2-1.自己紹介
さて、フェルナイアの屋敷に着くと最初に何が起こったか。
「あなたまで一人で屋敷を飛び出してどうするのですか!」
フェルナイアの妻イジガルテ・スールの
どうやらフーリナイアは家の者に無断で
「い、いや
「それはたまたま巡り合わせがよかっただけでしょう、私が怒っているのは全くの別問題です! スール家の当主ともあろうものが部屋着で、剣も帯びず一人で街中を徘徊しているなどと恥なのですよ! あなたの双肩には三百万以上の命がかかっているということがわかっていないのですか!」
「も、申し訳ない」
イジガルテは一目見ただけでフーリナイアの母親であるとわかる美しい珊瑚色の瞳を爛々とさせている。
「そうですわお父様! だから早く私と
「なにがだからなのですか! だいたいフーリもフーリです! あなたもスールの女ですから情熱的なのは仕方ないですし、あなたが自分の好いた殿方に求愛することに文句はありません」
「ですよね、さすがお母様わかってらっしゃる!」
「でもその前にまず最低限の慎みを持ち、最低限の家事ができるようになりなさい! 山や森で獲物が狩れるようになる前にまず市場で目利きができるようになりなさい! 外の枯れ木で焚火ができるようになる前に台所の火おこしが出来るようになりなさい! ここ何年かであなたの腕が上達したのは門兵の目を盗んで
「はい……ごめんなさい……」
トーリアスは「台所の火おこしできないのか……」と思いながら肩を
それからたっぷり小一時間父と娘を叱ったイジガルテはようやく溜飲が下がったのか二人に正装に着替えてくるように言いつけるとソファで座って待っていたトーリアスと
「お帰りなさいませ
「いえそんな、スール様には衣食住をいただいている身ですからこのくらいお気になさらずに」
「まあ! ではあの子に愛想が尽きたとか、顔も見たくないほど嫌いになられたとかではないわけですね?」
「それはもちろん」
「ふふ……では私としてはあの子の恋が成就するように祈っておりますわ」
「え、それとこれは別問題というか。出来れば彼女を止めてくれると非常に助かるのですが」
「ええ、わかっております、わかっておりますとも。しかし親としては娘と娘が惚れた殿方に余程身分に差がある、もしくは不倶戴天の敵でない限りは応援したくなりますもの。もしかして応援するのも迷惑かしら?」
「それからトーリアス殿も、来て早々お見苦しいところを見せてしまい申し訳ありません」
「いえ、家族と民を守ろうとする奥方の姿勢には感服いたします」
「ありがとうございます。それにしてもご壮健そうで何よりですわ。歳はおいくつになられたのかしら」
「今年で百二十二歳になります」
「あら、では以前お会いしてからもう七年も経ったわけですか。時が流れるのは早いものです。そろそろ良い人でも見つかりましたか?」
「いえ、まだ私自身も未熟で騎士団長の役目を果たすのに精一杯でして。妻を迎えるのはまだまだ先になるかと」
「レグランデ家の跡継ぎが何をおっしゃっているの、何なら私が仲介しましょうか。そういう伝手もいくらかありますし」
「あーその……」とトーリアスは言葉を濁しながら心の中で早くフェルナイアや
そして結婚した後はなぜか他人の結婚の世話をしたがるようになる。別にそれ自体は決して悪いことではない。悪いことではないのだがトーリアスの様な他の都市から来た者は面食らったり、何か裏があるのではないかと勘ぐってしまったりすることもある。
早い話、トーリアスはいまだにラーナスールの
十五分もすると正装に着替えたフェルナイアとフーリナイア、さらに十分ほどすると借り物と思われる使用人達と同じ服を着た
進行役としてフェルナイアが話し始める。
「さて、既に知っているだろうが改めて私からお互いのことを紹介させていただこう。トーリアス殿、こちらは
「
トーリアスも会釈を返した。
そして――。
「そして私はフーリナイア・スール! スール家の長女にして
「えへん」という言葉が聞こえてきそうなくらい堂々とした笑顔で、その豊満な胸をはってフーリナイアは宣言した。
『……』
ほんの数秒沈黙が場を支配した後――。
「痛い痛い! 耳がちぎれてしまいますわ!」
「今は大事なお話し中ってことわからないかしら?」
「わかりましたから離してくださいお母さま!」
耳を真っ赤に腫らしながら「グスン……外堀を埋められる良い機会だと思ったのに」というフーリナイアの恐ろしい呟きを聞こえなかったフリをしてトーリアスは
「まずあなたのことをもう少し詳しく知りたい
「ああすいません、私は召し上げられた時に自分の名前を主に献上しました。なので
「では、フェルナイア様は五年前にふらりと現れたとおっしゃっているがそれまではどこにおられたのだ? ラーナスールの騎士団は強い。その彼らが助けを求めるほどの
「私はこことは違う国……というより違う世界から来ました。私のいた世界では私よりもはるかに力のあるお方たちが大勢いました。まあ、その中の一人が私の主ですね。彼らは見ることも聞くことも驚くほど熟練した技を用いることができました。
ある時私は主に呼ばれ、こう告げられました。『遠い国で助けを求める声が聞こえた。来るべき時が来たのだ我が忠良よ。彼らを助けなさい』と」
「我が王家に代々仕えている巫女の一族がおります。彼女たちは脅威に対抗できる英雄を召喚することもできると言いますが、まさかあなたが?」
「それはどうでしょう、私は見ての通り立派な装いをしていませんし英雄と呼ばれるような器じゃないでしょう」
「しかし、その巫女の一族が儀式をした時とあなたの現れた五年前という時は合致しています」
「不思議な合致もあるものですねぇ」
「……」
トーリアスは
トーリアス気にしているのは別のことだ。彼が言った通り王族に仕える巫女はその力で魔王に対抗できる者を召喚することができる。もし巫女に召喚された者が
「場所や国の名を言い表すことはできません。しかし故郷を詠った
そういうと
風の音を聞こう 涼やかな至福の音
其は語れり 歓びと叡智
そこは世界から隠された
海のかおりを嗅ごう 最愛なる太陽の温もり
其は語れり 勇気と献身
そこは世界から隠された海淵よりもまだ深きにありて
大地を踏みしめ 掲げるは不滅の使命
其は語れり 審判と正義
そこは世界から隠された
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