第12話 獅子狼 再起を期し始動する
数日後、突然、獅子狼のスマホにショートメールが入った。
誰だろうと思いながら開くと「ご無沙汰しています。アツミです」と書いてあった。
続けて、 ATUで始まるアドレスが書いてあり、私のアドレスは変わっていません。と結ばれていた。
巨大軍に入団当初は毎日のようにメールを交換していたのが成人し遊びを覚えて行く過程の中で、何度かメールをもらいながら、無視することが多くなって行った。
あげくはスマホをか買い換えてからは完全に音信不通になっていたアッちゃんからのメール。
懐かしい思いとともに、曲がりなりにも自分がプロ野球選手になれて、短かったけど1軍で結果を残せたのはすべてアッちゃんのメールでの励ましがあったからだった。
それを思い出すと、獅子狼の目から自然と涙が零れてきた。
その日から二人のメールのやりとりが再開された。
アッちゃんは獅子狼に「もう一度プロのマウンドで活躍する姿を見たいです」と書いてきた。
「もう年齢的に無理だよ。球団もそう判断したから戦力外を通告したんだし……」と返した。
「でも、体はどこも悪くないんでしょう」と返信が来た。
それはそうである。肩も肘もどこも悪くはなかった。
どう返すか思案していると、またメールが来た。
今度のメールには映像と画像が添付されていた。
映像は入団1年目と最後に1軍で登板して打たれた時の映像だった。
画像は、映像を投球動作をポイント、ポイントで切り取ったものだった。
「どこが違うんですか? 素人だから違いがわからないんですが」と文章が付いていた。
獅子狼はアッちゃんからの映像と画像を繰り返し見比べた。
そして、その違いに気付いた。
練習不足で下半身が弱くなり、それが投球フォーム全体を微妙に小さくしていたのだった。
素人だから、とアッちゃんは書いてきたが、高校時代から的確な技術的アドバイスを送ってくれていたアッちゃんのことだから、この映像と画像のこともちゃんと気付いていたに違いない。
それは人に言われてもダメで、自分で気付くことに意味があると、あえてわからない、と書いたのだと獅子狼は確信していた。
獅子狼は、自分が気付いた悪くなったポイントをこと細かにアッちゃんに書いて送った。
するとアッちゃんは
「私からのメールをシカとしたことを反省していますか」
と突然、話題を変えて送ってきた。
「反省しています」
と獅子狼は即答した。
それは今の偽らざる気持ちであったからだった。
「それじゃ、私からの罰を、受け入れますか」と来た。
「罰? 罰って何ですか」と返す。
「私が出す課題に対してレポートを提出することです」と来た。
どういうことだろう、と返信に躊躇していると
「罰を受けますか、受けませんか……。もう私なんかとメールのやりとりは面倒ですよね」
と送られて来た。
何もかも失った獅子狼にとって青春時代の楽しかった思い出であるアッちゃんとのメール再開は失いたくない大事なものだった。
意を決して「罰を受けます」と返した。
すると
「第1課題-なぜ、甲子園で強豪校を完封できたか」、提出期限、来週の土曜日午後8時まで」
と来た。
その日から、毎週1問アッちゃんから課題が送られて来て獅子狼は真剣にそれに対するレポートを送り続けた。
なぜ、高卒ルーキーで1年目から活躍できたか。
なぜ、2年目から成績が落ちてきたのか。
なぜ、戦力外通告をされたのか。
触れられたくないこと、自分があえて目を閉ざし考えないようにしていたことをズバッとアッちゃんは突いてきた。
初めは、かなり抵抗があったが、アッちゃんと繋がっているということが今の獅子狼にとって生きがいであった。
だから獅子狼はこれに応じることとしアッちゃんの指示に従ってアルバイトの傍ら、自分のこれまでを振り返り考察して、それをアッちゃんに送るのだった。
数週間後、アッちゃんから貴方のこれからの人生設計について、というメールが来た。
この先、どう生きていけば幸せな人生が送れるかレポートを出せというのである。
それは、ここ数日考えないでもなかったからすぐに返事が打てた。
「もう一度プロのマウンドに立ちたい」
と。すると、すぐにアッちゃんから
「カムバックできない、理由を挙げろ」と言ってきた。1日考えて、と追記されていた。
獅子狼はアッちゃんの指示に従い、カムバックできない理由を考えてみた。
すると、自分にはカムバックできない理由がないことに気付いたのであった。
勝てなくなったのは、練習に打ち込む心構えがなってなかっただけで、体も悪いところはないし、年齢的な落ち込みが始まったわけでもない。
必死に練習しないから成績が落ちる。
成績を上げられないから心が荒んで練習に身が入らなく、人の助言にも抗ってばかりいた。
大した実績も残していないのに大投手気取りで自滅した。
それが俺のプロ野球人生だった、と初めて自分を見つめ直すことで気付くのだった。
また、メールが来た。
「貴方がプロのマウンドで投げるのをもう一度見たい」
そのアッちゃんからのメールを見たときに、また獅子狼は涙を流し
「約束する。必ずカムバックするので、その試合を見に来てください」
と返信したのだった。
獅子狼の心に消えていた野球に対する情熱の火が点った瞬間だった。
翌日、獅子狼のアパートに分厚い封筒が送られてきた。
「何だろう」と思いながら封を開けてみると詳細、綿密なトレーニング計画であった。
初めて聞くスポーツジムの名前であった。
ネットで調べたところ、最近、急成長している新進気鋭の中堅スポーツジムと出ていた。
翌日、獅子狼はアポを取って、そのジムに行ってみた。
ジムの責任者という中年の男性と、郵送されてきたトレーニングメニューを考えたという獅子狼と同じ年頃の女性トレーナーが応対した。
まず、獅子狼が計画書が送られてきて以来疑問に思っていた
「何で、これを私に送って来られたんですか?」
ということを聞いた。
「ある方から、元プロ野球選手がカムバックを決意しているのでサポートしてくれないか、というお話をいただきました」
と責任者が言った。
「ある方? ある方って、誰ですか……」
「名前は私どもも教えてもらっておりません。ただ、弊社にもメリットがある企画なので一口のらないかというご申し出でして部内
で検討した結果、勝算はあるし、やってみる価値はあると判断し計画書を送らせていただいた次第です」
と責任者は言った。
責任者が言っていることをすべて鵜呑みにすることは出来なかったが、カムバックを決意はしたものの、独力で果たせるほどプロの世界は甘いものではないことから、とにかく降って湧いてきたこのジムのサポートを受けたいと獅子狼は思った。
そこに「トレーニングメニューはご覧いただけましたか」
と女性トレーナーが言った。
「はい、拝見しました」
獅子狼が応えた。
「内容は、いかがでしたか」
責任者が尋ねた。
「すごく、よく考えて頂いており、ぜひ取り組んでみたい、と思ってはいるのですが……」
と煮え切らないような感じで獅子狼が言った。
「何か、ご不満でも」責任者が言った。
「この内容で、長期間ということになると思うのですが……。あのぅ……」
「料金のことですか」
責任者は獅子狼の歯切れの悪さを代弁した。
「はい。恥ずかしながら」
獅子狼は頭を掻いた。
「そうですね。特別メニューですし、それなりの料金は頂きたいところです」
「そうですよねぇ」と獅子狼が言うと
「あのぅ、これはご提案ですが……」と責任者が切り出した。
「あっ、はい」
提案という言葉に獅子狼が反応した。
「獅子狼選手のトレーニングの様子を撮影させていただけないでしょうか」
「撮影ですか…?」
「はい」
「別にかまいませんが……」
「私どもはジムの総力を挙げて獅子狼選手の復活に向けてのトレーニングを支援します。
その結果、獅子狼選手が復活した際には、その撮影した映像を我がジムの宣伝で使わせていただきたいのです」
と責任者が力説した。
「そんなことでいいのだったら私は一向にかまいません。逆に私なんかでいいんでしょうか」
獅子狼は戸惑いを口にした。
「ぜひ、一緒に復活に向けて頑張りましょう。お互いの利益のために」
と言って責任者が獅子狼の手を握ってきた。
「いえ、こちらこそお願いします」と言って獅子狼も責任者の手を握り返した。
握った手を離しながら「あのう、甘えついでで、もう一つお願いがあるんですが……」と獅子狼が言った。
「はい、何でしょうか」
責任者は獅子狼が何を言い出すのかと怪訝な顔をした。
「トレーニングの時間以外、ここで働かせていただけないでしょうか。雑用でも何でもします」
と獅子狼は力強く言った。
「あ、あぁ。いいですよ。うちは……」と責任者は応え、獅子狼は、そのジムで働く事になった。
昼間は、ジムでトレーニングをして夕方からはジムのトレーナー見習い兼雑用として働くという好条件であった。
その夜、獅子狼はアッちゃんにジムでトレーニングを始めたことと働かせてもらえることになったことをメールした。
アッちゃんも喜んでくれるだろうと思って返信を待ったが中々返信はなかった。
獅子狼は『そういえばアッちゃんって、すぐメールを返してくれるときと、何時間もメールをくれないときがあるな。
仕事かな。そういえばアッちゃんって仕事なにしてんだろう』
と思うのだった。
『アッちゃんとは、高校生のときからメル友としてメール交換をしてきた。同級生って言っていたのでアッちゃんも25歳になるはずだし、当然仕事をしているはずだよな』
とメールを待ちわびながら、アッちゃんのことを考えていた。
中々、返信が来ないので獅子狼は、もう一人にメールしようと思い立った。
スマホの待ち受け画面は先日、五月がツーショットを撮ってくれた日から、そのツーショット写真にしていた。
スマホの電話帳の「さ行」を開いて下に降りていった。
桜澤五月の名前が出てくると獅子狼はそこを押した。
ショートメールを開いて
「まだ、暗中模索ですが前に向かって一歩踏み出すことになりました。結果はどうなるかはわかりませんが全力で頑張ります。いつか貴女のスポーツ番組に出られたなら、と夢のようなことを考えています」
と打った。
幼なじみとはいえ有名人となった同級生につきまといたくはないが、新たな第一歩を踏み出した記念日に1回だけと思って勇気を出して獅子狼は送信ボタンを押した。
アッちゃんから返信があったのは2時間後だった。
「巨大軍エースの復活への第一歩、復活への道記念日ですね」
と絵文字付きでメールが来た。
戦力外を宣告されてから俯いたままの生活が続いていたが、これで前を向いて歩けるような気がしていた。
これもすべてアッちゃんのお陰だと感謝の気持ちが湧き上がる獅子狼だった。
点けっぱなしのテレビではちょうど五月が進行を務める夜のスポーツ番組が始まっていた。
五月のアップが映し出されている。
『あの五月ちゃんが、こんなに綺麗になるなんてね』
と思いながら見ていると又、着信音が鳴った。
スマホを見ると五月であった。
『えっ、これって生じゃないんだ』と獅子狼はテレビを見ながら思った。
「えっ? どうしたんですか。また野球を始めるんですか? うそぅ。すごく嬉しいです。絶対に復活して私の番組に出てください。桂さんにも来てもらって北翔高校そろい踏みをしましょう」
と書かれていた。その文章を見て武者震いをする獅子狼だった。
『絶対にやってやる。絶対復活だ』
翌日も、獅子狼はジムが考えたトレーニングに汗を流した。
筋肉の各部を鍛える筋トレから持久力の強化等々、多種多様なメニューを考えてくれていた。
その中でも面白かったのはトランポリンであった。
体幹を鍛えるというのでやってみたが見た目より難しくて悪戦苦闘をした。
女性トレーナーの坂下飛鳥は各種トレーニングに精通しており肉体に加えてメンタルのトレーニングにも力を入れて指導をしてくれた。
どこから入手したのか膨大な獅子狼の過去の試合映像を持っているようで、それを数値化した資料を示して、なぜ打ち込まれたのか、なぜ討ち取れたのか、を場面場面ごとに解説をしてくれた。
成績を残せた時もただがむしゃらにキャッチャーが指示したところに投げ込んでいただけで、深く考えて野球をしたことがなかったことを改めて思い知らされるのだった。
「貴方がやっていたのはプロ野球ではありません。アマチュア野球です」と飛鳥はピシャリと言い放った。
曲がりなりに獅子狼も1軍で何勝も勝ち星を挙げた投手だったプライドがあった。
飛鳥の言葉にムッとした表情を浮かべた。
「怒りましたか。プロだったら体に悪いところもないのに6年で首になったりしませんよ。
体も頭もアマチュアだったから数年で賞味期限が切れたんですよ」
飛鳥はすれ違った男がみんな振り返るくらいの美形であったが歯に衣着せない物言いが玉に瑕であった。
獅子狼はぶち切れそうになる心をグッとかみ殺した。
言葉は悪かったが飛鳥の言っていることは事実であった。
事実である以上、見返したければ結果で示すしかない。
契約を解除されてただの野球バカになってからの辛く惨めな体験が獅子狼の心を成長させていた。
もし、現役時代にこんな気持ちを持つことができていたなら今でも1軍で投げていたのにと後悔が湧き上がってきた。
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