4-2.彼の力

 「どうしたんだ放浪者アリガレスト!」

 「静かに!」


 トーリアスの問いを一蹴する。いつもの温恭おんきょう放浪者アリガレストからは考えられないほどの気迫だった。

 それからどのくらい時間が経ったか。十秒か十分かわからないが嫌な臭いがあたりに漂い始めた。放浪者アリガレストは静かに息をつくと「遅かったか……」とだけ呟いた。月は完全に雲に隠れ、草木が風に揺れる音も虫や鳥の鳴き声もいつの間にかなくなっていた。

 やがてハッとしたかのように魔物払いの結界を張ったトグルスが言った。


 「団長! 敵です!」

 「騎士達よ剣を抜け! フーリナイア様を中央に防御陣形を組め! 馬たちも一か所に集めろ!」


 その命令に騎士団たちは素早く応える。ナウリーズは有無を言わさずフーリナイアを陣形の中央に連れて行った。彼女はチラリとフーリナイアを見た。顔からは血の気が引き体も哀れなほど震えてはいるがその目には強い意志が残っており、声を漏らさないよう必死に手で口を押えていた。

 「大した肝だ」とナウリーズは思った。最初彼女に会った時は単に恋に恋している世間知らずのお嬢様とばかり思っていた。しかし、この一か月、特に王都に向かっている彼女は弱音こそポツポツと漏らすものの一番大事な部分。心は全く揺れていなかった。

 フーリナイアは放浪者アリガレストへの愛があるから頑張れると言っていた。そんな抽象的なものでどうにかなるものではないだろうと思っていたがここまで一途に貫けるのなら愛も立派な力だと思えた。まあそれはそれとしてもう少し落ち着いてもらいたいものではあるが。

 嫌な臭いがより一層強くなり、その元凶が顕わになる。三メートルはあろうかという巨体。形こそ人間に似ていると言えなくもないが丸太のように太い四本の腕があり不格好で大きな鉈を握りしめている。それに加えて人間の拳ほどはある大きな六個の眼球、ひび割れた黒い肌に頭髪のない頭。正確な数は分からないが少なくとも騎士団の倍はいそうだった。


 「紛い物アーグラムか!」


 トーリアスが正体を看破する。それは魔王たちが腐った土と呪われた大気で育てた魔物といわれており特に数の多い魔物である。

 騎士たちは各々魔物たちに向かって行った。魔法は使っていない。この場所はそこまで広くはない。魔法は同士討ちの可能性もあるし、なりより敵に別動隊がいた場合、魔力を使えば気付かれる危険性もあった。

 トーリアスは三体斬り倒した後、周囲を見渡した。早い段階で襲撃に気が付いていたおかげか今のところ負傷者は出ていなかった。陣形も乱れておらず敵の増援がなければひとまずは切り抜けられるだろう。彼は他の騎士の助太刀に向かった。

 そんな中、放浪者アリガレストは何をしていたか。何もしていなかった。彼は剣も抜かず、両手でしっかりと杖を持ち何かを待つかのように微動だにせず、ただ視線だけを周囲に配っていた。ただ彼に襲いかかる魔物に対しては俊敏な動きで全て杖や拳で叩き伏せていた。暫くすると彼はおもむろに自分の外套を脱ぐと魔物の一体に投げつけた。それはまるで生きて意思を持っているかのように魔物に纏わりつくとあっという間に拘束してしまった。

 そして騎士団やフーリナイアは初めて放浪者アリガレストの力を目の当たりにすることになった。彼は呪文を唱えた。誰も知らない言葉だった。だがそこに込められた意味は理解することが出来た。



  かきらし 霜降らば

  そこに咲きすさびたる 月草の

  辿るり道で 逢はむ日のため

  月影よアル=ナ 子を守るイイン・ユ トウ 母の扶けなれスイン・ユオンル・サン



 この世界にはどうしようもない力というものが存在する。

 誰に太陽を止めることが出来ようか、空が全て雲で覆われたとしてもその上に太陽は存在するのだ。

 誰に星々の運行を操れるだろうか、命は星辰せいしんの下で営むのであってその逆などありえないはずなのだ。

 しかし、それは起こった。魔物も騎士団もフーリナイアも、何が起こったのかという風に唖然とした。

 今宵は上弦の月だったはず。だというのに彼らの頭上にはあったのは満月だった。それも普通の満月ではなかった。透き通る緋色で本来の満月よりもずっと大きく見えた。まるでおとぎ話の中に出てくる浄福じょうふくの国に登る不可侵にして濃艶のうえんな月の様だった。

 そう、それこそ星に、世界に直接干渉する大魔法だった。

 次の瞬間無数の何かが正確に魔物を貫いた。何かとしか表現できなかった。弓や槍のように見えた者もいれば光り輝く“誰か”に見えた者もいたし、夜のとばりが根こそぎさらって行ってしまったように見えた者もいた。

 ただ全員が共通して思ったのは、もし敵に別動隊がいたとしてあの魔法を見てなお自分たちを襲うという選択肢を取ることはまずないということだった。そしてあとに残ったのは放浪者アリガレストに外套を投げつけられた一体だけだった。

 放浪者アリガレストはその一体に近づくと外套を剥ぎ取った。その瞬間紛い物アーグラムは彼に襲いかかった。誰もが「危ない!」と思ったが彼は片手で人間でいえば首に当たるであろう部分を掴むと紛い物アーグラムを抑え込んでしまった。

 そして次のように言った。


 「ゴグニーヒヘツエ明かせレフレ


 一声聞いただけで先ほどの呪文に使ったものとは違うと確信できる力強い言葉だった。いや、もしかしたら力しか込められていない言葉なのかもしれない。その恐ろしさといったら自分達に発せられたわけでもないのに思わず膝をついてしまいそうになるほどだった。

 放浪者アリガレストは続けて言った。


 「ゴグ仕えるアルイン魔王マアルヘツエ明かせレフレ


 しかし紛い物アーグラムはいくつかの汚い単語を発しただけで独りでに黒い炎に包まれると灰となって消滅してしまった。放浪者アリガレストはそれを見届けると落ちていた外套を拾い上げ、羽織った。

 トーリアスは屈みこんで紛い物アーグラムの灰を調べている放浪者アリガレストに訊ねた。先ほどまでの恐ろしい気迫は蠟燭ろうそくの火が消えたかの様になくなっていた。


 「放浪者アリガレスト、今のはなんなんだ?」

 「命令の言葉のことか? だいたい察しがついているだろうが命令するためだけに作られた言語だ。命令するという力のみで構成されている。意志の弱い者には効果抜群だが、逆に意志の強い者や、こいつらみたいにそもそも自分の意志の存在しないものには大して役に立たない。それに正直俺はこの言葉があまり好きじゃない。こういう状況でもなければ使いたくないね」

 「それもそうだが、聞きたいのはどちらかというと最初に使った魔法のことだ……。星に干渉する大魔法など余程の賢者でなければ使えないものだ。それをあんな短い言葉で行使できるなど考えられない」

 「あれは“魔法”だよ。それ以上でも以下でもない。もう少し詳しく話すなら、俺は火の魔法とか氷の魔法とか、そういう風に区別された魔法はあんまり使わないんだ、恥ずかしながら白状するとそんなに得意じゃないんでね。俺にとって魔法は力ではなく神秘そのものだからな」


 トーリアスはそれ以上追求しなかった。他にやることがあったからだ。襲撃を受けた地点にいつまでも居座ることは危険以外のなにものでもない。早急に移動し、安全な場所を見つける必要があった。

 しかもここは普段一般の人が使うような安全な道ではない。危険な中から少しでもマシな場所を見つけなくてはならない。なぜなら、今彼らは要人アリガレストだけではなく貴人フーリナイアも連れているのだから。

 トーリアスは騎士団に出発の準備を命じると再び放浪者アリガレストを呼び、気になっていることを話し始めた。


 「放浪者アリガレスト、王命を受けた我々が今まさに目当ての人物を王都に連れて行こうとしている最中に今回の襲撃。これは決して偶然ではないと思う。ことは俺たちの思っている以上に深刻なのではないだろうか」

 「それは俺も感じている。先ほどももし俺狙いならば何か別の攻撃があると思ったのだが襲撃はあれっきりだ。何か裏があるような気がしてならない。こうなった以上は一刻も早く王に会い、敵に関する手がかりを掴まなくては」

 「しかしそうなるとフーリナイア様は次の町で離脱してもらうしかないか」

 「うむ……」


 それを聞いていたフーリナイアは慌てて二人に寄ると懇願した。


 「お、お願いです! これ以上騎士団に迷惑はかけません! 連れて行ってくださらぬというなら嚙り付いてでもついて行きます!」


 血気迫る迫力に二人ともどうしたものかと考え込んでしまう。二人ともああは言ったものの基本的に考えはフーリナイアの父フェルナイア同じだった。すなわちどこかで別れたとして彼女がそのまま大人しくしている保証などどこにもないということだった。

 本当に噛り付いてでもついてきそうだし、結局フーリナイアが一番安全な場所は放浪者アリガレストの近くだった。


 「放浪者アリガレスト、やはりあの方法しかないのでは?」

 「いやしかし……女騎士の誰かでは駄目なのか?」

 「皆、鎧や鎖帷子を着込んでいるからなぁ」

 「はあ……わかったよ。わがままを言っている暇はなさそうだ」

 「あ、あの……なんの話を?」


 トーリアスと放浪者アリガレストはフーリナイアの問いには答えずフロイに跨るとそのまま彼女の隣に移動する。

 勝手に納得している放浪者アリガレストとトーリアスに不安げに問いかけるフーリナイア。しかし次の瞬間彼女は浮遊感を覚え、なぜか自分の視点が高くなっていることに気が付いた。

 放浪者アリガレストがフーリナイアを自分の前に乗せていたのだ。

 フロイは二人も乗せているにもかかわらず意気軒昂いきけんこうという風に前足で地面を蹴っていた。放浪者アリガレストは剣くらいしか重量物は持っていないしフーリナイアも丈夫な旅装束を身に纏っているとはいえ騎士たちのように鎧や鎖帷子を着込んでいないため軽い方なので問題なかった。


 「きゃっ!」

 「黙っていないと舌を噛みますよ」

 「え? 放浪者アリガレスト様?」

 「とりあえず王都まではこうして行きます。かなり飛ばしますので先ほども言いましたとおりなるべく口を開かないように」


 彼女の両脇を抱き込むようにして手綱を握っていた。突然の出来事にフーリナイアはついて行けず、ようやく自分が置かれている状態を把握すると顔を真っ赤にしてポツリと「あ、や、優しくお願いします……」とだけ言うと俯いて黙り込んでしまった。

 放浪者アリガレストはいつもこのくらい大人しくしてくれれば助かるのにと思いながらフロイを走らせた。

 

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