2-2.自己紹介

 まだ続きがあるようだったが放浪者アリガレストはそこで一旦歌うのを止めた。間違いなく彼を除くその場にいた全員が初めて聞いた詩だった。にも関わらず、なぜかずっと昔から知っていて望郷ぼうきょうの念に駆られるような、もっと聞いていたくなるような不思議な詩だった。

 トーリアスはしばらく考えてから言った。


 「では、フーリナイア様は? 体が弱いと聞いていましたが今はどう見ても健康そうに見えます。彼女もその方たちから学んだ知識と技術で治したということですか?」

 「いや、彼女の体が弱かったのは食わず嫌いで体力がついていなかっただけですね。身も蓋もない言い方をするならただの不摂生です。お肉食べさせて運動させたらあんな感じになっちゃったんです」

 「そんな……、初めてお会いした時は儚いながらも謹厳きんげんな性格の淑女だと思っていたのですが。白鳥が狼に変化したのかと思いましたよ。いや私もラーナスールの人間は情熱的とは知っていましたし、今の彼女は生き生きとしているので良いことではあると思うのですが……」


 放浪者アリガレスト慙愧ざんきにたえないといった風に首を振る。


 「私も驚きです。まさかあそこまで両極端に転ぶとは思いませんでした。それで、彼女は私に恩義を感じて、あー……いや……」


 放浪者アリガレストがどう言おうか迷い、トーリアスもその先の「それで彼女に惚れられたんですか?」という質問を直球で投げつけていいものかどうか分からず口ごもっていると。


 「それは私が自分で説明しますわ」


 他でもないフーリナイア自身が声を上げた。彼女は優雅に紅茶を一口飲むと話し始めた。


 「七年前の八月三十日、あれはダイヤモンドのように美しい満月が夜空に浮かんでいました。そのころ私はまだ放浪者アリガレスト様と出会う前で貧弱で日がな一日読書をしたり届かない蒼天に思いをはせていました。きっと私はこのまま一人む虚しく清夏せいかの日に海で遊ぶことも芳春ほうしゅんを讃える祝祭に参加することもなく一生を終えるのだろうと思うといっそのこと自暴自棄になって飛び出してしまおうと考えたり、でもどうせ何もなせずに家に連れ戻され迷惑をかけるだけなのだろうと諦めかけてい――」

 「ちょ、ちょっとすいません! フーリナイア様」


 今までの倍の速度で矢継ぎ早に喋りだすフーリナイアに慌ててトーリアスが口をはさむ。彼女は話の腰を折られたのが不服なのか少しばかりムッとした口調で聞き返す。


 「なんでしょうかトーリアス様」

 「その話けっこう長くなりますか?」

 「いえそんなに」

 「……ちなみにどのくらいかかります?」

 「そうですわね、前日譚・序章・本編・幕間・完結編・後日談・外伝その他諸々合わせて……手短にいたしますから、まあ三日もあれば全部話せますわ。お任せください」

 『……』


 ほんの数秒沈黙が場を支配した後――。


 「痛い痛い! 唇が取れてしまいますわ!」

 「私が何を言いたいかわからないかしら?」

 「わかりましたから離してくださいお母さま!」


 本当に千切れてしまうのではないかと思うほど唇を捻り上げられたフーリナイアに替わってイジガルテが話す。


 「要はこの子、元気になってからというもの放浪者アリガレスト殿にぞっこんなんです」

 「うーんなんて単純なうえにわかりやすい……」

 「そうなのです私は放浪者アリガレスト様に惚れました! 結婚してください!」

 「だから何度も言っていると思いますが私はすでに妻がいる身です! わー! ちょっと離れて!」


 いつの間にかイジガルテの手から逃れて放浪者アリガレストの隣に移動していたフーリナイアが彼に抱き着こうとする。その様子はまさしくスールの女。獲物に食らいつく肉食獣が如し。自分が結婚する相手はもう少しお淑やかな人がいいななどと思いながら先ほどの放浪者アリガレストの言葉思い出し思わず大声で訊ねる。


 「え? あなた既婚者なのですか?!」

 「ああ、言ってませんでしたか。ええそうですよ私には妻がいます、もちろん私の任務は危険なので故郷で待っていますが」


 トーリアスはようやく広場での問答に合点がいった。アルモライヘルは一夫一妻制ではない。もちろん平民たちは金銭や土地などの理由で結果として一夫一妻になることがほとんどだ。しかし貴族階級は跡継ぎや家同士の関係などの問題もあり一夫多妻もしく一妻多夫になることもある。

 ただ問題は放浪者アリガレストの国では一夫一妻が基本かもしれないし、そもそも彼の貞操観念がそれを認めないかもしれない。

 「現地妻! 現地妻でいいですから!」というフーリナイアを「貴族の娘が簡単にそういうこと言っちゃいけません!」と叱る放浪者アリガレスト。諦めきれないのか再び彼に抱き着こうとするとついにイジガルテの鉄拳が振り下ろされ、彼女は頭の上に星を飛ばしながらイジガルテに引きづられ居間を退出していく。

 そのやり取りを見てトーリアスは彼を悪人ではないと思った。もちろんすっかり信用してしまったわけではないが少なくとも悪い方の任務を果たす必要はなくなったと思った。彼は今までの堅苦しさを少しばかり和らげて言った。


 「あなたばかりに話をさせるわけにもいきませんね。私がここに来た理由をお話ししましょう。

 私は二つ使命を帯びて参りました。しかしこの使命は二つ同時果たすことはできません。私は実際にあなたとお会いし、言葉を交わした後にどちらの選択をするべきか決めないといけないのです。

 一つ目。あなたが甘言かんげん狂言きょうげんで市民や騎士たちを惑わし、われらの敵に与する存在であるならこれを誅せよ。

 二つ目。あなたが真の知恵者で我らの助けになる御仁ごじんであれば王都までご同行願え……いいえ、お連れせよとのことです」

 「それであなたの判断は?」

 「もちろん後者です。連れて来いと命じられていますが、出来ればあなたの合意をいただきたい」

 「どちらにしても連れていくことには変わらないのでは?」

 「それでもやはり同意をいただきたい。あなたと交わした言葉は少ないがそうする必要があると思うのだ」


 放浪者アリガレストは考え込んだ。自分がこの世界に来たのは使命を果たすため、魔王を倒すためだ。そのためにわざわざ一番魔物との戦場が近いこのラーナスールの地に降り立った。そして何度も魔物退治をしてきたからこそ、ここでラーナスールを離れることはけっして良い判断とは思えなかった。魔物たちは強く群れていることもあった。騎士団が負けるとも思えないが犠牲が出ることを避けることはできないだろう。

 ただ、他にも気になることはあった。自分も主には及ばないものの遠くを見通す魔法を使える。にもかかわらず五年間最前線といってもよいこの土地を調査したが魔王の正体を未だにつかめていなかったのだ。これはおかしい。

 以前フェルナイアに聞いた話では王都の王立図書館では世界中のあらゆる本が集められている。その中には呪いだったり、失われた言語のせいで一流の学者や魔法使いにしか読むことができないものあるらしい。もしかしたらその中に魔王の正体を突き止める手掛かりがあるかもしれない。

 ラーナスールを離れるこべきか、留まるべきか。二つに一つ。


 「行っていただけないだろうか」


 そう悩む放浪者アリガレストに言ったのは意外なことにフェルナイアだった。


 「我らのことなら気にしなくていい。そもそもこのラーナスールははるか昔から魔王の脅威にさらされてきた。それでも先祖たちは騎士と共にこの土地を、民を守り抜いてきた。私もいつまでもあなたの助けに甘えていては先祖たちに叱られてしまう」

 「フェルナイア様……」


 放浪者アリガレストは知らずのうちに彼らには自分の庇護が必要だと考えてしまっていた自分の傲慢さを恥じた。彼の心は決まった。


 「トーリアス殿、あなたに同行しよう」


 その言葉にトーリアスは明らかにホッとした様子見せて言った。


 「ありがとうございます。ではそうですな……準備もありますから月が替わると同時に、すなわち三月一日にここを発ちましょう」


 今この場にいる三人はある予感と覚悟があった。それはこれから自分達が大きな流れに身を投じるということ。そしてに対する覚悟だ。

 すなわちフェルナイアは放浪者アリガレストが居なくなることによる損失を埋めるためより一層国境に目を光らせなければならないということ。イジガルテの言っていたように自分には三百万以上の民を守る責務があるといこと。

 放浪者アリガレストは五年前見ず知らずの自分を信用し、今また信じて送り出してくれるフェルナイアからの期待を裏切らないため。

 トーリアスはフェルナイアから放浪者アリガレストを預かり王の客人として招くため。

 それぞれが自分の使命を果たそうと胸の奥で誓った。

 と、ここで終わればよかったのだが三人にはまだ話し合わないといけないことがあった。

 

 「で、どうします?」


 主語がなかったがトーリアスが何を言いたいかは二人にもわかっていた。“彼女フーリナイア”のことだ。

 「放浪者アリガレストはこれから王都に行きます。滞在期間は不明です。年単位で会えないかもしれません」などとフーリナイアに伝えたらどうなるか。そんなものは火を見るよりも明らか、論ずるまでもない。比喩でもなんでもなく噛り付いてでもついて行くと言い出すに決まっている。

 とはいえ、結局いつかは伝えなければならない。もし伝えなかったとしても放浪者アリガレストがラーナスールを去れば嫌でもその現実には向き合うことになる。


 「そのことなのだがな放浪者アリガレスト殿」


 卑怯な手段だとはわかっているがトーリアスはあえて彼女に嘘の出立日を伝えて誤魔化すしかないと考えていた。

 しかしその提案をするよりも先にフェルナイアが言った。


 「トーリアス殿にもお願いしたいのだが、あの子を一緒に連れて行ってはくれんか?」


 思いもしない提案に放浪者アリガレストとトーリアスは驚いた。


 「放浪者アリガレスト殿には感謝している。娘があそこまで元気になったのは間違いなくあなたのおかげだ」

 「いえ、そんなことは」

 「いや、あなたはそう思っていないかもしれないがあの子は間違いなくあなたに救われたのだ。ただのきっかけかもしれないがその小さなきっかけが何よりもあの子には必要だったんだ。それに私も妻も気付けなかった」


 フェルナイアの目は優しかった。誰が見てもこの人は本当に心の奥底から娘のことを愛しているのだなと確信できる目だった。今までフーリナイアは容姿も性格もイジガルテ譲りだと思っていたが、愛の深さはきっとフェルナイアからも受け継がれているのだろう。


 「王都の有力者に紹介状を書いておく。あの子にはもっと多くのことを見て学んでほしい。これは私だけではなく妻と話し合った結果なのだ」


 トーリアスは思わず感動する。放浪者アリガレストも神妙な面持ちに聞き入っている。が、彼は鋭い視線をフェルナイアに投げかけて言った。


 「それでもまだ言ってないことがありますよね?」

 「な、なんのことかな放浪者アリガレスト殿?」


 それはもう「隠し事してます」と体で言っているようなものだった。


 「私にフーリナイア様を連れて行ってほしい理由ですよ、それだけじゃないでしょう?」


 観念したようにフェルナイアは白状した。


 「正直あの子をここに置いていてもそのうち逃げ出してあなたの後を追いそうでなぁ……。それならもういっそ最初からあなたの傍にいさせた方だ問題を抑えられるだろうと……」

 「なんだか締まらない話ですなぁ……」


 トーリアスの言葉に「面目ない」と項垂れるフェルナイア。しかし放浪者アリガレストも彼の気持ちは痛い程理解できた。彼女のその追跡と隠密の能力には放浪者アリガレストも舌を巻いてしまう程だったからだ。もっとも彼女のその能力が発揮されるのは放浪者アリガレストが関係している時だけなのだが。

 ともかく放浪者アリガレストもトーリアスも正直フェルナイア以上に何か名案が浮かぶわけでもなかったので承諾する。


 「わかりました、少なくとも王都まではご一緒しましょう」


 三人は大きく溜め息をついた。彼らの脳裏には放浪者アリガレストについて行けることに狂喜乱舞するフーリナイアの姿がそれはもうはっきりを映し出されていた。

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