2-1.自己紹介

 さて、フェルナイアの屋敷に着くと最初に何が起こったか。


 「あなたまで一人で屋敷を飛び出してどうするのですか!」


 フェルナイアの妻イジガルテ・スールの大音声だいおんじょうが屋敷中に響き渡った。トーリアスは思わず耳を塞ぎそうになるのを我慢しながら先ほどの広場での出来事と併せて何とか今の状況理解しようとした。

 どうやらフーリナイアは家の者に無断で放浪者アリガレストを追いかけ、彼がそれに気付き彼女を捕らえて家に連れ戻す途中だったようだ。しかしフェルナイアは娘のことが心配なのか、それとも何か別の理由なのか彼もまた家の者に何も告げずあの広場まで駆け付けたということだろう。そしていま彼は自分の妻にそのことで詰責きっせきを受けているというわけだろう。


 「い、いや警邏けいらの報告をきいていて、もう市内まで戻って来ている確信があったからで……これ以上放浪者アリガレスト殿の手を煩わせる訳にも……」

 「それはたまたま巡り合わせがよかっただけでしょう、私が怒っているのは全くの別問題です!  スール家の当主ともあろうものが部屋着で、剣も帯びず一人で街中を徘徊しているなどと恥なのですよ! あなたの双肩には三百万以上の命がかかっているということがわかっていないのですか!」

 「も、申し訳ない」


 イジガルテは一目見ただけでフーリナイアの母親であるとわかる美しい珊瑚色の瞳を爛々とさせている。


 「そうですわお父様! だから早く私と放浪者アリガレスト様の結婚を許して、一緒に彼を説得してください!」

 「なにがだからなのですか! だいたいフーリもフーリです! あなたもスールの女ですから情熱的なのは仕方ないですし、あなたが自分の好いた殿方に求愛することに文句はありません」

 「ですよね、さすがお母様わかってらっしゃる!」

 「でもその前にまず最低限の慎みを持ち、最低限の家事ができるようになりなさい! 山や森で獲物が狩れるようになる前にまず市場で目利きができるようになりなさい! 外の枯れ木で焚火ができるようになる前に台所の火おこしが出来るようになりなさい! ここ何年かであなたの腕が上達したのは門兵の目を盗んで放浪者アリガレスト殿を付け回すことだけじゃありませんか! あなたを見逃してしまった彼らが毎回どんな顔をして謝罪をしに来ているのか考えたことがあるのですか!」

 「はい……ごめんなさい……」


 トーリアスは「台所の火おこしできないのか……」と思いながら肩をすぼめながらイジガルテに怒られている親子を見る。それはまるで蛇に睨まれた蛙のようで少し哀れだった。

 それからたっぷり小一時間父と娘を叱ったイジガルテはようやく溜飲が下がったのか二人に正装に着替えてくるように言いつけるとソファで座って待っていたトーリアスと放浪者アリガレストのもとへ向かった。彼女はまず放浪者アリガレストに話しかけた。


 「お帰りなさいませ放浪者アリガレスト殿。いつもながら娘が迷惑をかけてしまって申し訳ありません。夫もみっともない姿を見せてしまったようで。なんだかんだと言ってやはり娘のことは心配なものですから」

 「いえそんな、スール様には衣食住をいただいている身ですからこのくらいお気になさらずに」

 「まあ! ではあの子に愛想が尽きたとか、顔も見たくないほど嫌いになられたとかではないわけですね?」

 「それはもちろん」

 「ふふ……では私としてはあの子の恋が成就するように祈っておりますわ」

 「え、それとこれは別問題というか。出来れば彼女を止めてくれると非常に助かるのですが」

 「ええ、わかっております、わかっておりますとも。しかし親としては娘と娘が惚れた殿方に余程身分に差がある、もしくは不倶戴天の敵でない限りは応援したくなりますもの。もしかして応援するのも迷惑かしら?」


 放浪者アリガレストは何か言おうとしたが結局何も言わず、「私も着替えてきます」とだけ言って居間を出て行った。イジガルテは次にトーリアスに話かけた。


 「それからトーリアス殿も、来て早々お見苦しいところを見せてしまい申し訳ありません」

 「いえ、家族と民を守ろうとする奥方の姿勢には感服いたします」

 「ありがとうございます。それにしてもご壮健そうで何よりですわ。歳はおいくつになられたのかしら」 

 「今年で百二十二歳になります」

 「あら、では以前お会いしてからもう七年も経ったわけですか。時が流れるのは早いものです。そろそろ良い人でも見つかりましたか?」

 「いえ、まだ私自身も未熟で騎士団長の役目を果たすのに精一杯でして。妻を迎えるのはまだまだ先になるかと」

 「レグランデ家の跡継ぎが何をおっしゃっているの、何なら私が仲介しましょうか。そういう伝手もいくらかありますし」


 「あーその……」とトーリアスは言葉を濁しながら心の中で早くフェルナイアや放浪者アリガレストが戻ってくるように祈った。ラーナスールの人間たちは男も女も恋に情熱的な傾向にあり、若いうちに結婚するものが多い。中には成人になる前、つまり四十歳未満で結婚するものもいるくらいだ。

 そして結婚した後はなぜか他人の結婚の世話をしたがるようになる。別にそれ自体は決して悪いことではない。悪いことではないのだがトーリアスの様な他の都市から来た者は面食らったり、何か裏があるのではないかと勘ぐってしまったりすることもある。

 早い話、トーリアスはいまだにラーナスールの人気じんきに慣れていなかった。

 十五分もすると正装に着替えたフェルナイアとフーリナイア、さらに十分ほどすると借り物と思われる使用人達と同じ服を着た放浪者アリガレストが戻ってきた。

 進行役としてフェルナイアが話し始める。


 「さて、既に知っているだろうが改めて私からお互いのことを紹介させていただこう。トーリアス殿、こちらは放浪者アリガレスト殿。五年ほど前ふらりとこの街に現れてな。最初の半年こそ皆よそ者と警戒していたのだが我らを助けになる知恵者であることが分かったため、私個人の頼みや他の都市の連絡役、騎士達では難しい魔物退治を依頼しておったのだ」


 放浪者アリガレストは何も言わず、軽く会釈した。フェルナイアは続けて話す。


 「放浪者アリガレスト殿、こちらはトーリアス・レグランデ様だ。エンドリア王直属の騎士団の長を務められておられる。彼の父は“玉巵ぎょくしいただくイルホーン”の異名を持つオリアス・レグランデ殿。王の第三騎士団は代々レグランデ家が隊長を受け継いでいて彼らは騎馬の扱いが特に秀でている一団なのだ」


 トーリアスも会釈を返した。

 そして――。


 「そして私はフーリナイア・スール! スール家の長女にして放浪者アリガレスト様の妻ですわ!」


 「えへん」という言葉が聞こえてきそうなくらい堂々とした笑顔で、その豊満な胸をはってフーリナイアは宣言した。


 『……』


 ほんの数秒沈黙が場を支配した後――。


 「痛い痛い! 耳がちぎれてしまいますわ!」

 「今は大事なお話し中ってことわからないかしら?」

 「わかりましたから離してくださいお母さま!」


 耳を真っ赤に腫らしながら「グスン……外堀を埋められる良い機会だと思ったのに」というフーリナイアの恐ろしい呟きを聞こえなかったフリをしてトーリアスは放浪者アリガレストに訊ねた。


 「まずあなたのことをもう少し詳しく知りたい放浪者アリガレスト殿。そもそも放浪者アリガレストと呼び続けるのは良いのでしょうか? 出来れば本当の名前を教えていただきたい」

 「ああすいません、私は召し上げられた時に自分の名前を主に献上しました。なのでみだりに自分の名を唱えることを禁じられているのです。名を名乗る場合はその世界の住人から名付けてもらわなくてはならないのです」


 放浪者アリガレストは申し訳なさそうに答え、同時に「でも私自身は放浪者アリガレストという言葉の響きは気に入っていますからそのままでいいですよ」と付け加えた。


 「では、フェルナイア様は五年前にふらりと現れたとおっしゃっているがそれまではどこにおられたのだ? ラーナスールの騎士団は強い。その彼らが助けを求めるほどのつわものなら他国の者でも我らの耳に入っていてもおかしくないというのに」

 「私はこことは違う国……というより違う世界から来ました。私のいた世界では私よりもはるかに力のあるお方たちが大勢いました。まあ、その中の一人が私の主ですね。彼らは見ることも聞くことも驚くほど熟練した技を用いることができました。

 ある時私は主に呼ばれ、こう告げられました。『遠い国で助けを求める声が聞こえた。来るべき時が来たのだ我が忠良よ。彼らを助けなさい』と」

 「我が王家に代々仕えている巫女の一族がおります。彼女たちは脅威に対抗できる英雄を召喚することもできると言いますが、まさかあなたが?」

 「それはどうでしょう、私は見ての通り立派な装いをしていませんし英雄と呼ばれるような器じゃないでしょう」

 「しかし、その巫女の一族が儀式をした時とあなたの現れた五年前という時は合致しています」

 「不思議な合致もあるものですねぇ」

 「……」


 トーリアスは放浪者アリガレストが別の世界から来たということをこの場で議論するつもりはなかった。そもそも魔王自体が別世界からの侵略者であるし別世界や異世界というものが存在するということは知っていたからだ。

 トーリアス気にしているのは別のことだ。彼が言った通り王族に仕える巫女はその力で魔王に対抗できる者を召喚することができる。もし巫女に召喚された者が放浪者アリガレストならば話は早かった。しかし放浪者アリガレストはそうではないと言う。困っている彼を見て放浪者アリガレストは言った。


 「場所や国の名を言い表すことはできません。しかし故郷を詠ったうたならありますよ、お聞かせしましょう」


 そういうと放浪者アリガレストは次のように歌った。その歌声はソプラノのように澄んでいながらも力強い響きだった。


  風の音を聞こう 涼やかな至福の音

  其は語れり 歓びと叡智

  そこは世界から隠された島嶼とうしょよりもまだ遠きにありて

  海のかおりを嗅ごう 最愛なる太陽の温もり

  其は語れり 勇気と献身

  そこは世界から隠された海淵よりもまだ深きにありて

  大地を踏みしめ 掲げるは不滅の使命

  其は語れり 審判と正義

  そこは世界から隠された山巓さんてんよりもまだ高きにありて

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