第11話 獅子狼 挫折する
【獅子狼 2】
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しかし獅子狼のピークは1年目であった。
それから5年が過ぎ、いつしか獅子狼の名前が報道されることはなくなった。
1年目こそ大活躍した獅子狼だったが年々勝ち星は減っていき4年目はとうとう1軍で投げることはなかった。
原因は、慢心で遊び呆けて練習に身が入らなかったことだった。
芸能人と浮名を流して、写真週刊誌にスッパ抜かれることが度重なった。
獅子狼の心の支えで、一番の理解者だったアッちゃんとのメールもプロで勝ち星を重ねていく中で返信をしないことが多くなっていき、スマホを買い換えたのを機に音信不通になった。
しかし有頂天の獅子狼はそのことを考えることはまったくなくなっていた。
6年目の秋、獅子狼は球団事務所に呼ばれて来シーズンの契約をしないことを告げられる。
予想はしていたが現実となってみてショックを受ける獅子狼。
プロ野球界から去った獅子狼は生きて行くために仕事を探さなければならなかった。
そこで獅子狼が考えたのは、知名度を活かせる仕事だった。
まず、タレントをやろうかとも考えたが人見知りであがり症の自分には無理と思いやめた。
世間知らずの獅子狼が、楽して大金が入る仕事として頭に浮かべたのが、ホストの仕事であった。
これなら学歴も資格もいらないし、何より元プロ野球選手という経歴がホスト稼業の武器になると思ったのだった。
しかし、ホストの仕事は思いのほか、厳しい世界であった。
女性にうまく接客をやれずにいた獅子狼はいつまでもヘルプから這い上がることは出来ずに毎晩のように無理矢理酒を飲んで吐くような生活をしていた。
それ以上に辛かったのが、元プロ野球選手という過去をネタに客とホストにバカにされることだった。
「こいつ、ただ少し早い球を投げられ、球転がしが上手だっただけで何千万も給料をもらっていたんだぜ」
と人が努力してきたことまでも否定されるような言葉を投げかけられて腹が立ってたまらなかったが生きて行くためにはだまって愛想笑いをするしか獅子狼に術はなかった。
愛想笑いをしながら惨めすぎる自分に心の中で涙を流すのだった。
No.1ホストは、余裕をかませており、獅子狼をいたぶるようなゲスな言動をすることははかったが、その取り巻きたちはスポットライトが当たる世界にいた獅子狼をいたぶることで日頃の憂さを晴らそうとするのだった。
二日酔いの日々が続き、獅子狼は「俺は、何をやってんだろう」と思ってホストを辞めた。
その後、いくつも仕事を変えたがどこに行っても長続きはしなかった。
そして自転車を使った宅配業の仕事にありついた。
この仕事は物を配達するだけの仕事だったのでこれまでの仕事より気楽で良かった。
元々、プロ野球選手だったので体力には自信があり性に合っている仕事と感じていた。
退団後、恥ずかしくて田舎に帰ることもできず東京に残っていろんな仕事を転々としてきたがやっと落ち着いた仕事にたどり着けたと思っていた。
そんなある日、高校時代のエースピッチャー桂太陽から電話がかかって来た。
太陽は、怪我をしたとはいえ、その年のドラフトの一番の目玉であることは変わらなかった。
しかし太陽はプロ志望届を提出しなかった。
卒業後、大学に進学した太陽はバッターに転向して大学記録を次々に塗り替え、9球団から指名される中、2年前に九州に本拠地を置くパリーグの強豪チームに入団していた。
太陽は電話に出た獅子狼に「シッシー、俺…… 結婚をすることにしたから」と言った。
「えっ? 結婚…… 誰と、俺が知っている人?」獅子狼は興味津々に尋ねた。
今や、プロ野球を代表する打者となった太陽が結婚するというのだ。
当然、相手が気になる。
でも、ここで「俺が知っている人」と思わず尋ねた自分が意外な気がしていた。
有名人となった太陽が結婚を決めた相手である芸能人やCA、アナウンサーということも考えられた。
それなのに俺はなぜか「知っている人」と聞いていた。
それは中学高校と太陽が好きだと言っていた五月の名前が脳裏を過ったからだった。
太陽が五月と同じ大学で、野球部も有名な私立の名門大学に進学したことは知っている。
そのことも引っかかっていた。
たしかに中学校時代から五月一筋であった太陽だったが、あの事故を契機に美歩の直向きな愛を肌で感じた太陽が、薄々は気付いていた美歩の気持ちを受け入れて2学期から付き合っていた。
しかしその後、高校を卒業してからの太陽については何も知らなかった。
「あぁ、お前がよく知っている人だよ」
太陽は屈託のない言葉で、そう言った。
獅子狼は「誰?」という一言を出せない自分に困惑していた。
その言葉を出したあとに出てくる知った名前で聞きたくない名前が獅子狼の脳裏にハッキリと浮かんでいたからだった。
『あれっ、何でこんなことを考えているんだろう…… ここ何年も五月ちゃんのことなんか考えたことないのに……』
と自分の心境に驚くのだった。
そんな獅子狼の思惑を見透かしたように太陽はなぜか
「安心しろ。美歩マネだよ……」と言った。
獅子狼はホッと胸をなで下ろすような気持ちを感じると同時に『安心しろ?』太陽が言った言葉が引っかかった。
しかし、その言葉を聞き流して
「太ちゃんおめでとう。二人ならお似合いだよ。本当に良かったね……」
と心からの言葉を贈った。
太陽と美歩を巡っては、あの時チームメイトを初めとして関係があった者たちに大きな衝撃を与えた事故だった。
その事故を巡って美歩が受けた嫌がらせ、それに正面から立ち向かった太陽の姿、今でも思い出すと獅子狼は胸にこみ上げて来るものがある。
二人はともにそれを乗り越え結ばれようとしている。
こんな嬉しいことはない。
親友として心から祝福したい気分だった。
「それでさ、お前、明日の夜、空いているかい。久しぶりに一緒に飯を食おうぜ」
と太陽が言った。
祝福したい気持ちはやまやまだったが、どん底を這いずり回っている境遇の獅子狼は、高校時代の旧友に会わせる顔がないという気持ちから「俺はいいよ……」と断った。
しかし太陽は
「明日7時から場所は地図をメールするから。絶対に来いよ。来なかったら友達をやめるからな……」
と言って電話を切った。
獅子狼は悩んだあげくに当日、指定された個室がある高級焼き鳥屋に行った。
店員に案内されて部屋に向かう。
店員が戸を開けると奥の席に座っている太陽と美歩が見えた。
太陽が「遅いぞ、シッシー」と毒づき美歩は「お久しぶり…」と笑顔を見せた。
手前の席を見ると、同年輩の女性が一人座っていた。
『誰だろう……』と思いながら獅子狼は、一つ空いた女性の側に座った。
その女性は腰掛けようとする獅子狼を見て
「獅子狼さん、お久しぶり。元気だった?」
と話しかけてきた。
驚いて女性をよく見るとそれは五月だった。
五月と会うのは高校時代以来だったので大人びた五月に素直に驚く獅子狼だった。
「何、獅子狼さん驚いているのよ。毎日テレビで見てるでしょうに……」と美歩が言った。
「えっ? 五月ちゃんテレビに出てるの…………」と聞いた。
「お前んち、テレビもないのかよ。五月マネは今や虹テレの看板アナウンサーだぜ」と太陽が言った。
「いやあ、最近、まったくテレビは見ていないんで……」
と、うつむき加減に獅子狼は言いながら
『あんな引っ込み思案な五月が人目にさらされるアナウンサーを志望するなんて……』
と驚いていた。
それと同時にアナウンサーと聞いて、ここしばらく思い出すこともなかったアッちゃんのことが頭に浮かんでいた。
『アッちゃんも、アナウンサーになるって言っていたな。今頃アッちゃん、どこで何をしているんだろう』
と懐かしそうにアッちゃんのことを考えるのだった。
「何、物思いにふけってんだよ。早く飲もうぜ……」
という太陽の言葉に現実に引きも出され獅子狼は届いた生ビールのジョッキに手を通すのだった。
その夜は獅子狼にとって久しぶりに楽しく心安まるひとときだった。
話している内容は昔話ばかりであったが、ここ数年で1番といえるような時間だった。
あの時、あんなことがあった。こんなことを言った。そんなこと言ってないよ、と否定する。
話の内容は他愛もないことであったがそれが心地よく心底楽しかった。
退団後の厳しい現実に心が荒んでいく毎日だったが、今日は勇気を出して来て本当に良かったと誘い出してくれた親友に感謝の気持ちが沸いてきた。
太陽と美歩とはペナントレース中でもあり一次会で別れた。
五月と二人になった獅子狼は
「この後、どうする?」
と五月に言った。
「えっ、ひょっとして誘っているの」五月が戯けて言った。
「別に誘ってなんかいないよ」と獅子狼が怒ったように応えた。
「怒んない、怒んない。首になるくらい遊び回ったんでしょう。どこか良い店に連れていきなさいよ」
と五月が獅子狼の背中を叩きながら言った。
「痛いな。叩くなよ」
口を尖らせながら獅子狼が言ったが背中の痛みが心地よく感じられるのだった。
15分後、二人は趣のあるバーに来ていた。
60年配のマスターが一人でやっている店だった。
「意外に渋い店に連れてきたね」五月が店内を見回しながら言った。
「ここは、勝てなくなってから来るようになった店さ」
「ブイブイ言わせてたころは、もっと派手やかな店に行っていたわけか」
「お前、ずいぶん絡むな。少しは若くして首になった幼なじみに気を遣えよ…」
と言いながら五月の変化に獅子狼は驚いていた。
そのバーでは2時間くらい他愛もない話しをしたが獅子狼にとっては一次会以上に心地よい時間であった。
バーを出て二人は別れた。
獅子狼は一軍で大活躍していたころにスマホの機種変更をし、携帯会社も変えたが家族以外の電話番号の移行をしていなかった。
だから五月の番号も入ってはいなかった。
五月に連絡先を聞きたいと思ったが、一時期大成功して天狗になっていた自分、今は落ちぶれてフリーター生活をしている負い目から喉まで出かかったその言葉を飲み込むしかなかった。
獅子狼が番号の移行、電話帳の移行をしなかったのは有名人になった自分と田舎に住んでいたころの仲間は住む世界が違う、過去の人脈を切って勝ち組社会で生きていく人間になったんだ、という思いからだった。
それが今や、ただの野球ばかが頼みの野球も自業自得で続けられなくなり、学歴も資格も何もない底辺をのたうち回る男に落ちぶれてしまっている。
そんな底辺の男が、現代女性の勝ち組の頂にあるキー局アナウンサーにつきまとうのは五月にとって迷惑にしかならない。
『幼なじみが活躍しているのを知ることができ、その上、この時間まで一緒に飲めただけでも感謝しなけりゃな』
と思いながら踵を返す獅子狼に五月が「何か忘れていない」と声をかけた。
「えっ?」
と獅子狼は五月の方を振り返った。笑顔の五月が
「勝手にスマホの番号を変えたでしょう」
と言った。
「……」返事に窮する獅子狼。
「スマホ出して」という五月の言葉に促されて獅子狼がスマホを取り出した。
「パスワードは……?」と五月が聞いた。
獅子狼は言われるままに「SS0205」とパスワードを答えた。
「SS0205ね……」
五月はパスワードを復唱しながらロックを解除するとカメラを起動して「こっちおいでよ」と獅子狼を呼び寄せるとツーショットで写真を撮影し始めた。
思いがけない五月の行動に
『えっ?』
と獅子狼は戸惑うのだった。
写真を撮ったあと五月は獅子狼のスマホで番号を押し始めた。
『誰にかけてんだ……?』
と獅子狼が訝しがっていると、少し置いて五月のスマホの着信音がなりだした。
曲は、高校時代に獅子狼が元気が出るので好きと言っていたUWFのテーマであった。
五月は「懐かしいでしょう」と獅子狼の方を見て微笑み「さっき撮った写真を送信してよね」と言った。
「あっ、タクシーが来た」
獅子狼はそう言うと走ってきたタクシーを止めた。
五月は、そのタクシーに乗り込み「じゃあまたね」と言うと、タクシーのドアが閉まり五月は去って行った。
獅子狼は、しばらくそのバックライトを見つめているのだった。
その夜から獅子狼は、毎日のように五月が撮ってくれたツーショットの写真をボーッと見つめるようになっていた。
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