第29話 第二章 エピローグ後編 Carpe diem

「なんで、父さんといっしょに、おふろに入らないといけないんだよ……」


「セアラがシルと話したがってたからな……それに都合のいい時だけ子供ぶるのはどうかと思うぞ?」


 湯船に体を沈めてグチグチと文句を垂れるギル。アルは苦笑しながら、ポンポンとセアラから受け継いだ見事な金髪を叩いて窘める。

 まだ幼いということもあり、ギルの顔立ちはアルを少し甘くした感じだと言われるが、髪と瞳の色はセアラそのもの。ハイエルフの形質を明らかに受け継いでいた。どこか影のある父親と比較すると、その将来は正統派ど真ん中のイケメンになるだろうと専らの評判だった。


「そっ、そんなつもりは……ていうかさ、あのおんなの子たち、ねえちゃんとのきょりが近いよ!あやしいって!」


 痛いところを突かれたギルが、誤魔化すように湯をバシャンと叩くと、盛大に飛沫しぶきが飛んで二人の顔を濡らす。


「怪しいって……女の子同士なんだからいいだろ?」


 手のひらで汗と共に顔についた湯を拭うアル。危機感を持っている自分とは、まるで対照的なその余裕の仕草が、ギルの神経を逆撫でする。


「だいたいさぁ、ぼくは反対だったんだよ!!ねえちゃんは、がくえんなんかに行かなくったって、もうつよいじゃん!ぼくだってねえちゃんをまもってあげられるし、ここにずっといればいいんだよ!!」


「あのなぁ、ギルがシルの生き方を決めてどうするんだよ。あの子のやりたいようにやらせればいいんだよ」


「父さんって、かほごなくせに、ほうにんしゅぎだよね」


「ははっ、なんだそれ?」


 とても三歳とは思えない言葉を口走るギルに、アルが思わず吹き出す。


「だってさ、ねえちゃんにおとこの人がちかづくのはおこるのに、こういうときになると、りかいのあるちちおやっぽくふるまってるじゃん」


「確かにそうかもしれないけど、父親なんてそんなものじゃないか?」


「どがすぎてるよ、ぼくがねえちゃんとけっこんするのもダメって言うし」


「またその話か……そもそもギルはが好きなわけじゃないだろう?本当にシルが好きなら俺だって反対なんてしないよ」


「はぁ?それってどういう」


「どうもこうもそのままの意味だよ。さてと、俺はもう出るけど、ギルはどうするんだ?」


「……もうちょっと入っとく」


「そうか、のぼせないように気をつけるんだぞ?」


「……こどもあつかいしないでよ」


「子供だろ?体は間違いなく、な」


 当たり前すぎるその指摘に反論することが出来ず、面白くなさそうにプイっと背を向けるギル。子供にしか見えないその振る舞いに、アルはふっと笑って大浴場をあとにする。


ーーーーーーーーーー


 アルが自宅スペースの和室に備え付けられた縁側で、冷えた麦茶を飲みながら夕涼みをしていると、浴衣姿のシルとセアラが頬を紅潮させながら戻ってくる。


「あ、アルさん!やっぱり温泉の後はここですよねぇ。ギルはまだ入ってるんですか?」


「うん、やっぱりケイさんとスフィアちゃんの件で突っかかって来てなぁ……」


「ふふっ、予想通りでしたね。ギルもそのうちアルさんの言うことが分かりますよ」


「だといいけどね。それにしても秋もだいぶ深まってきたね、夕方になると風が冷たく感じるよ」


 アルが二人の分の麦茶も注ぐと、セアラが軽く礼をしながらそれを受け取り、少し間を開けて横座りする。


「ええ、火照った体には気持ちいいですけどね。そういえば、三人ともすごく温泉を気に入ってくれたみたいですよ。ミリィは肌がスベスベになるって感動してました。多分まだしばらくは出てこないでしょうね」


「ははっ、それは苦労して作った甲斐があるってものだね。シル、そんなところに突っ立ってどうしたんだ?こっちに来て座ったらいいだろ?」


 アルが部屋の入口でぼーっと立っているシルを手招きし、二人の間に座るように促す。


「あ、な、何でもないよ。ありがとう」


 シルからすれば、つい先程セアラにアルとのことを考えるように言われたばかり。本人を前に意識してしまうのは無理からぬ事だった。


「どうしたんだ?顔が赤いけど」


「あ〜……うん、ちょっと上せちゃったかな……?あはは……」


「あらあら、じゃあ水分を取って、少し横になって涼んだら?」


「え?う、うん……」


 やけに強引なセアラの態度に疑問を持ちつつ、シルがアルから手渡された麦茶を飲み干す。


「はい、じゃあ横になって」


 それを確認したセアラはシルの両肩を掴むと、縁側に腰掛けているアルの太ももに頭を載せる。


(えぇぇぇぇっ!?)


 あまりの急展開にシルが心中で絶叫する。


 長らく続けてきたアルに対するスキンシップの自重、からの膝枕。そのジェットコースター並みの激しい落差にシルの顔が沸騰する。


「なあ、セアラの方が柔らかくていいんじゃないのか?」


 当然アルがそんなシルの心中を慮ることなど出来るはずもなく、悶える娘に見当違いの心配をし始める。


「いえいえ、私はまだお風呂上がりで体が火照っていますからね、ここはアルさんでお願いします。それに、私の太ももはそんなに柔らかくありませんよ?」


 思いがけず地雷を踏んだアルが顔をひきつらせる。


「そ、そうだね……じゃあシル、悪いけどこれで我慢してもらってもいいか?」


「え?あ、うん。私は大丈夫……だよ」


 さすがにこの状態で大事な話など出来ないので、一先ず三人は取り留めのない話に終始する。三人で暮らしていた頃のこと、今度の家族旅行の行先、リタが張り切るであろう今日の夕食のメニュー予想、その話題は多岐にわたり、尽きることなどない。

 最初は戸惑っていたシルにも、徐々に笑みがこぼれ始める。いつしか自分が一歩引くようになる前の、家族の雰囲気を思い出し始めていた。


(懐かしいなぁ、この空気……多分、これって私がパパを好きでもいいんだって思えたから、なんだよね……もしパパがそれを受け入れてくれたら、こんな日々がずっと続くのかな……そういう未来もあるのかな……でも……)


 自分がどんな未来を選ぶにしろ、それは今抱えている難題の先にしかない。その紛れもない事実がシルの眼前に立ちはだかる。

 シルは心を決めて、アルの膝枕からすっと抜け出すと、ぴょんと縁側から小さな庭へと降り立つ。


「シル、どうしたんだ?」


「……あのね、二人に話しておくことがあるの…………私はね、何度も転生を繰り返しているらしいの。それでね……歴代の聖女は、全部私の前世なの」


 勇気を振り絞ったシルの告白に、アルとセアラは顔を見合わせるが、シルが予想していたような反応は返ってこない。


「何を言うのかと思えば……シルも知ったんだな」


「悪いんだけど……私とアルさんは前から知ってるわよ?」


「ええっ!?な、なんで……」


 想定外の事実にシルが目を丸くする。


「なんでって……うちの親父は先代の聖女と魔王討伐の旅をしているんだよ?魂を認識することが出来る魔族なら、分かって当然だって思わないか?」


「そ、そう言えば……じゃ、じゃあなんで言ってくれないの?」


「お義父様にも言われたんだけど、前世を知るって言うのは必ずしも良いこととは言えないわ。シルは自分の前世って知りたい?どんな風に生きて、誰と結婚して、子供は何人いて、どういうふうに亡くなったとか全部知りたい?」


「え?えっと……どう、だろう……」


 自身が全く考えの及ばなかった質問に、シルがしどろもどろになる。


「私とアルさんはね、まだ子供のあなたには教えるべきじゃないと思ったの。シルには前世に縛られて欲しくなかったから」


「縛られる……?」


「うん、自分の前世を知って、それが記録に残っていれば、誰でもそれを知りたいと思うだろ?前世での経験に引きずられて、物事を色眼鏡で見てしまう。そんなのつまらないって思わないか?せっかく生まれ変わったんなら、シルには新しい人生を生きて欲しいんだ。地に足をつけて、今をちゃんと生きて幸せになって欲しいって思う。もしかしたら、こんなのは親のエゴかもしれないけどね。それで無くてもシルは聖女だから、何かとしがらみも多いんだ、そういうのはなるべく無くしてあげたかったんだよ。まあ、この話はシルに限った話じゃなく、ギルにも言えることだけど」


 ふぅと溜息をつきながら、アルが夕暮れ空を見上げる。


「え……と……ギルも誰かの生まれ変わりなの?」


「アルさん、ギルの話は今はいいですよ。話が長くなってしまいますし。それで、シルの話っていうのはそれだけ?」


 ギルのことが気にかかりながらも、シルは妖精王オーベロンから教わったことを全て話す。かつて神族と魔族と共にオーベロンが魔神を倒したこと、聖女はオーベロンの依代だということ、今この時代に魔神を倒せるのは聖女、すなわち自分しかいないこと、そして魔神の復活が迫っていること。


「……魔神、か……成程、そういう事だったのか……」


 にわかには信じ難い内容であろうとも、二人にとってシルの言葉を疑うことなど有り得ない。二人共がそれを事実として受け取って、同じ結論に行き着くが、その反応は全く異なるものだった。

 アルは自身の手のひらをじっと見つめると、大きく息を吐き、達観したような表情を見せる。一方で、セアラは話の途中から今に至るまで、感情を抑え込むように浴衣を強く握りしめている。


「それで……これからシルはどうするつもりなんだ?」


 重々しく口を開いたアルに、シルが努めて明るく返す。


「私はとにかく今は力をつけないといけないからね、明日から魔力が空っぽになるまで魔法の練習だよ」


「…………なぁ、シル。話を聞く限り、有効な手立ては見つかっていないんだろう?それに、シルが危険な橋を渡ることになるのは間違いない。それならもういっその事、今すぐ……」


 アルへの同意を示すかのように、セアラは一切口を挟むことなく、唇をグッと噛んで強く浴衣を握り込む。


「やだよ、絶対イヤ。私はパパを助けるって決めたから」


 シルが毅然とした態度でアルの提案を撥ね付ける。それは既にオーベロンとの間で為された問答であり、そこには一分の迷いもなかった。


「…………でもな、魔神が復活するリスクを考えたら……」


「パパの言うことは分かるよ?きっと聖女っていう役割を全うするだけなら、それが最善なんだと思う。だけどね、私はパパの娘なんだよ?その方が簡単だからって理由で、父親を殺す事なんて出来ない。私はそんなふうに二人に育てられてないよ?私が見てきたパパとママは、どれだけ困難でも諦めたりしなかった」


「シル……」


「パパとママはどんなに辛い目にあっても、誰になんと言われようと、守りたいもののために頑張ってたでしょ?私はそんな二人が大好きなの、そんな二人の娘であることを誇りに思ってるの」


 静かにシルの言葉に耳を傾けるセアラ。その強く握りしめたままのこぶしを、一粒、二粒と落ちた涙が濡らしていく。


「パパは私に新しい人生を、地に足をつけて生きて欲しいって言ったよね?もし私がパパを犠牲にすることを選んだら、それは私が二人に育ててもらった人生これまでを投げ出すのと同じなの。だからね、この選択だけは譲れない、二人にだって否定させない。これは、今この人生を、この瞬間を生きてるのはシル・フォーレスタなんだっていう証明なの」


 シルの揺るぎない決意を秘めた言葉は、娘を危険に晒したくないという二人の心をも揺り動かす。

 誰よりもアルと共に生きることを望みながら、ここまで頑なに沈黙を守ってきたセアラは、庭に駆け下りて娘を力いっぱい抱きしめる。そして嗚咽を漏らすばかりの母を、娘が包み込むように抱き返す。


「もう、何泣いてるの?大丈夫、何も心配する必要なんてないよ。私は死んだりしないし、パパも死なせたりしない。だから、ね?」


「うん…………ありがとう……ありがとう、シル」


 アルがシルの頭を撫で、セアラの震える肩を抱き寄せると、必死に抑え込んでいた思いが溢れ出す。


「……私は……もっともっとアルさんと一緒にいたいです……だから……嫌です……アルさん……死んじゃダメですからね……?」


「……ああ……セアラ、シル、ごめんな」


「うん……これからの私の人生で、パパが隣に居ないなんて考えられないよ。私はそんなの絶対にやだ」


 口に出してから、意図せず意味深な言葉になっていることに気付くと、シルが真っ赤になった顔の前で手をぶんぶん振りながら慌てて取り繕う。


「へ、変な意味じゃなくてね?そ、そう、もちろん親子としてだよ!?」


 そのあまりの慌てっぷりに、アルだけでなく、今まで泣いていたセアラも思わず笑みがこぼれ出す。


 全てを知った時にアルとセアラが下した決断は、いつか交わした夫婦の約束から。

 そんな二人に育てられたシルの決意を支えるのは、自分のことを、文字通り命よりも大切に思ってくれる両親への思いから。

 互いが互いを深く思い合う三人。その強く、どこまでも純粋な思いは、例えそこに血縁などなくとも、三人が確かに絆によって結ばれていることを示すものだった。




※あとがき


初の横文字タイトル「Carpe Diem」ラテン語ですね。直訳すると「その日を摘め」意訳として「今を生きる」という意味で使われることが多いようです。このお話を書いていたら、単に日本語タイトルの『今を生きる』よりも、幅を持たせられるこれがしっくりくるなぁと思いました。


ということで第二章はこれにて終了です。次回からは時間をちょっと飛ばして学園編です!

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