歩道橋

 田舎町にある裏寂うらさびれた飲み屋である。すでに夜更けで、マスターの他には、なかなかひけそうにない女の客が一人だけだった。

「歩道橋が気になるの」

 と、頬杖ほおづえをつきつつ女は言った。少し酔っているようでもあったが、素面しらふのようでもあった。女にはどちらでも同じだったのかもしれない、闇夜はどのみち闇夜なのだから。

「歩道橋って?」

 と、視線を合わせることもなく、マスターが聞いた。

「知らないの?」

「まさか」

常磐線じょうばんせんに乗ってるとするでしょ」

「やけにローカルだね」

「ぼんやり窓から見ているとね」

「うん」

「ぽつりぽつりと歩道橋が通り過ぎるのよ」

「うんうん」

「なかにはび付いていて、ところどころ黒ずんでいたりするの」

 女はコップのふちを指でなぞったりした。

「そうだね」

「そんなのを見るときはね」

「どうかするのかい?」

「次の駅で降りてね、その歩道橋まで歩くの」

「それでどうするの?」

 マスターの声には抑揚よくようがなかった。

「その歩道橋をゆっくりと登るの」

「登るのかい?」

「そうよ。軽く手で触れたり、指でなぞったりするの」

「どんな気持ちなんだい?」

「なんだかいじらしくってね」

「で、登ったらどうするのかい?」

「その真ん中に立ってね、手すりにつかまって下を見下みおろすの」

「おやおや」

「そして電車を何本かやり過ごすのよ」

「……」

「どうせ暇なんですもの」

 そう言って女は一口呑むと、しばし黙り込んだ。

 ねっとりとした闇が女をおおっていた。

 どこかで猫がにゃーごといた。


 そういえば、女も歩道橋のようであった。

 夜が明けるまで立ち尽くしていた。ところどころが錆び付いたり黒ずんでいたりした。

 女のもとへ通う者なんぞ、よほどの物好き以外にはいなかったし、そもそも人もまばらな田舎の駅前銀座なのだった。

 たまに人が女の前を過ぎれば、女はうらやましそうな、そしてうらみがましそうな目で、じっと見送るのだった。

 女はもう幾日も幾日もそんな夜を繰り返していたし、それが永久に続くのかとも思われるのだった。


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