第4話 桂太陽 始動
【弥生 2】
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入学から2ヶ月後、夏の甲子園地区予選がはじまった。
北翔高の初戦、高校に入った桂太陽がどんなピッチングするか関係者の注目があつまる中、スターティングメンバーが発表された。
4番キャッチャー桂君とアナウンスされると太陽見たさに集まった観客からざわめきが起き、それはいつしかヤジとブーイングに変わり球場内は騒然となった。
それを北翔高ベンチは平然と聞いていた。
これは、あの日、選手たちが弥生の方針を聞いたときから予想されていた想定の範囲内であったのだ。
-2-
それは太陽らのスーパー1年生が入学してから本格的練習が始まった時のことだった。
弥生監督は部員を集めて地区予選に臨む基本方針を部員に告げた。
弥生は、1年生の間は太陽をピッチャーとしては使わない、と宣言した。
事前に弥生と十分な話し合いを済ませていた太陽は平然としていたが、初めて聞かされた部員たちは監督の思いもかけない発言に騒然となった。
弥生は、自分の方針について全員に意見を聞いた。弥生は、部員に対して
自分の頭で考える習慣をつけろ
自分の考えを積極的に言う習慣をつけろ
一方的に指示されて動く人間になるな
と訓示していた。
それに従い、全員に意見を言わせたのだった。
太陽と一緒に野球をしたいという思いだけで弱小野球部に入部した県中学校野球界の名選手の1年生は不満や監督の方針への疑問をそれぞれが口にした。
それに対して弥生は「あなたたちの目標は甲子園に出ること、それとも甲子園で優勝すること」と毅然と聞き返した。
弥生の言葉に絶句する部員たち。
太陽と一緒なら北翔高でも甲子園に出ることができる、という思いで北翔高を選んだ部員たちであったが監督から優勝という言葉を聞いて自分たちの志の低さを思い知ったのだった。
それに対して弥生は
「桂太陽という天才を預かった指導者の使命は甲子園で優勝すること」
と言い切ったのに続けて
「桂さんや桂さんを慕って北翔高に入学したみんなの選択を絶対に間違いにさせない」
と言うと誰もが監督の言葉に聞き入って行くのだった。
「そのためには長期的な計画を立てなければなりません。
桂さんを1年生の間は投げさせないことの利点の一つ目は、肩の酷使を避けることができるのと同時に1年間をかけて高校生の身体に作り上げ、来年以降に甲子園の決勝戦まで投げきる体力を身につけさせること。」
「二つ目は、この1年生の間は桂さんをキャッチャーで試合に出しますがキャッチャーの目を通して野球の幅を広げることで今以上のピッチャーに成長することができること。」
「三つ目は、このチームを桂さんのワンマンチームにせず、みんなのチームにすることです。」
「今年は上級生を中心に戦います」と弥生は説明した。
弥生の理にかなった話に部員一同は聞き入るだけだった。
この部員との話し合いを通じて、チームが目指す先とそのための方針について意思統一が図られた。
このことを通じて若い女性監督で大丈夫なのか心配していた部員たちの弥生を見る目が変わったのだった。
しかし、その後、太陽を筆頭に部員たちを驚かせたのは弥生の野球に対する知識と最先端のトレーニング理論であった。
素人の女監督かと落胆したことが恥ずかしくなるほどの練習内容で太陽たちは、天賦の才能に磨きがかかるのと同時にチームとしての完成度を上げて行った。
そんな中でも部員らが一番驚いた練習内容は野球部としての練習が週3回しかなかったことである。
毎週月曜日は練習は休む、と弥生は部員に告げた。
休養も重要な練習、というのが弥生の考えだった。
それはみんなも理解した。
ところが弥生は残り6日のうち三日は、他の運動部に行って他競技の練習に参加するという練習計画を選手に指示したのである。
子供の頃から野球を愛し、高校では青春のすべてを野球に捧げる、と決めた野球の天賦を持った部員たちに野球以外のスポーツをやれというのである。
これには部員たちも異論を唱えた。
高校野球は、そんなに甘いものではない。
ましてや、弥生は甲子園大会で優勝をすることを部員に公言した。
甲子園は全国の才能に恵まれた球児が、すべてをかけて取り組んでも夢叶う高校は基本各県1校、ましてやその予選を勝ち抜いた選ばれし高校が雌雄を決するのが甲子園大会である。
そこで優勝を狙うなら、どれだけの時間を真摯に野球に打ち込まなければならないか、太陽とともに、と思って集まった部員たちはそのことがわかりすぎるくらいわかっていた。
この女性監督は、確かに野球理論はどこで身につけたのか、一目置くだけのものを持っている。
しかし、勝ち上がるための大事なところがわかっていない、と部員たちは思うのだった。
そう思いながらも部員たちは監督に言われて渋々仕方なく他のクラブに参加した。
監督に指示されて渋々他競技を経験する部員たちであったが、すぐに心の変化が生まれて来たのだった。
一つは、他競技をすることで野球では使わない筋肉や身体の使い方を体験できたことであった。
これについて弥生はミーティングで「無用の用」という話を部員にした。
人は道を歩く場合、使っているのは、せいぜい50センチ幅程度である。
それ以外は使っていない、それならそれ以外は必要ないか。
違う、と弥生は言った。
もし、50センチ高いところを歩けと言われた時、50センチ幅で歩けるか。
50センチの高さであれは辛うじて歩けるだあろうが、それが高さ1メートルになったら高さ10メートルになったら。
高くなれば高くなるほど道幅が広くなければ人は立って歩くことはできない。
そのことが示すように人は一見無駄と思えるようなものが多ければ多いほど高いところを歩けようになる、と説いたのだった。
もう一つの変化は野球に対する姿勢であった。
それまでも練習には真剣に取り組んでいたつもりであった。
ところが野球をやれる日が三日に減ったことで野球をする、できることに対する喜びを強く感じるようになったのである。
ユニフォームに身を包むこと、グローブ、バットを手にすること、そんなこれまでは当たり前だったこと、日常的なことが新鮮に感じられたのだった。
それまでは単調で面白みを感じたことがなかったキャッチボールやベースランニングのような基礎練習でさえ楽しく思え、その練習を大事にしたいと、思うのだった。
野球ができる日が少ない、だから野球ができる時間を大事に、有意義に使いたい、とこれまで何年もやってきたころには感じたことがない有限の時間という意識が部員の中に生まれたのだった。
部員たちは、短い練習時間で最大限の成果を上げたいと一つ一つの練習メニューに真剣に取り組み、少しでも時間を有効活用したいと練習内容に工夫をするようになっていった。
元々が野球好き、野球バカの集まりである好きな野球ができる時間を縛られたことで、自分たちで時間を見つけ、作って野球をするようになって行った。
朝練、自分たちでの自主トレ等、やらされる練習ではなく、自らがやる主体的な野球部になって行ったのだった。
北翔高野球部は高校の部活の枠を超えた自らが考え、自らの意思で動く大人のスポーツクラブと昇華されたのだった。
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