3-1.旅立ちに向けて

なぜこんなことになってしまったのか。トーリアスはもやのかかった思考で懸命に考えた。

 自分はアルモライヘルの騎士である。幼いころから剣術、馬術、魔術、あらゆる武芸・学問を修めた。王やこの世界に住む人々を守るために鍛錬を欠いたことはなかった。もちろん肉体だけではない、邪悪や陰謀を見破る目も鍛えてきたつもりだった。

 あの会談から三週間彼のことは注意深く観察していた。ラーナスールの騎士たちからは信頼され、町の人々からは尊敬されていた。

 ロイアスールの人々は一時的な別れと断わっているいるにもかかわらず全員が彼との別れを惜しんでいた。

 自分も彼のことは買っていたのだ。だからこそふらつく足に必死に力を入れて目の前で不敵な笑みを浮かべる男を見据える。


 「放浪者アリガレスト殿……」



――時間は朝まで遡る――



 放浪者アリガレストの旅立ちを一週間前に控えた二月二十一日、この日トーリアスは彼と共にラーナスールの有力者たちに別れの挨拶に同行していた。とはいえ挨拶をおこなっていたのはこの日だけではない。あの出発日が決まった日の翌日からほぼ毎日おこなってきた。放浪者アリガレストの交友範囲は広く上は貴族階級から下は町の外れにある農家まで様々だった。

 ついでに付け加えるとロイアスールだけではなく他の城塞都市にもおもむいておりトーリアスや彼の騎士団はこの時初めてフーリナイアの(放浪者アリガレストに対する)追跡術をたりにしたわけだがそのたくみさといったら驚きかもしくはそれを通り越して畏怖の感情を抱く者がほとんどだった。

 ようやくその日の挨拶廻りにも区切りが見えてきたこの日、放浪者アリガレストはロイアスールの西門に向かった。

 門の衛士は放浪者アリガレストを見るなり敬礼をして通してくれた。

 そこには一つ、ポツンと寂しげに角灯ランタンが掛けられていた。しかも日没までまだ時間があるというのになぜか火が灯されていた。さらにその火は品のある露草色つゆくさいろに輝いており、見ているだけで心が安らぐ不思議な光だった


 「放浪者アリガレスト殿、それは?」

 「これはメルディナという名前で、私が主から賜った装備の一つです」

 「あなたの角灯ランタンがなぜここに置いてあるのです? フェルナイア様の屋敷で見かけたことがないということはずっとここに置かれていたということですか?」

 「ええ、その通りです。この角灯ランタン硝子ガラスは海辺を吹き抜ける朔風さくふうで造られており、灯されている火には星々の輝きが閉じ込められていて、魔物を追い払う力があるのです」


 なるほど、とトーリアスは思った。放浪者アリガレスト自身はこれがなくても魔物に後れを取ることはないので西門に置いておいたのだろう。これから王都に向かう以上自分の所有物を回収するのは当然のことだ。しかし放浪者アリガレストはなぜかメルディナを取らずに難しい顔をして黙り込んでしまった。


 「どうされたのですか?」


 その問いに放浪者アリガレストは答えなかった。彼は考えていた。自分がラーナスールを離れることになった原因はアルモライヘルの王の命令によるものだ。それ自体に異議はない。だが本当にそれだけだろうか?

 なにか別の意思が働いているような気がしてならなかった。そうなら自分がラーナスールを離れることで利を得る者がいることになる。もしそうならば、それは誰か、いやはっきりと“魔王”の二文字が頭によぎる。

 悪意によって自分が動かされてしまえば、本来自分が守れたはずの存在を見捨てることにすらなるかもしれない。ならば下す決断は――。


 「これ《メルディナ》はここに置いていきましょう」

 「本当ですか!」

 

 放浪者アリガレストの出した結論に歓喜の声を上げたのはトーリアスではなく、衛士長だった。


 「これからもこのランタンを預けていただけるというのは非常にありがたいことです。しかしいいのですか? これが金貨を山のように積んでも足りないほどの宝物であることは無学な私でもわかります。それに強いものが強い装備を持った方が戦果につながると思うのですが」


 言葉には出さなかったがそれにはトーリアスも衛士長に同意見だった。放浪者アリガレストの役目が魔王を倒すことならばこの角灯ランタンは彼が所持しておくべきだと思った。しかし放浪者アリガレストは言った。


 「私の直感がメルディナは私の手ではなくここにあるべきだと言っている」


 それだけ言うと放浪者アリガレストはくるりと踵を返し、難しい顔を崩さず、何も言わずに歩き出す。衛士長が困ったようにトーリアスに話かけた。


 「私何かまずいことを言ってしまったのでしょうか?」

 「いや、あの人の考えは私にも理解できないところがある。だけれども少ない期間で理解できたこともある。たとえ自分の不利益になろうとも人を貶めるための嘘をつくような人ではないということだ。きっとメルディナがここにあった方がいいというのは彼の本心だろう」


 トーリアスはそう言って衛士長を安心させると放浪者アリガレストの後を追った。

 一緒にフェルナイアの屋敷に戻るとトーリアスは自分の騎士団に指示を出すため一旦彼らのいる宿舎に向かった。屋敷では放浪者アリガレストが旅に備えて準備を進め、自分が乗ることになる馬の世話をしていた。

 その馬はフロイという名前の雌馬ひんばだった。フェルナイアから貰った馬で、濡羽色ぬればいろの艶のある体に銀色の毛並みが一筋だけ走っている美しい騎馬だった。放浪者アリガレストによく懐いており毛の手入れを気持ちよさそうに受け入れていた。飼い葉桶の中に草を入れている最中にフェルナイアがやって来るのを見て放浪者アリガレストは手を止めた。なぜなら彼の手の上には宝石や装飾はないが美しい群青色ぐんじょういろに輝く指輪があったからだ。彼は手を差し出していった。


 「放浪者アリガレスト殿この指輪を受け取っていただけないだろうか? 何の魔力も持たないが貴重な鉱石が使われておる。もし何かのおりに金銭が必要になった際はこれを売ればよい金額になるだろう」

 「馬を頂戴するだけでも私には過ぎた報酬なのにこんな高価なものは受け取れません」


 放浪者アリガレストは断ろうとしたがフェルナイアは言った。


 「私はアルモライヘル王家に仕える身です。しかしこうも信じている。あなたは王位を継ぐことはなくとも天寵てんちょうふかき王者の身だと。あなたは決して自分を正当に評価なさらないでしょう。それこそがあなたの美徳だと思っています」


 フェルナイアも高貴な家の生まれ。力も知恵もある。だからこそ気付いているのだろう。たとえ魔王を倒しても放浪者アリガレストの旅が終わらないことを。その中で彼はろくに報酬も受け取らず、いつまでもの薄汚れた旅装束で暗い森林や恐ろしい敵に立ち向かわなくてはならないだろうと。「お願いです」と真摯な声色で重ねてフェルナイアは言った。


 「今まであなたが私たちにしてくれたように、これから私たちにあなたを助けさせてください」

 「……わかりました。では、友情の証にメルディナと交換ということで受け取りましょう」


 やがて日が沈み夜がやってきた。しかし、今夜はいつもの夜とは違う。春独特の清夜せいやに熱気が加わっていた。そう、今夜は放浪者アリガレストが王都に行くことを知った町の人々がお別れと称してお祭りも催すことにしたのだ。

 トーリアスも騎士団たちに今日は楽しんでいいことを伝えるとフェルナイアの屋敷に向かった。

 そこには放浪者アリガレストが立っていた。剣も杖も持たず、いつも着ているくたびれた旅装束でもなく、美しい外套がいとうも着ておらず、そこらへんにいる町人と変わらない簡素な服装で穏やかな表情だった。


 「トーリアス殿、一つ私と勝負しませんか?」

 「勝負ですか?」


 思いもしない提案にトーリアスは面食らった。ここしばらくの間、放浪者アリガレストに同行していたが当初想像していたよりはるかに温和で余程困ったことがない限りは力を使おうとしなかった。実際、騎士団の何人かが手合わせを申し込んだが断られたと言っていた。

 そんな放浪者アリガレストが自分から勝負に誘うなどと想像してもいなかったのだ。


 「私の力の一端をお見せしましょう」


 いまだに戸惑っているトーリアスの答えを待たず、放浪者アリガレストは祭りの広場の方に歩いて行ってしまう。

 広場は異常な熱気に包まれていた。中心には大きなやぐらが組まれていた。その上では太鼓や笛が吹き鳴らされ、男も女はきらびやかな衣装に身を包み踊ったり、飲み食いをして楽しんでいる。

 その広場には大きなテーブルが置かれておりその上には小さなグラスが数十、いやもしかしたら百個乗っているかもしれない。さらにその傍らには酒樽がいくつも置かれていた。


 「さ、酒飲み対決?!」


 グラスを手渡されながらトーリアスはフェルナイアから説明を受けた。なんでも発端は四年前まだよそ者として警戒されていた放浪者アリガレストが魔物を討伐した事だったらしい。騎士団でも手を焼くような強力な魔物を倒した褒美にフェルナイアは金貨を与えようとしたが彼はがんとして受け取らなかったという。

 しかし、放浪者アリガレストが魔物を倒したことは騎士どころか町中の人が知っているし、その偉業に対してなんの褒美も無しというわけにもいかないと言ってフェルナイアは半ば無理矢理彼に金貨を渡した。

 それから数日後、夏至を祝うお祭りで大量の酒が配られていた。なんでも放浪者アリガレストが自分の奢りだと言って酒樽をいくつも買うと、お祭りにと寄付したというのだ。その値段はフェルナイアが彼に渡した報酬とちょうど同じだった。

 その時フェルナイアは有り金を残らず酒に変えてしまうなど愚か者のすることだと憤ったが、その感情はすぐに霧散することになる。

 その理由は今トーリアスがその目でしっかりと見ていた。


 「いやー、騎士様。いつも大変でしょう魔物だけじゃなく夜盗や時には自然現象とも戦わなくてはならないなんて」

 「俺からしたら毎日毎日金の勘定したり、朝から夕方まで畑を耕すことなんて出来ねえよ」


 お互いの仕事のことを褒めあったり。


 「なあ、今度彼女に告白しようと思っているんだがなんかいい感じの宝石あったりしないか」

 「内容がふわっとしすぎですな、宝石はそれだけではただの綺麗な石です。その女性の背丈は? 髪の長さは? 瞳の色は? 性格は? そういったものを加味して初めて宝石というものは輝くのですよ」


 宝石商に恋愛相談をしている騎士がいるかと思えば。


 「そろそろ諦めたらどうだ!」

 「なんのまだまだ!」


 腕相撲に興じている者もいる。

 それはトーリアスが生涯で初めて見た貴族と市民の交流だったのかもしれない。

 皆酒を飲み、明るく笑っていた。貴族が庶民の店に行くことや庶民が貴族の屋敷に来ることもなくはない。しかしそれはほんのわずかな時間のことであるし交流などというものには程遠い。

 しかし今このこの時、この場所には男も女も、老いも若いも、身分の違いも関係なかった。


 「どうですトーリアス殿?」


 ニヤリと笑う放浪者アリガレスト。トーリアスは確信した、彼は自分をからかっているのだ。「王に仕える騎士が逃げませんよね?」と。


 「ええもちろん。受けて立ちましょう、私に勝負を挑んだこと後悔させてあげましょう」

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