溶け出したアイス

蒼空苺

溶け出したアイス

夏は人を惑わせる。

常とは違うその雰囲気に、なぜだか人は狂わされる。


*****


夏休み直前の大学は、学生の興奮とは裏腹に、なぜかひっそりと静まりかえっていた。

大学に入ってから初めての夏休み。

どきどきしながら入学するも、すぐさま始まる勉強に追われ、やっと試験が終わり解放感が身を包んでいる。

友人たちも用事があり帰ってしまったが、一人のアパートに帰るのがどうしても寂しくて、この静まりかえった食堂にいる。


「せっかくだから、ご褒美にアイスでも食べようかな。」


帰宅前にひと休憩することにした。

大好きなカップアイス。

子どもの頃から、クッキークリームが私の定番。

少し端の方が溶けたくらいのアイスが好きだ。

そのためいつもアイスをテーブルに置いて、コーヒーを飲みながらのんびりと時が過ぎるのを待つ。


「さて。そろそろいいかな。」


スプーンを手に、いざ実食ー!


「あ。」


……あ?


口にアイスを入れる前に声を上げられ、何事かと怪訝な表情になる。

顔を上げると、思ってもみない人がそこにいて、固まってしまう。


前から気になっていたその人だ。

一つ年上の先輩。入学直後から、なぜだか目に映り、なぜだか声が耳に届いてくる、不思議な人。


目線が合う。


どくどくと嫌に胸が騒ぎだす。

なんだろう。今まで話したことなんてなかったのに。


「……どうしたんですか?」


「……いや、ごめん。一人なの?」


「えぇ。一人です。」


「うん。そっか。……アイス、おいしい?」


「まだ一口も食べてないです。」


「あ、ごめん。突然声かけて。」


「いいえ。どうかしたんですか?」


「……うん。ちょっと話がしたくて。一人でいるところに出くわすとは思ってなかったから、急に声が出ちゃったんだ。驚かせてごめんね。」


「いいえ。大丈夫です。……隣で一緒にお茶でもしますか?」


「いいの? じゃぁ……コーヒー買ってくるから、待ってて。」


「はい。」


なんだろう。何の話をするんだろうか。


「あ! アイス食べなきゃ!」


先輩が来るまでに、少しでも消費しておこうとスプーンを動かす。

冷たくて、甘い。

火照った体にちょうどいい冷たさだった。

偶然の出来事に、どうしていいのか戸惑うばかりだ。

しかし、口のなかに広がる甘みに、夏の始まりの予感がした。


*****


「改めて、自己紹介から。2年のトオルです。」


「1年のカオリです。」


「前から一緒の講義受けてたよね?」


「そうです。知ってたんですね。」


「うん。知ってる。だって、よく目合ってたでしょ?」


「……気のせいかと思ってました。」


「そう。なんだろうね。そのせいか気になってたんだ。なかなか話す機会もなかったから、さっき声かけちゃったんだ。」


「そうだったんですね。びっくりしました。」


「ごめんね。」


「いえ。大丈夫です。」


「カオリちゃんは、彼氏とかいるの?」


「……いません。今までいたことないです。」


「えっ。そうなの? こんなにかわいいのに。」


「言われたことないですね。先輩こそ、彼女さんいるんじゃないですか?」


「はは。彼女がいてこんな風に女の子に声かけるような、ナンパな奴じゃないつもりだけど。」


「そう……なんですか?」


「あー。疑ってるなー。硬派な方だと思うんだけどなぁ。」


「こうして話しかけてる時点で、それは嘘ですよね。」


「ははは。そうかも。でも、気になってたんだから、仕方がないだろう?」


「……そう、ですか。」


「うん。カオリちゃんは俺のこと気になってなかった?」


「……いいたくない。」


「ふっ。そっか。じゃぁ、いいよ。言わなくて。」


「なんか、意地の悪い返しですね。」


「そう? カオリちゃんも意地悪いんじゃない?」


「そんなことないです。」


「ん。じゃぁさ、一つ提案。」


「なんですか?」


「夏休みの間だけ、俺と甘い恋しませんか?」


「…………は?」


「格好つけて言ったのに、なんか気が抜けるなー。」


「……は?」


「だから、俺と付き合いませんか。」


「……夏休みの間だけ、というのは何ですか?」


「うん。そのまま。夏休みの間だけの恋。」


「意味が分からない。」


「試しに付き合うととらえてもいいけど、とりあえずは夏休み限定の恋がしたくて。

ちょうど気になってたカオリちゃんがいたから。」


「……夏休みが終わったら、関係も終わるんですか。」


「一応、そういうルールにしようかと。」


「……。」


なんだろう。ひと夏の恋……ねぇ。

でもそれって、最初から予告されて、こうして始めて終わるものなのだろうか。

ひと夜の過ちとかいうやつではなく……?


でも提案してきたのは、ずっと気になっていた人だ。

このまま突っぱねてしまって、自分の気持ちがあっさりと終わってしまうのも、なんだか苦しい。

どうしたらいいのか、迷う。

けど、この人の手を掴みたいとも思っている。


迷うなら、進んだ方がいいのかもしれない。

たとえ期限があったとしても、その先を望めるのと、今終わるの、どっちをとるかという話になれば……今、終わらせたくはない。


「期限、延長もありえますか。」


「……それは、カオリちゃんと俺次第かな。」


「そう、ですか。……じゃぁ、お願いします。」


「……いいの? こんな提案。」


「先輩が言いだしたんでしょう? いいですよ。私は先輩と始めたいです。」


「そっか。……うん。ありがとう。よろしくね。」


「えぇ。」



こうして不思議な恋人ができた、夏の始まり。



*****



アイスを出して、ぼんやりと最近の出来事を思い返す。

そろそろ夏休みも終わる。

そう。この恋の終わりが来る。


彼は優しかった。

初めての恋人との生活。

こんなに楽しい気持ちになれるなんて思っていなかった。

けど、やっぱりそんな中でも陰りはあった。

彼は元カノに振られて間が経っていなかったようだ。

彼の部屋にはその痕跡がいたるところに見受けられ、目にしていくたびに少しずつ胸が軋むような思いをした。

多くは語らない、元カノのこと。

ただその恋を忘れたくて、私との恋を提案したんだろうなとすぐに感づいた。

でも彼への思いは、すれ違ったり、目が合うだけだった頃とは比べ物にならないほど、募っていくばかりだった。

重ねるたび彼女のことを忘れていき、重ねるたび私への思いが募っていってくれれればいいのに。


そんなことをぼんやりと考えていたら、机の上のアイスクリームはほとんど溶けていた。

カップの中は、ドロドロとした液体の中に黒い粒が浮かぶ。

ひと口食べてみるが、溶けすぎたアイスはただまずいだけだった。

静かに終わる夏の日。

私はそれを流しに捨てた。



*****


身をすくませるような、冬の冷たい風が吹きつける。

夏の思い出はひどく昔のことのように、過去にすり替わっていく。

薄情なのは女の方で、男の人はいつでも過去を忘れられないのかもしれない。

だから、ああして彼は私をひと夏だけでも求めてしまったのだろう。

だけど私のことも忘れないでいてくれたらいいのにと、未練がましくも考えてしまうのほどに、とても幸せな、そして悲しい恋だった。

もうすぐ冬休み。

またあわただしかった校内が、休みを前に静まり返っている。

私はアイスをテーブルに置き、一息つく。


「あ。」


デジャブ感を味わう。

過去を思い返していたから、なんだか空耳が聞こえたのかもしれない。

しかし、気になって顔を上げる。


「……あ。」


その人がそこにいた。

眉を下げ、情けない顔をしてこちらを見ながら立ち尽くしている。

いつかの光景。でもあの時とは違う関係。


「カオリ。」


「うん。」


「元気?」


「もちろん。」


「……いま、いい?」


「ダメって言ったら?」


「ごめん。お願いがあるんだけど。」


「いやよ。聞きたくない。」


「お願い。……やっぱり、忘れられないんだ。」


「元カノが?」


「君が。」


「……忘れられても困るけど。」


「はは。そうだね。……うん。俺と付き合ってくれないか。」


「……夏は終わったよ?」



狂わす夏は過ぎ去って、人肌恋しい冬が訪れる。

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