第7話 弥生の恋人 槇岡鉄心
【弥生 3】
初めての出場した甲子園大会が終わり帰県したナインは一週間のオフをもらっていた。
獅子狼の部屋に、太陽とマネージャーの二人が来ていた。
4人で、どこか遊びに行こうと言っていたのだが太陽の大活躍で外出もままならない状態になったいた。
そこで、獅子狼の部屋でお茶会をしようという話になったのだった。
「委員長は、この部屋に来たことあるんだろう」
と太陽が言った。
「うん、子供の頃は、この部屋か私の部屋が遊び場だったからね……」と五月が言った。
話を変えようと獅子狼が「ねえ、ねえ、トランプしない」
とトランプを握って言った。
トランプをしながら太陽が「ところで委員長……」と言った。
「えっ、何?」
「俺、前から気になっていたんだけど、監督って、野球したことないんだろう……」
「え、えぇ。運動部にも入ったことはないはずよ」
「それじゃあ、どこで野球を勉強したんだろう。
体験者じゃないけど技術論は下手な経験者より、よっぽど詳しいし系統立っている。
経験者はなまじっか実体験があるから技術論より体験論で語りがちだけど監督は実体験がないことを踏まえて、こういう理論と別にこういう理論もあるって対比して示してくれる。
道は決めないけど、いろんな方向に道があることを教えてくれるから、すごい監督だと思うよ」
「ホント、そうだね。僕が何か質問してもすぐに教えてくれるし、わからなかったら、翌日には調べてちゃんと教えてくれる。
何より美人だしね」
「女性を顔で判断するなんて最低……」美歩が言った。
そのやり取りにはかまずに五月は「天才、桂選手から褒めてもらえて妹としても嬉しいわ」と言った。
そして「お姉ちゃんね、高校時代、野球部の彼氏と付き合っていたの……。でも、この話はここだけにして絶対に他の人には言わないでね。
お姉ちゃん必死に立ち上がり、今、前を向いて歩いているから……」と言った。
【槙岡哲心】
-1-
弥生は中学時代から同級生の槙岡哲心と付き合っていた。
鉄心は野球部に入っており投手で4番を打っていた。
その類い希なる野球センスを買われて県央にある私立高校にスカウトされた。
この私立高校は野球部の強化を図ることにして県内で過去、何度も甲子園に出場させている実績がある監督を招聘していた。
しかし、鉄心がこの野球部に入部してみると、その監督の指導は自分の型を部員に押しつけ、気に入らないとすぐに鉄拳制裁を加えるという昔ながらの指導であり、鉄心が目指す野球とは異なるものであった。
弥生を始め同級生から盛大に送別会をしてもらって入学しただけに納得は行かないまま鉄心は辛抱して、その野球部で頑張り続けた。
強化1年目で県内から集められたり、自らこの監督の下で頑張れば甲子園に出られると思って集まった才能がある部員の中で鉄心は心技体揃った選手であり、入学早々レギュラーに抜擢された。
特に、投手に柱がいなかった、その高校では鉄心を柱として地区大会に臨んだのだった。
鉄心は、初めての高校野球の場でよく奮闘しチームをベスト8まで勝ち進めた。
準々決勝の前日、肘に違和感を感じた鉄心は監督に相談したが監督は
「お前はチームの勝利とお前の身体、どっちが大事だと思っているんだ。
肘が壊れても投げ抜いてやる、という奉仕の気持ちがお前にはないのか」
と罵倒されて鉄拳が飛んできた。
左顔面を殴られ鉄心は身体が吹っ飛びロッカーに激しく身体をぶつけ、倒れ込んだ。
その瞬間、鉄心の心の中で信頼という糸が音を立てて切れるのを鉄心は感じていた。
翌日の試合は、序盤から鉄心の選球が乱れランナーが溜まったところにヒットを浴びるという悪循環で序盤に7点を取られ鉄心は4回途中でマウンドを降りた。
鉄心は、ベンチに戻ると一人、ロッカーに下がってニフォームの上着を脱いでその場に叩きつけ、アンダーシャツのまま球場を出て真っ直ぐ自宅に帰った。
投げ捨てたユニフォームの上に退学届を置いていた。
-2-
私立高校を自主退学した鉄心は、弥生が通っていた北翔高校に転入した。
私立高校から公立高校、それも進学校に転入は例がないことであった。
鉄心は退学を申し出た私立高校との話し合いの過程で、もし、北翔高校に入れなかったら監督から試合前日に暴力を受け肘を壊しても投げ抜けと命令されたことを問
題視すると私立高校側に伝えたことから私立高校の校長が裏に手を回して、この転入が叶ったのだった。
この私立高校の校長には歴代、公立高校の校長上がりが再就職することが多く、その関係で現校長も教育委員会に顔が利いたのだった。
もちろんすんなり転校が実現したのは鉄心の転入試験の成績が北翔高校のトップクラスの成績であったことが大きく起因していた。
鉄心が帰ってきたことを弥生はもちろん鉄心の中学校のチームメイトで北翔高校に入っていた仲間たちも喜んだ。
鉄心は1年生ながらすぐに野球部の中心選手となり3年生が抜けた野球部を引っ張っていく立場に着いたのだった。
鉄心は合理的な野球を掲げ、練習内容を旧態依然のものから次々に変えていった。
その姿を弥生はマネージャーになって側で見続けていた。
練習内容について同級生間や、先輩との間で行き違うこともあったが鉄心は、一つ一つ話し合い相手が理解できるように説明に努めた。
元々、中学校時代からそういう姿勢で野球をやってきた鉄心だったが、私立高校で、あの監督の下で野球をやったことで、合理的で納得ができる練習、効果的な練習、という概念が鉄心の中で大きくなっていたのだった。
あんな監督をマスコミは名監督と称え、問題点を報道しようとしない、それって違うんじゃないか、鉄心はそんなことを強く思うのだった。
俺が、あの監督、打ち破ってやる。
そう自分に堅く言い聞かせて鉄心は練習に傾注していった。
そんな鉄心を側面から支援していたのが弥生だった。
それは精神的に支えると言ったものだけにとどまらず、運動力学、心理学、栄養学等々、ありとあらゆる野球がうまくなり勝つための戦略、戦術を調べて鉄心に提供し続けた。
そんな二人の努力は少しずつ部員に伝わっていき野球部の実力は急上昇していった。
毎年、1回戦負けのチームが鉄心抜きで、2試合勝ち上がったのだった。
3回戦で、鉄心にとって因縁の相手である例の私立高校と対戦した。
結果だけを見れば5対12でコールド負けしたが相手投手から5点を取るとなど、打ち負けなかったという自信をナインに植え付けたのだった。
もし、鉄心が投げていれば12点も取られることはなかったであろうから勝っていた勝負だと北翔ナインは自信を持ったのだった。
そして春の選抜大会に繋がる秋季大会が始まった。
転校後、1年が経過した鉄心の出場が認められる大会であった。
鉄心を要した北翔高校は初戦をコールドで勝ち上がり2回戦で私立高校と対戦した。
両チーム無得点のまま試合は終盤に入っていった。
夏の大会のあとにエースピッチャーになった堺が急成長し、全国でも通用すると言われるほどのピッチャーになっていたが、鉄心はそのピッチャー堺と互角に渡り合っていた。
9回表、打順が回ってきた鉄心は堺の渾身のストレートを芯で捉えて打球はセンターとレフトが見守る中、スタンドに飛び込んでいった。
セカンドの手前で打球がスタンドに入るのを確認した鉄心はそこでガッツポーズをした。
そして9回裏必死に向かっている元のチームメートを3人で押さえた鉄心は監督への雪辱を果たしたのだった。
それをスタンドから見ながら弥生は涙で顔をクシャクシャにしていた。
3回戦、北翔高校は敗れた。
マウンドに鉄心の姿はなかった。
その前日、鉄心は救急車で病院に運ばれていたのだった。
病院で白血病と診断された鉄心は闘病の甲斐なく夏の甲子園大会地区予選決勝の日に帰らぬ人となった。
弥生は恋人に死なれて抜け殻のようになったが、鉄心笑われるような生き方をしていられないと自身を奮い立たせ立ち上がった。
弥生は野球が強い私立大学に進学し4年間野球の勉強を続けて母校の教諭として戻ってきた。
鉄心がしようとしていた野球で母校を甲子園に出場させることで鉄心という男がこの世にいたことを証明したかったからだった。
-3-
五月の話を聞き終わることには獅子狼ら3人は涙が止まらない状態になっていた。
話している五月も涙で、あとの方は何を言っているのか聞き取りにくい状態になっていたほどだった。
「監督にそんな高校時代があったなんてね……。それと、そんな凄い先輩もいたなんて俺、感動してしまったよ」
と太陽が言うと獅子狼も
「そうだね。その先輩のためにも絶対に甲子園に出て優勝しなきゃだね」と応えるのだった。
「そうだよ。監督を男に、イヤ、女にしようぜ」と太陽が力強く言うと2人はガッチリとハイタッチをするのであった。
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