにいれば放浪者アリガレスト様に会えるような気がしたので」

 「なんという嗅覚なのですか、間違いなくスールの女ですね。でもだからといって仕事を投げ出していいわけではないでしょう。まったく……」


 侍女長は放浪者アリガレストとトーリアスに向き直ると間然かんぜんする所がないのない完璧なお辞儀をして言った。


 「初めまして、放浪者アリガレスト様。私はこの王城の侍女メイド長を務めております。カヒリフィーンと申します。実はフェルナイア様からの紹介状でこちらのフーリナイアを昨日から侍女メイドとして修業させるようになったのです」

 「は、はあ……フーリナイア様に何かさせるということはフェルナイア様から聞いてはいましたがこのことだったのですか」


 貴族の令嬢を他家の侍女メイドとして修業させることは珍しいことではないためトーリアスは納得したようだったが放浪者アリガレストはそうはいかなかった。


 「でも専属ってどういうことですか? 私は専属の侍女メイドを就けられるような身分じゃありません」

 「しかし、フェルナイア様からの紹介状にはそう書かれておりますので」


 そういってカヒリフィーンは書状を放浪者アリガレストに手渡した。そこには何度読んでもフーリナイアを放浪者アリガレストの専属侍女メイドにするようと書かれており、そこに押印おういんされているのもスール家のもので間違いなかった。

 絶句している放浪者アリガレストにフーリナイアが嬉しそうに話しかける。


 「これからよろしくお願いいたしますね、御主人様。ご安心ください、片時も離れず尽くしますので」


 鬼の首でも取ったかのように得意顔で言うフーリナイアに今度はカヒリフィーンが待ったをかけた。


 「待ちなさいフーリナイア、あなたにはまだまだ学んでもらわなければならないことがたくさんあります。掃除洗濯料理などの基本はもちろん刺繍やお茶、華など。放浪者アリガレストの専属侍女ではありますが現時点でのあなたでは放浪者アリガレストにご奉仕している時間よりも勉強の時間の方が圧倒的に長いでしょうね」

 「え、でも私は放浪者アリガレスト様の――」

 「お黙りなさい、紹介状にはイジガルテ様からの手紙も入っていました。ご奉仕すると言っていながら台所の火おこしもできないとは呆れます。手紙にはあなたをスール家の長女として扱う必要はないと書いていましたし私も最初から甘やかすつもりはありません。

 私の下で修業を積むからにはどこに出しても通用する立派な淑女になってもらいます。一に修行二に修行、三四も修行で、五に放浪者アリガレスト様へのご奉仕くらいの割合でいきますよ」

 「ええっ?! そんなっ!」


 首根っこを鷲掴みにされ連行されるフーリナイアは、イジガルテがカヒリフィーンに変わっただけでロイアスールでよく見た光景だった。

 トーリアスは放浪者アリガレストの肩を叩きながら言った。


 「まあ……あれだ。戸締りだけはしっかりな」


 その言葉に放浪者アリガレストは絞り出すように「ああ……」と答えるのが精一杯だった。

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